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母である私と母ではない私が共存できる社会

おっす!
オラ、アラサーシングルマザー!

こんにちは今日も今日とて
情緒乱気流。
こんな日はなんかアウトプットでもしてやるか、
そんな投げやりなきぶんで
筆をとった次第。

ここでは母親であること
シングルマザーであること
諸々書いていなかったが
わたしの脳内会議の議題は専ら
母親であるとはどういうことなのか
についてなので
書かざるを得なくなってきた。

これまで書いてこなかったのには
訳があって
母親だと提言すると
個人としてのわたしではなく
母親であるわたしとして
見られるから嫌なのだ。

仕事においても
わたしの仕事は個人の個性を売りとしているから
しばしば母親であることを売りにすれば
などといったアドバイスを受けることもあれど
頑なにそのことは触れずにいる。

「母親なのに〇〇」
「母親と〇〇を両立しててどうのこうの」
「母親でも〇〇になれる」

そんな風に私の母親というひとつの側面を
下駄にして働きたくないのだ。

仕事をしていることと
私が母親であることは
全くの別の話だから。

母親になると
(ほとんど妊娠した途端から)
周囲の目に”わたし”ではなく
”母親”という生き物として晒される。

それが吐き気がするほど嫌だ。

例えば、
母親になる前は
絶対に話しかけてこないであろう人が
何ヶ月なのか男か女か
体重は増えたのか、
母乳は出るか、
不躾に公の場で聞いてくる。

そして幸せそうな笑顔を添えた
良き母親の模範回答を求められる。

子どもが居て、
子どもにとって母親という存在になっただけで
わたしという人間はなにひとつ
変わっていないというのに!

わたしという存在は
すっかり母親の役割の影に、
無かったことにされてしまう。

母親であることは
わたしの色々ある中のひとつの側面であって
わたし自身じゃないのだ。

わたしは世間の求める母親像に
抗って行きたい。
わたしがわたしであることを取り戻したい。

子どもを愛することと
世間に対して母親のムーヴをすることは
無関係だ。

母親になってみて思ったが
母親になったからといって
個人としての私は消えないし
だからといって子に対する愛は
目減りするもんじゃない。
2つはほんとは両立しているものだと思う。

だってだって、
私は子どもと向き合うときは母親だけど
仕事をしていれば1人の個人オーナーだし
友人といる時は友人としてそこにいるし
1人の時間はただの人間なんだ。
四六時中母親やってるわけじゃないのだ。

母である私と母ではない私が共存出来る社会。
それを認めてくれる社会。
そんな世界を創りたいなぁ。

だからわたしは
ちゃんと個人を生きたい。
それがだれかの指針になったら
そんなに素敵なことはねえよな。

大きなことをいったが
仕事をせずにサボって書いている。

いっちょ仕事に戻るか…
今日も頑張って生きる。

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