1000人超えのファンの力でコロナ禍を乗りきった! "愛されるみりん"のデジタルマーケ戦略/杉浦味淋株式会社
フリーランス・パラレルワーカーが参画することで、チーム一丸で大きな成果を上げたプロジェクトにスポットを当て、フリーランスと組織の理想的な関係構築のあり方や共創意義を賞賛する「フリーランスパートナーシップアワード2024」。
本記事は、1次審査を通過したファイナリスト5組のうち、愛知県碧南市にあるみりん蔵 杉浦味淋のブランディングとファンコミュニティの醸成を、2人のフリーランス・パラレルワーカーが支援した事例をご紹介します。
杉浦味淋株式会社の代表取締役社長 杉浦嘉信さんと料理研究家の安部加代子さんに、チームがどのように信頼関係を築き、ファンコミュニティの形成で大きな成果を上げるまでに至ったのかを伺いました。
コロナ禍を乗り切るために、プロの力を求めた
――杉浦味淋さんの看板商品『愛櫻(あいざくら)』は、100年前の創業時につくられていたみりんを復刻したものだそうですね。
杉浦:はい。うちは家族でやっている小さなみりん蔵で、僕は3代目です。碧南市は江戸時代から「三河みりんの町」として知られ、終戦直後には三河湾沿いを中心に県内に20軒超、私が子どもの頃も碧南市だけで10軒ほどのみりん蔵がありました。けれども日本が高度経済成長を迎え、みりん業界も工業化の波が訪れます。昔ながらの製法では太刀打ちできず、碧南でも次々と廃業する光景を目にしてきました。
経営が苦しい状況はうちも例外ではなく、今から25年前、会社が潰れる寸前というところまでいき、僕はもう畳もうかと思っていました。そんなときに、たまたま創業者の祖父が100年前にメモで残していたみりんのレシピを見つけたんです。
親父の時代は価格競争に巻き込まれて、いかに安く、時間をかけずにつくるかを追求せざるを得ませんでした。でも、祖父のレシピは、親父がつくっていたみりんとは全く違う原料の配合で、じっくりと時間をかけて熟成させる、味の濃いみりんでした。
このみりんを味わってみたい、おじいさんの思いを受け継ぎたいと考えた僕は、一念発起しまして。苦労して昔ながらの手絞り機や原料を手に入れ、昔の記憶のある職人さんと一緒にこのみりんをつくってみました。そうすると、なんとも甘くておいしいみりんができたんです。
これをきっかけに、誰からも愛される桜のような製品を、と祖父が命名した愛櫻を引き継いでいこうと決意し、みりんづくりを継続しています。
――原点に回帰されたわけですね。愛櫻のPRやファンコミュニティづくりにフリーランスの力を借りようと発想されたのは、なぜですか?
杉浦:コロナ禍に売上が半分以下になってしまったんですよね。みりんを使ったグラノーラなんかの新商品はあったけれど、それを売ろうにも何をどうすればいいのか分からず、必要なノウハウをもった人材がうちにはいないという課題を感じていました。そこに学生インターンなどでお世話になっていたNPO法人のG-netさんから、「ふるさと兼業」を使って兼業人材を受け入れないかと声をかけてもらって、やってみることにしました。
募集をかけて1、2名は来るかなと思っていたけれども、まさか12名も手を挙げてくださるなんて。驚きましたね。一人ひとりZoomでお話ししましたが、すぐにでも、うちのスタッフとして働いてもらいたいような方が多く、最後はずいぶん迷いましたよ。
――最終的に2名の方に決めた理由は。
杉浦:料理のプロである安部さんにお願いしたのは、うちの商品を上手く使って、いろんなメニューを提案してくれるだろうと思ったからです。いろいろとお話するなかで、みりんや調味料にすごく関心を持たれていることもよく分かりました。
もう一人の楠めぐみさんは、大きな企業を経験されていて確かなマーケティングのスキルを持っていらっしゃいました。その一方で、自分でNPOを立ち上げてコミュニティをつくり上げているという点でも期待が持てました。
――安部さんはどのような経緯で応募されたのですか。
安部:私は「野菜ソムリエプロ」という資格を持つ料理研究家として、これまで活動してきました。食育の講座や料理教室を開くほか、電機メーカーとのお仕事では調理家電を使ったレシピ開発やサービスの立ち上げの支援など、いろいろやっていたのですが、ちょうど活動内容を整理したいと思っていたタイミングにコロナ禍に見舞われ、いったん料理教室を全部閉じたんです。
それで、これからどうしていこうと考えながら、ネットでいろいろ情報を集めていたときに「ふるさと兼業」のオンラインイベントが目にとまりました。中部地域の企業と、副業・兼業で働いてみたいという人たちのマッチングをするというものでした。私は食に関する仕事で商品開発に関われるようなものがあればと参加し、そこで杉浦さんのお話を聞いたんです。
