推しに求めるものを知った日
昨日、Travis Japan(以下トラジャ)がワールドツアーでLA公演を行いました。LAといえば、トラジャが留学して過ごした場所。夢を叶えるために向かった場所です。それから2年半が経ち、LAでライブを開催することができ、記念すべき日となりました。
ワールドツアーが始まってから、ライブでの様子がSNSで目まぐるしく流れてきます。しかし、昨日はこれまでの海外でパフォーマンスできることを楽しんでいる様子とは違っていました。特別な思いを持っていたのだと思います。そして、その思いを受け入れ、受け止め、ライブを盛り上げてくださった皆さんに感謝します!
正直なところ、その様子を目の当たりにできなかったことに悔しさもあります。以前なら、ライブに行った人を羨んだり、海外公演が特別なものになっていることに不安を感じたりしていましたが、今はそういう気持ちが出てきても「行かないと決めたのは自分」と冷静に対処できるようになりました。
それは、私がトラジャ担である理由が、「彼らがエンターテインメントを通して楽しんでいる姿を見続けたいから」だと明確になったからです。その中に、1つ1つ夢を叶えていくプロセスも含まれます。だから、自分がそこに居ようがいなかろうが関係ないと割り切れるようになり、ファンとしての在り方が変わってきました。
そんなことを改めて感じた1日でした。
数日前、Kis-My-Ft2(以下キスマイ)の玉森くんがインタビューを受けているのを見ました。コロナ禍でファンに会えなかった時、「もうファンなんていないんじゃないか」「ライブができるようになっても来てくれる人はいるだろうか?」と思うようになったという内容でした。
少し前までキスマイの自担が私の最推しで、最推しグループがキスマイでした。なので、玉森くんにそう思わせていたことがつらすぎました。キスマイは無観客ドームライブ配信や、今までのライブ映像を再編した配信もしていて、それをファンは喜んでいた。なのに、なぜそんなことを思わせてしまったのか。私は感謝しかなかったし、会える日をずっと楽しみにしていたのに。(玉森くんがそう思うのは仕方ない!私もそう思うだろうから!玉森くんは何も悪くないので責めてないです)
でも、コロナ禍にそう思ったからこそ、玉森くんは6人体制になってからのこの1年をめちゃくちゃ頑張ってたんだなと思いました。目の前のファンのため、来てくれるファンのため、そう思っていたんじゃないかな?と思ったのです。玉森くんの頑張りが、降りようとしていた私を引き留めていたとはっきりわかりました。
目の前のファンのため。ファンとしては、それがうれしいし、それが幸せです。そのあたたかい気持ちに応えたい。それも立派な推し活です。
でも、私は、夢を叶えて楽しんでいる姿を見せてくれる人のファンでありたい。私は目指す場所を口にしていたキスマイが見せてくれていた光景が大好きでした。今は、トラジャが見せてくれる光景が大好きで、楽しんでいる姿を見れることがうれしくて幸せなのです。
どちらが正しいとか、どちらが良いとかはありません。自分が幸せであれば、どちらでもいいのです。だけど、スタンスの違うファンどうしが争うことは起きてほしくない。そんな思いで締めたいと思います。