小児性愛者の子どもたちへ
分かりづらくなってしまいましたが、「小児性愛者かつ子ども」であって、「親が小児性愛者の子ども」ではありません。
また、「小児性愛者」と書きましたが、このようなアイデンティティを持っていない、ただ年下の未成年に惹かれるとか、世間からそう思われる、というような子も含めるつもりで書きました。
脱字などを修正しました(2024.9.7)。
あなたちは自分を好きになって良い
「子どもを守ろう」という人たちがいる。私もそう思う。全ての人が望むように生きられたら嬉しいし、子どもはその機会を奪われがちだから。
しかし、私が子どもの頃、そのようなことを言う人を憎んでいた。中高生を子どもというのかは人によるだろうが、あの人たちはよく「中学生を守ろう」とか「女子高生を守ろう」とも言っていた。
あの人たちに守られる度、私は傷ついていた。子どもを守るために、"子どもを傷つける者"は排除されなくてはならない。私はそちら側だった。
少し感傷的になってしまった。とにかく、小児性愛者への罵詈雑言を見る度に、私は傷ついていた。
当事者でなくても、擁護すれば罵詈雑言の対象になった。しかし、その擁護も、私のことを救わなかった。
「小児性愛者は病人で、可哀想で、自分のことを責めているから、批判しちゃいけないんだよ。内心の自由を認めてあげよう」
私が自分のことを好きになれば、この人たちも敵になるのだろうか。本当に効く転向治療が現れたとして、それを拒めば「どうして?」と、そう聞かれるのだろうか。今の自分を否定するのが正しいのだろうか。
自分さえいれば大丈夫、周りの意見なんて気にしない、と言うのは難しい。こういう状況の中で、心が折れてしまう子もいるだろう。しかし、今見える世界が全てではないのだと、あなたの気持ちが少しでも軽くなるように、この記事を書いた。
前述した通り、小児性愛者が排除されるのは"子どもを傷つける者"だからだ。擁護するためには、ここに反論しなければいけない。内心の自由なんて根本的な話は、わざわざ少数派の立場をとらなくても良い。
法律において、子ども(未成年)は制限行為能力者とされ、保護を受けられる代わりに自己決定権が大きく制限される。例えば、選挙、飲酒、喫煙、契約、住居移動……については、してはいけなかったり、親権者などの代理人を通さなくてはいけなかったりする。言い換えれば、何かを(一人で)することによる害は、何かをしないことによる害より大きいとされる。
本当にそうだろうか?
家族に嫌なことをされているが、自治体などが介入できるほどではない、というときに、家出をすると連れ戻される。人権侵害があると認められないと、嫌いな人から離れられない。逃げる選択肢がとれない。それに耐えられないこともあるだろう。
過度に性的、暴力的、反社会的な創作物は見れない(正直、全年齢でもそのような需要が満たせる作品はあるが)。創作物に影響されて価値観が変わったり、生きる理由が見つかったり……人生のどのタイミングで触れるかということは大きいはずだが、大人になるまで我慢しろと言われる(そもそも、インディーズ映画とかだと数年経てば消えることもある)。そうじゃなければ助かった命もあるのではないか。
小児性愛者との関係に戻すと、恋愛や性行為、わいせつ行為は規制される。心身に悪影響を及ぼすからだ。挿入を伴う場合は身体への負担を考えられているが、そうでない場合、例えばキスとか裸で抱きしめ合うとかは、あるのは心への影響だけだろう。
その時に同意(と、成人なら認められる意思表示)があっても、大人になった時に思い出して傷つくかもしれない。未来のことまで考えてしまえば"自由意思"なんて成立しないが、子どもの場合はあまりに懸念が当たる場合が多いから、例外とされる。(そういう理屈だと、私は認識している)
子どものときにしたことを後悔した例はたくさん語られる。でも、しなかったことで悩むこともあるのではないか? というか、私はは実際そのような人を見たことがある。なぜ、それは無視されるのだろう。
「一時の気の迷いだから、恋心や性欲は胸にしまおう。まともな大人なら断ろう」というのは、誰のために、どの視点から言っているのか?