仕事柄、調味料には関心があり、それまでも、つくり手の顔が見えるこだわりの醤油など、いろいろ使っていたんです。でもみりんは、せいぜい本みりんか、みりん風調味料かくらいしか見ていなかったんですね。まさかこんなに材料や熟成にも手をかけて、ていねいにつくられたみりんがあるとは思いもしていなくって。杉浦さんのお話を聴いて「すごいな!」と感動し、ぜひやってみたいと思いました。
他社製品も飲み比べ、愛櫻の大ファンに
――普段はリモートでやり取りされているということですが、その点に不安はありませんでしたか。
杉浦:当時は関東のお客さんが増えてきたタイミングで、野菜ソムリエプロの資格を持って料理教室をされているような知り合いもいたんです。なので、安部さんにも最初から親しみを感じられて安心していました。
Zoomでの会議も、1カ所に集まらなくてもこういうプロジェクトができるということに、逆にありがたさを感じていましたね。ただ、うちは家族でやっているような小さな会社ですので、プロジェクトや会議の進め方みたいなところは、やりながら築き上げてきたというところです。
安部:杉浦さんと楠さんとは、必ず週に1回オンラインでミーティングをして、そのときは雑談なんかもしました。そうするとお互いのことも少しずつ分かるようになり、すごくやりやすかったです。3人で直接顔を合わせたのは、プロジェクトが始まって1年くらい経ってから。そのときも全く違和感がなくて、とてもいい感じに進めてこられたと思います。
――どのようにプロジェクトを進めたのでしょうか。
安部:プロジェクトが始まるときに杉浦さんが、愛櫻のほか、市内に5軒あるすべての蔵のみりんを送ってくださったんですよ。それらを飲み比べてみて「あ、こんなに違うんだ!」と思うほど、杉浦さんのつくるみりんは、おいしさが突出していたんです。それで私自身が、愛櫻の大ファンになりました。楠さんも同じで、「私たちみたいなファンをもっとつくろう」「このおいしさをどうやって伝えていこうか」ということを、一緒に考えていきました。
まずはファンコミュニティをしっかりつくっていこうということになったのですが、その時点で杉浦さんはFacebookで毎日動画を投稿したり、Instagramのアカウントもつくられていたりいました。既に愛櫻のファンがいる状態だったんです。
その方たちにもっとファンになってもらうには、他の誰かを呼んできたくなるようなコミュニティをつくるには、といったことを考え、動いていきました。
――おふたりが加わる前から、SNSでの発信などを頑張っていらしたんですね。
杉浦:コロナ禍で売上が半分以下になって、なんとかしなければと必死だったんですよ。だからFacebookもTwitter(現X)もずっと続けていました。決して上手くコミュニケーションできていたとは言えないのですが、継続することで反応もいただけて、発信し続けることの重要性はすごく感じていたんです。
安部:役割分担としては、楠さんはファンの方たちのペルソナ設定だとか、その方たちにどういう情報を伝えるのかといったコミュニティの運用全般を考え、ホームページに載せる記事の制作などもされていました。
私は愛櫻を使ったレシピを考え、実際につくって写真を撮り、Instagramで発信しています。また、杉浦さんが展示会に出展されるときにどういう見せ方をするかを一緒に考え、「こういうレシピはどうですか?」と提案もしています。
愛櫻はお酒のように、そのまま飲めてしまうくらい。「スイーツにも使える」とか「飲んだらすごくおいしい」といったことを知ってもらえるように、「みりん=和食の調味料」という固定観念をゆさぶるレシピを常に考えています。
――オンラインイベントもされたそうですね。
安部:杉浦さんが愛櫻のラベルの刷新を考えていらしたときに、そのタイミングでホームページもリニューアルして、せっかくなのでみりんのレシピを伝えるオンラインイベントもやろう、という話になったんです。
イベントでは新しいラベルに託した想いや、意外なみりんの使い方などを取り上げました。日ごろご愛用いただいているお客様でも、つくり手と直接対話できるのは、なかなかない機会です。さらに事前に特別試食セットも販売したんです。みりんの飲み比べセットや、みりんシロップの材料などイベントに連動する内容で、オンラインでも距離の近い設計を意識しましたね。そしてお料理好きなお知り合いにも紹介して、一緒に愛櫻を盛り上げようと呼びかけました。
