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怒れる人間、とは
怒るの苦手
私、怒るのって苦手なんです。だってコスパ悪いじゃないですか。怒られた相手は気分悪いし、私も怒るよりも笑ってたいですし。
そもそもそれって怒るほどのこと?という場合も多いです。土日の13時ごろにフードコートで昼食にしようという場面で、料理の提供が遅くて怒ってる人とか。土日の昼時なんて混んで当たり前だし、嫌なら家や公園で食べるか時間ずらせばいいだけですよね。
あと怒った後の気まずい空気も苦手。家族なら寝て起きたらいつも通り、なんですけど、友人だとそのあと疎遠になって会いづらくなります。あの距離感を探るようなやり取りが本当に嫌です。
”怒っている"と"困っている"の区別について
また怒らない理由の中に、"怒っている"と"困っている"を区別しているというのもあります。
ホテルマンをしていたころ、先輩がクレーム対応について、お客様は"怒っている"のではなく"困っている"場合がある、と言っていたのが、ホテルをやめた後でも役に立っています。
例えば"予約が出来ていなかったうえに満室"という状況の場合。
予約システムの不具合で予約できていなかったのなら、お客様は"怒っている"ことになります。お客様の求める、あるいはホテル側が定める水準に、我々のサービスが届いていなかったから不満なわけです。
しかし、お客様が予約完了ボタンを押し忘れて予約出来ていなかったのなら、今夜泊まる場所がない="困っている"わけです。大半の人は、口ではわかりづらいとか出来てると思ったと仰っていても、予約できていなかった自分が悪いと理解していますから。怒っているように見えても、ただ困ったり焦ったりして感情が噴出しているだけなのです。
※このときただ謝罪するのでは対応としては不完全、その困りごとを解決する方向に対応してほしいというのが先輩の話の本筋でした。
この分類ができると、自分の中で怒るに対するハードルが上がります。
自分が求めているもの、が、何かしらの問題の解決、である場合、怒る相手は自分だし怒ることに益がないから怒らなくていいや、で怒らなくなります。
反対に、相手の謝罪が欲しいとか非を認めてほしいのだと思うと、私は今怒っているんだ、と自覚します。
怒ってないよ
と、怒らない理由を書きだしたわけなのですが、一方でよく怒ってるの?って人に聞かれます。キツそうな見た目をしているから。しかも初対面では大体人見知り発動してるので、近づきがたいと言われがちです。
逆に私のことをよく知る人は、同じ表情をしていても、まったく違うことを言います。今適当に返事したでしょ、とか、なんかいいことあった、とか。こういう子がいると楽だし、相手も怒ってるかもって気を使わないし、逆にちゃんと聞け、と軽口をたたいてくれます。
私にとっては怒りに限らず"今の感情にあった表情をする"って労力のいることなんです。つまり感情表現が下手くそ。意識しないと顔に出せない。
だから何か考えていたり、他のことで手いっぱいになってるとすぐ表情が消えます。
過ごした時間が長い子には好みなんかもなんとなく把握されてるので、あーこういうの私が喜びそうだなって時に無の顔をしていたら、嬉しすぎてキャパオーバーしてるんだなと判断するそうです。
おわりに
私は怒らない自分が大好きだし、怒れるようになりたかったとも思わないけど、怒れる人間は感情が発達してるのかな、というそこはかとないコンプレックスはあります。大学で心理学科に入ったのも、自分が感情が薄く、それゆえに感情に疎いのを自覚したからですし。
※誤解のないよう書きますが、心理学科に入ったからって感情が豊かになることはありません。理論のほうが理解しやすい人でもわかるようになるかもね、程度です。
だから何かっていうと、感情を出せるのはある種の才能なんですよ。それが怒りという感情であっても。成長に伴って感情表現のバリエーションがある程度増えたという点を踏まえると、勉強における地頭みたいな、鍛えられるけど元々優れている人のそれに勝つのは相当の努力がいるタイプの才能。
私はそれを持って生まれなかったから、だからこそもう少し傍目にわかりやすい人間になれるように何かできたらいいかなって思います。