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函館、縄文遺跡を巡る①

今年の夏は函館に行きました。
昨年、青森に行きました。縄文遺跡の発掘場所に行くとわかるのですが、良いところにあるのです。川、山、海がいいところに配置してある場所に良い遺跡()があるのです。自分が住んでいる場所、そして過去に住んでいた場所とはかなり違う解放感が味わえるので癖になりそうです。


垣ノ島遺跡


世界遺産に登録された北東北北海道の縄文遺跡群。今年は北海道側、函館から車で行くことができる場所にある、垣ノ島遺跡に行きました。
ガイドツアーがあったので参加。こういう遺跡のガイドには申し込むと面白いのです。知らないことを知ることができるチャンスでもある。参加者のメンツにもよりますが(たまに知ってるおじさん()がいて、自分の知識を確認したいがために質問して時間を費やされることもあるので)。
今回は参加者が少人数。そして、きちんと時間内に収める職人系ガイドさんでした。

ガイドツアーは必須です

写真は世界遺産に登録された際に作られた遺跡群のシンボルを説明している図。上は北海道、下は東北を示している、と教えてくださいました。


盛り土遺構


この遺跡は縄文初期から中期にかけてのものが発掘されている場所。国内最大級の盛り土遺構というものがあります。

この遺跡には30‐40名ほどが集落を作って定住していた場所、と考えられています。紀元前7000~1000年という6000年という時間、この場所で同じ暮らしがされていた、ということらしいです。

盛り土はすべてのモノの魂を送るための送り場としての役目を担っていたそうです。古くなって壊れた土器から人の魂まで、すべてのモノを盛り土の中にお返しし、いつか新しい形になるものの一部となるよう、ということなのかもしれない、とガイドの方はお話しされていたようでした。

盛り土遺構の模型

盛り土遺構の真ん中に、すこし盛り上がっているところがあります。ここが祭をする際の中心になって北極星を見上げたのかもしれないそうです。ちょうど見える場所にある、とのこと。そして溝に沿って真下にある川にも降りることができるという特殊な作りをしていました。
とにかく自然の特徴をよく知っていないとできない集落のつくりだなぁと思いました。

縄文文化センター


遺跡と併設された施設があります。道の駅も併設されている縄文文化センター。ここに収められている資料も見ごたえがあります。

漆で塗られた土器

この時代にはすでに漆が大陸からもたらされていたようで、(もともと漆は日本にはなかったようで、中国からやってきたとされています)漆を使った土器や人が埋葬されていた様子がそのままくりぬかれて展示されていました。すでに海洋技術が発達していた、とも想像できます。あの北海道と青森の間の海流をどうやって渡ったのか…。海水温も低いので、暑い夏の今でも霧が立ち込め、結構涼しいのです。

こんな感じで霧で真っ白


漆の跡がくっきり残る人が埋葬された後


足形付土版

子供の足跡がくっきり

今回、一番驚いたのは子供の足形がくっきりついた土の板がたくさんあったことです。これは副葬品とした親が亡くなった時に一緒に埋葬されていたということでした。本当に小さな足形で、かわいらしかったです。こういったものが発掘されているのはこの場所だけだそうです。縄文の集落にも独自の文化圏があったのではないかな、と思いを巡らせました。


フラスコ状土抗

上の写真はフラスコ状土抗。大きく(3m以上あったような気が)穴を掘り、そこに木の実などを保管した穴とされています。

戸井貝塚の角偶


今回は、交流センターのなかで近くにある縄文後期の戸井貝塚の品々も展示されていました。

鹿の骨で作られた「角偶」

つぎは近くにある大舟遺跡に向かいます。


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