ある人物の回顧録 2

あれから少し時間が経ったとき, また少し変わった人物と出会うことができた. いちいち名前を書くのは面倒くさいから, その人のことをR氏と呼ぼう. まず初めにだが, R氏の周囲の状況を書こう. 変わり者どうし状況は似るもので, なぜだか周囲の状況もまるで私やその友人と同じなのだ. もはや共通原理なのだろうか. ニコラ・テスラの, 人はオートマトンであるという考え方を用いれば, 納得はいく. 話は逸れるが, オートマトンとはよく考えたものだ. 彼曰く, 思い出しているだけとのことだが, 彼もさすがの変わり者で, 目の前で様々なものを描くことができたようだ. 彼は私の考える第六次産業革命に一人で到達していた…と思ってしまう. 話が逸れた, 戻そう. 次にR氏についてだ. R氏は学者を名乗っているわけでもなく, かといっていち早くPITデバイスと融合したわけではない. 都市, というより対人産業の中心地として“セントラル”と表現した方が適切だな, そのセントラルからいち早く脱出して依存関係を排除したようだ. 彼が構成する社会構造はなかなかに練りこまれている. 安定, または社会崩壊の基盤を作らないということを目指せば自然とその構成になるようにも感じるが. たぶん, 何か超越的な技術を想像しているものは落胆するだろうが, 今はそれできっと十分だ. 小規模な”セル”(原料製造のための最小単位. 一数人の居住地にもなっているようだ. )だから原始的な設備と仕組みで十分だ. 機械知能のおかげでその運営に必要な仕事もほとんどない. R氏はその友人といくつかの”セル”を管理しているおかげで, 元の社会の分業の利益の恩恵を受けながらその問題を回避している. こうやって生き延びた人々もいたのか. 次の世代のパイオニアと呼ばれても合点がいく. 面白い.
おっと, 周りの人間とのことに気を取られていて完全に忘れていたことを思い出した.
私は学者だ, と名乗ったが, 何の学者かは書いていないではないか. とはいえ学者に区別がないのが現実だ. 仕方がない. 私は古代ギリシアに於ける, 哲学者を名乗ろう. 古代のギリシアといえば, キリスト教という宗教があったな. PITデバイスの登場時は本当に揉めた. 誰もがイエスに成れるのだ. そして本当になってしまった. ”ロゴス”がすべての人となる, それがそのときだったようだ. 話が逸れた, これは私の悪い癖だ. ついつい連想してしまう.
大陸の果てからやってきた思想が, 私にこんな知識を与えたし, こんな私が飢えずに生きる社会を生み出してしまった. 反省は韻を踏む, 歴史のように. 繰り返しを避けられるのだからまだいいだろう. そうでなければ救いようがない. しかし, 昔から同じ韻を踏んでいる. 根本が入れ替わるまでにかかる時間は一体どれくらい必要だろうか. 人がすでに集団化してしまったのだから, ほとんどが入れ替わるまでに時間を要することには自然と分かるだろう. その応答について解析をすれば, ある意味では社会の方向について予測することができる.
この集団化した人の刺激に対するおおよその応答については, 私が提案した, “強化学習ベースの万能近似器”についての論文を読んでいただきたい. 簡単に書けば個々のニューロを個人として対応させることが可能になる. もちろんパラメーター数や処理の複雑さで比べればこちらの方が大幅に単純化されているが, それでも十分に大きくすれば近似性能は十分となる. 対称は大衆であるのだから, 一人ひとりをシミュレーションするよりもこちらの方がよっぽど扱いやすい. これはあくまで表現論であるため, 矛盾が存在しないのであれば何ら問題のないはずだが, どうやらそれは周りの人々には通じないようだ. もちろんこの応答も分かっていた. もうあきらめているのだから問題はない. この近似器にはお見通しだったようだ.
R氏のセル社会はセル単位で表現すればうまくいくだろう. セル社会がどのような特性を持つのかを解析するのに有効そうだ. 今度また試してみる. その結果をまたじきに書くだろう.
---つづく

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