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私がパニック障害になった理由その2

先日、パニック障害になった理由の1つめを書いた。今日は、2つめを書こうと思う。
我が家の世帯主である主人は、中学校の教員である。しかも体育教師。つまり、部活動は絶対条件のようについて回ることになる。
自然、我が家は母子家庭状態だった。今で言う、ワンオペだ。土日もいない。平日の帰りは、9時近く。家のこと、子育ては全て私の役目だった。当然と思いつつ、どこかで納得していなかったのだと思う。私も体育科の出身で、だから分かるだろうと主人に言われたこともある。いや、分からないと答えた。子どもの行事にはほぼほぼ出たことはない。運動会、入学式、卒業式など全てだ。雨天順延になったときには、運動会を見に来た。僻地赴任をして、隣の学校にいたときも、子どもの入学式に顔を出さなかった。そのくらい、家庭のことは無頓着だったと言えるだろう。
現在の働き方改革で、教員もずいぶん待遇が変わってきたと思う。日曜日は、休んで家にいることが増えた。とはいえ、練習試合だといえば、出かけていく。現在の若い教員家庭は良かったなと、ちょっとホッとしていると同時に、少し嫉妬もしてしまう。なぜ、こんなに長い間、問題にならなかったのだろう。何十年か前に、国の行う統計調査に、主人の1週間の勤務時間を書いたとき、本来部活動は勤務ではない(それもおかしな話だが)と分かっていたが、そこもプラスして書いた覚えがある。記憶によると、80数時間に達していたと思う。良く過労死しないな、と感心していた。たぶん好きなサッカーに関わっていたこともあり、苦痛ではなかったのだろうと想像している。おそらく、広い社会、日本を探れば、過労死をしている教員は、いるのではないだろうか。更に言えば、ストレスからくる、精神疾患の教員も少なくないと言われている。実際、身近にもいらっしゃった。かくいう私もだが。副産物だ。
つまり、この生活のあり方が、私がパニック障害になった2つ目の理由である。
主人が、家にいる瞬間が増え、はじめの頃は、「今日は、どうしたの?」と聞いていた。また、早く帰宅すると、病気かと心配したものだ。最近は、少し慣れてきた。そうなると、何もしない主人に、もやもやすることも出てくる。人間とは、厄介で都合が良い。自分も至らないところがあるから、お互いさまだからと、目をつぶったりする。それがよくない。少しずつ教育していかなければ、退職後、老後が不安になる。さらなるストレスは抱えたくない。もちろん、一生懸命働いてきてくれたことには感謝している。これがなければ、子どもは育たなかった。でも、これからの教員家庭にはもう少し、他人の子どもだけでなく、我が子も見てあげてほしいと切に願っている。部活動に入れ込んでいる先生方。家庭は泣いています。

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