生きてきた道

大人になって、自分を振り返るとわかった。
私は変な育てられかただったし、
親離れが早すぎていた。

記憶の中にあるのは、父母姉の3人で海へ出かけたり、琵琶湖へ行ったり、キャンプに行ったりしていたこと。
だけど、おそらく幼稚園の頃まで。

小学生になると、母が義母と義父が大嫌いで、当時お米屋さんを営んでいたが、母がお店に行く事はなく、私が遊びに行くことすら嫌がっていた。
この頃から、母は父のことを『おっさん』と呼び、私が父と公園に遊びに出かけることすら嫌がった。

そんな母に連れられて毎週末行ってた先はパチンコ屋さん。
私はお昼前にはお店に着き、お店のベンチでひたすら待つ。
お昼頃になり、母は台をキープしたまま定食屋さんに行ってご飯を食べ、またパチンコ屋さんは戻り、ひたすら待つ。
小学校2.3年のころだと思う。
いつの頃からか、母に1000円のお小遣いをもらい、商店街を歩いたり、近くのダイエーに行って、メダルゲームをして、中古の漫画を何冊か買って、夕方になるとパチンコ屋に戻り、台をキープした母と夜ご飯を食べ、閉店まで漫画を何度も読み返して、ひたすら待つ。
私はそこで、お金の有意義な使い方や、困難に出会った時でも、解決策を見出す力を得たのかもしれない。
と、同時に、どんな理不尽でも受け入れてしまう歪んだ性格になってしまったんだと思う。
※これがのちの結婚生活の闇に繋がる

理不尽に耐える力は、他者よりも広い心で受入れる力になるので、特殊能力ではあるので、もともと備わっていたものに、拍車がかかったのだとも思っている。
なので、離婚をした今、私は辛い理不尽な思いは抱えていない。

小学校5年頃まで、母のパチンコ屋さん通いに付き合っていた。

友達と遊びだしたのはその後だ。

ここからも、私の変な人生は続く。

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