研究発表についての愚痴
こんばんは, pyt-314です. 今日も大した中身のない, しょーもない記事ですが, まあゆっくりしていってください. 今日は友達兼共同研究者と8時間作業しましたよ…
さて, 早速本題の愚痴です. といきたいところですが, この前の, "天才って"の時に思いっきり自分のIQ検査や障がい等を調べたくない理由を書き忘れていたので書きます. 極端に言うと, 逃げ道をなくすためです. 結局私の周りで起こることの原因は少なくとも少しは自分にありますからね.
ということでやっと本題, 研究発表についての愚痴です. 皆さんは, 高校時代に研究発表をしたことがあるでしょうか. わたしは, なぜかすでに何回かやっています. これ自体とても恵まれたことなのでしょうが, なにせ私は研究がメインの人間. この研究発表自体に疑念が浮かんでくるわけです. それが, 専門なんて細かく分かれてしまうのに一般人にわかる説明なんてどうするんだよ!っていうものです. ちなみに, この疑念というか愚痴はまたまた"天才って"に出てきたK氏といってたことでもあります.
私は専門が一応数学, そして研究はモーターの制御をやっております. そして, K氏は音楽理論をやっています. 彼は曲を感情ではなく理論に沿って組み立てていく人間. やっぱり頭いいなとか思いますよ. そんで本題に戻りますが, どうしても専門性の高くなってしまう研究というものを, "わかりやすく伝えろ"なりなんなり言われながら発表しなきゃいけないのです. 私もK氏も, そもそも発表をすることの目的はあくまで自分たちの手段の改良をすることにあります. もちろん一般の人たちからも何か突発的なアイデアが浮かぶことあるのでしょうが, なかなかそれは難しいのです. そもそも, ほかの人が研究を発表をされてから自分も考えるためには与えられる時間が少なすぎるのです. そんなことから, さすがに私もK氏も,
"自分たちの見世物にするための研究じゃないんだ!"
という思いがわいてくるわけなのです. もちろん, 同じ高校のほかの人や, 一般人に発表をすることは, 自分の研究を発信するうえでは重要な機会なのですが, それが目的になってしまうのはおかしいのです. 典型的な社会から評価されない人間みたいな私とK氏ですが, 多少の現実の人間嫌いというか恐怖はあるとはいえ人間は基本的に好きです. でも今の社会はさすがにちょっと合わないかな…
以上, 本日の愚痴です. まあこんなもの気にしないでくださいな. 単純な機械的動作の成れの果てです. 皆さんがちょっとゆっくりできたかはわかりませんけどね. とりあえず今晩はお疲れさまでした.