経営者の真剣さと柔軟さがチームワークに寄与
――今ではLINE会員が2000名、DM会員が1500名もいらっしゃるそうですね。SNSでは、ファンの方からどのような反応がありますか。
安部:お料理を仕事にされている方が多く、愛櫻を使った料理の写真を投稿してくださったり、料理教室を開いてくださったりする方もいらっしゃるんです。そういう方々がさらにファンを増やしてくださっていて、本当にありがたいですね。
――それによって、販路も広がっているという手応えがありますか。
杉浦:そうですね。新商品や限定商品は会員の皆さんに先行して案内していて、それだけで予定販売数量の50%を達成したこともあります。注文に対応するために、新たに10名以上のパートさんを雇うまでになりました。
――このチームで良い成果を出せたポイントは、どこにあると思いますか。
安部:楠さんも私も違う分野でやってきた経験があることで、いろいろなアイデアが出せたと思います。それを杉浦さんが「まずはやってみよう」と受け止めてくださるんです。そこは私が「職人さん」に対して抱いていたイメージと違いました。
伝統的なみりんの世界観を崩したくないというような思いがあるのかなと、始める前は少し不安だったんです。でも、逆にみりんの固定観念を崩したいという思いが杉浦さんにはあって、新しいことに対してすごく柔軟な考えや行動力をお持ちでした。それがあって、うまくいったのかな、と思います。
杉浦:僕としては、会社をなんとか続けなくちゃいけない、自分がつくったものを知ってもらうにはどうしたらいいかということで、とにかく必死だったんですよ。
――パートナーとしては、提案に対してきちんとレスポンスがあるということがモチベーションにつながっていきますよね。
安部:はい。頑張った分戻って来るというか、お互いにちゃんとキャッチボールができている感覚がありましたね。さらにそれぞれが得意なところは安心してお任せできて、自分に足りないところはカバーしてもらえる。ちょうど良い感じでデコボコを埋められる良いチームだったと思います。
継続的な関係の中から成果が生まれる
――当初、プロジェクトは3カ月間で設定されていたそうですが、今もパートナーシップは続いているんですね。
杉浦:せっかくご一緒できて結果も出ていたので、中途半端な形で終わりたくないなと思ったんです。おふたりもやりたいと言ってくださったので、継続してもらいました。ただ、楠さんの方はコロナ禍が収束してからご自身のNPOの活動が忙しくなり、今年に入って卒業されました。
安部:楠さんもやむを得ずということで、本当はやめたくなかったとおっしゃっていました。それくらい、楽しく参画されていたのだと思います。
杉浦:今は僕の知り合いに楠さんがなさっていた業務を引き継いで、手伝ってもらっています。
――安部さんと楠さんとのお仕事がきっかけで、外部の方に入ってもらうメリットを感じられたということですか。
杉浦:はい。雇用にこだわらなくても、こういう形でもできるんだという自信につながりましたね。
今は海外からのオファーがすごく増えていますので、世界に向けてもっと発信していきたいと考えています。ちょうど楠さんの後に入ってもらったメンバーが、海外生活の長かった人なので、安部さんのレシピを翻訳してもらったり、ホームページの英語バージョンをつくってもらったりと、次のステップに入っています。
そしていつか安部さんたちと一緒に、みりんをベースにした新商品をつくってみたいですね。
――フリーランスの皆さんの力を得てさらに可能性が広がっているんですね。最後に、フリーランスや兼業人材の活用を考えている経営者さんに向けて、先輩からのアドバイスをお願いします。
杉浦:先輩だなんておこがましいですが、一昔前にはフリーランスって何なんだ、兼業なんてできるのか、という感じでしたよね。時代が変わって、うちはとてもマッチする方々に巡り会うことができました。でも、出会い頭から今の関係性だったわけじゃないんです。コミュニケーションを惜しまず、時間をかけてお互いに信頼関係を築いてきたことで、今があると考えています。
スポット的にこういう人材がほしい、ということもあるかもしれないですが、せっかくのご縁を良い形にするには、継続することが大事なんじゃないかと思います。
――『愛櫻』という製品の魅力と杉浦さんの情熱を核に素晴らしいチームワークが築かれ、歴史ある企業さんの次のステージが拓けていっていることがよく分かりました。ありがとうございました。
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