私は子どもにも性行為をする自由があると思っている。同時に、無理やりされるようなことはなくなってほしいとも。
私が小学生の時、知らない人にべたべた触られて、耳元で卑猥な質問を繰り返されたことがあった。とても怖かった。
しかし、この経験を"子どもの味方"と共有したくはない。これに対して「辛かったね、ひどいね」と言ってくれる人は、こう続けるだろう。「やっぱり子どもに性欲を向けるような奴はろくでもないね」と。
違う。私は知らない人に急にあのようなことをされて怖かっただけだ。痴漢されて怖かったからといって、好きな人との行為まで制限しろとは頼んでない。私の経験がそこまで広げて話されて、私の気持ちから遠ざかるのは嫌だ。
痴漢とか、強姦とか、「向こうも喜んでいると勘違いしていた」とか、もちろんやめてほしい。しかし、なぜ加害者だけでなくて、被害者まで行動を制限されなくてはいけないのか。別のことじゃないか。恋人とかセフレとの関係を望んだ成人の被害者に、「でも性行為は嫌なんでしょ」と言うのか。今、社会が子どもに対してやっていることを、私はそう受け取ってしまう。
よく規制派が「かつて女の子だった者として」と言う。意見は違うけど、私もそうだ。つい一年前まで、未成年だった。準・当事者みたいな立ち位置で、当事者として発言するのはどうかと思うが、しかしある程度は当事者と気持ちを共有できると思う。
かつて子どもだった者として、小児性愛者(と、今の社会では判断されるだろう)として、色んなところから追い出されたような気持ちになった。今、苦しんでいるあなたにも、居場所があると伝えたい。
最後に
今回はかなり感情論というか、個人的な話になった。共感できる相手がほしい、という昔の自分に向けて書いたものだからだ。理論的な話はほとんどしなかったので、物足りない人もいるだろう。とりあえず、小児性愛に肯定的なサイトを紹介して、締めに代えさせてもらう。
NAMBLA(North American Man/Boy Love Association、北米男性―少年間愛協会)の公式ホームページ。1978年から活躍し、未だに現役の団体。性的同意年齢の撤廃を求めたりしている。創設当時15歳だったメンバーもいて、"小児性愛者の団体"とだけ覚えるにはもったいない。
NewgonWikiのトップページ。小児性愛や年齢差恋愛について肯定的にまとめている。インターネット上の新しい運動についても触れている。ただし、他のwikiと同じように、ここで書かれていることを鵜呑みにするのは危険だろう。性的同意年齢の撤廃を求めるが、現在の法律にはきちんと従うべきという立場。
他にも色々な団体があったのだが、潰れてしまったところが多い。アーカイブサイトで拾えるサイトもあるので、どこかで紹介したい。また、インターネットにない情報でも本になら書いてあったりする。私も勉強中だ。
個人のブログだが、かなり勇気づけられたものも紹介しておこう。元・成人愛者の少年が書いていて、私が見つけた時は未成年だったから、こういう人もいるんだと思えた。
小児性愛について日本語で調べていると、特にTwitterでは、フェミニストvs表現の自由戦士(元は悪口だが、自ら名乗っている者も多い)が目に留まりやすい。前述した通り、可哀想な病人として扱ってくる上、女性差別的な投稿も多く、かなり疲れるが、そうでない議論の場もあるので安心してほしい。私も含め、自分と完全に意見が一致する人は恐らく見つからないだろうが、思っているより世界はマシな形をしている。
また、「いや、自分は病人だし、治したいと思っているし、今の法律は間違っていない」という子もいるだろう。その場合は私以外にも意見が近しい者が既にいるから、触れなかった。これは少数派の中の少数派に向けて書いたものだから、小児性愛者だからといって賛同しなくても良いし、小児性愛者でない人がこれを読んで小児性愛者や、成人性愛者かつ未成年の総意だと勘違いすることはやめてほしい。
それから、このような記事に対して、「小児性愛者は表に出てくるな」と言う人もいる。しかし、こうやって表に出てこなくては、本当に潰れてしまう子どもがいるのだ。成人だけが入れる、小さなコミュニティにゾーニング(本来の用法からは少しズレているが、意味の変化と捉えておく)されて発言することに、私は大きな意味を見出だせない。
表に多様な意見があれば、救われる者は増えるだろう、と私は思っている。フェミニズムによって救えるのは「自分は女である」という意識の強い者だけだが、確かに救われた者は多い。取りこぼされた女性が、アンフェ(攻撃的なので私は苦手だ)に救われることもあるだろう。
私だけでは限界がある。既にある意見と、私の意見(目新しいものではないが、日本語で見つけるのは難しい)と、それに反対する更に新しい意見……で、色んな人が救われてほしい。
検索用
これは小児性愛について調べている子どもに向けて書いたが、色々な表記法で検索を試していると思うので、単語を並べておく。特に意味はないので、読まなくて良い。
小児性愛、小児性愛者、小児愛、小児愛者、児童性愛、児童性愛者、児童愛、児童愛者、ペドフィリア、ペドファイル、ペドフィル、ペド、成人性愛、成人性愛者、成人愛、成人愛者、年齢差恋愛、未成年、子どもの権利、ロリコン、ショタコン、性的同意年齢
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