神は居なかった

こんばんは, pyt-314です. 先日のプログラミングのすゝめ②に続いて, 新約聖書を読んだときの妄想を書いてみようかなと思います. 一応タイトルからわかる通り変なことを言おうとしてみるので, Christian等の方々がもしこの文章を読まれたら, どうか生暖かい目で見守っていただきたいです.
さあ, 本題です. まずここでの神をどう表現するのか, ということが問題になりますね. 創造主的な存在は別に神と信仰する対象にしてもあまり意味がない(世界を造るだけ造っておいて放置する場合)ので, 創造主かつそののちに創造後も干渉をする概念とでも見てみましょうか. これなら多分信仰する意味はありますね.
少々あいまいですが, 神という概念を大雑把に考えたので, 問題の文言を見ていきましょう. マタイの福音書をはじめとしてたくさん出てくる, キリストの言葉, 「あなたの信仰があなたを救った, 元気を出しなさい」みたいな文言. あなたの信仰, って, 何に対しての信仰なのでしょうかね…? まあ普通に考えたら1516(ヘブライ語の数字を知るとこの意味が多分わかります)なのでしょうが, あえて言わないのは何故なのでしょうかね? 何処かでキリストが, “私は父に言うように指示された言葉だけを言っている”みたいなこと言っていましたが, まあ聖書と察するにそういうことなのでしょうけども. ちなみに, 本来はキリストには人間的な父親は居ません, といっておきましょうか. 普通はこんなこと言わないのですが.
ここに, 私のろくでもない経験と思考が混ざります. 皆さんって, 時々なくしてたものが頭の上からポッと出てきたりしますかね…?さすがにないとは思いますが, そんなしょうもないことくらいだったらまれに私にもおこってしまうのです. どこにあるのかもわからないのに, です. 不思議なもんだ. さらには真偽はさておき, ちょっと前にサイババという人がいたようで, どんなものでも取り出せると知られています. これは私のナゾ現象含め勿論真偽は不明ですが, それでもこの現象をただ否定するのは違うかと思われます.
これに加え, ちょっと前に書きました人間というか宇宙の構造についての実装を取り入れれば, キリストの言っていた信仰の対象って, 実は単純な神的創造主ではないような気がしてきます. 言霊とかそれ自体に近い考え方ですが, 自分の認識を生み出しているのは自分です. あくまで因果律は, それ自体を仮定しているからそうなっている. 逆にキリスト的な, 超越的な力を持った何かを通して, 自身の中の因果律を破壊してあげるから, キリストのようにいろいろなことが起こる, なんて考えたりします. ある意味では, これはキリスト自体の信仰になりますし, 理想状態に対しての信仰とみなすこともできます. 結局, これは思えば成る, ということが言いたかったのではないか, という風に感じている, それが最近聖書を読んでいておもったことです. まとまった, 神という形の何かは, 万人に共通に決まらないのでしょうな. 別に神なんか手段でしかない, というちょっと変わった読書感想文でした. まあまだすべて読み終わってないのですが. そこらへんのカントとかにそれは考えたところで意味がないと言われそうですな. なにはともあれ今晩もお疲れ様です. 以上.

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