見出し画像

【婚活】この困難な時代に恋人を作る方法【マチアプ】

X(旧Twitter)(←この旧Twitterって付けるのめちゃ面倒くせえ)をみてると今日も婚活界隈は素手での殴り合いが各所で勃発している。戦争の理由は様々だが、結局のところ価値観の相違である。俺はこう思うけどどうよ!?とむき身で発信してみたら、通りすがりの人々にいきなり殴られた。←全部コレである

特に燃え盛るテーマはやたらに歳下を求める中年男の身勝手さや醜い欲望であったり、中年女がやたらに高いスペックやあり得ない条件を一方的に並べ立てるだとか。

ちょっと見ていて痛いし、ツッコミどころが満載なので、通りすがりの人々も悪気もないのについつい250キロ爆弾を投下してしまう。んで少しだけ気持ち良くなってその場を去る。これがX(旧Twitter)でのほぼ毎日の営みだ。それ以上は何も起きない。ある意味平和なのかもしれない。

人間の残念なところは、誰しもが好きで歳をとるわけではないということだ。時間が経てば勝手に歳をとる。としをとれば、年齢✖️✖️歳との動かぬ事実が残るのみである。

顔の見えないSNSでは、何か意見があったとしてもどんな人間が言ってるのか文字通り顔が見えない。誰だかもわからない。知らない。そこまでキョーミもない。でも生意気かつ現実離れしたこと言って何だか偉そう。だから制裁を加えてやろう。

我こそが正義!…という訳だ。正義を手にした人類こそがこの青い惑星で最も凶暴かつ好戦的な生物である。自分の中に「正義」を自覚したとき、「正義」が生まれたと感じたとき、いつも以上に自戒し行動を諌めるのが正解だ。きっと「正義」を手にしたあなたは傍目に見ると相当に近寄りがたい人物となっている。気難しく、人の話を聞かず、会話すれば皮肉を言う。そんな嫌な人になってる。その可能性がある。(残念なことに)

それはさておき、若い人はそのままマチアプとか街コンとかで好きに乱交を続けるのが良さそうだ。そのうち手放すのが勿体なく思える、一緒にいて楽しい、安らげる、他の誰にも渡したくない!そう素直に思える人が現れる。そしたら迷わず求愛するのがよろしかろう。残念なのは、相手も同じように思うかは宇宙の真理を全て紐解いても予測がつかず、コントロール不能ということだ。なので、全力投球で求愛し、フラれたらさっさと諦めてまた別の人を探すので良い。大丈夫だ。そうやって人類は5000年近く発展を続けてきた。いきなり貴方だけ上手くいかなくなることはない。諦めずに行動し続けることだ。自分をフッた相手のことは5秒で忘れることだ。それがポイント、否鉄則、たった一つの絶対真理である。

その相手は貴方の全存在にノーを突きつけキョーミがないと断言したのだ。そのような相手にこれ以上1秒だってリソースを割く必要はない。もはや敵同然。かといって×すわけにもいかないので放置して去るのがスマート。それ以外できることはない。ね、諦めてね。

問題はここからだ。そして、今日の本題でもある。

恋愛は若い人がするものだ。若くなければ出産・育児という営みは到底耐えられない過酷な一大イベントだからだ。貴方がこれまで得てきた全てを捨て去る覚悟が必要で、なおかつ人生が停滞する可能性も高い。

それほどの犠牲を払い、新しい命を育てるのだ。その勇気は無条件で賞賛されるべきだが、誰もがその試練に耐えられる訳ではない。また、誰もが我が子を腕に抱くことができるとは限らない。恋愛は競争であり、この惑星の表面を巡る争いとは一線を画した、生態系を巡る闘争だからだ。

誰よりも自分が優れていると確信すること。それができずして相手に自分の子を産んでくれとお願いすることは不可能だ。そして、2人で協力しなければ子はすぐに親の愛を疑い、この世に産まれた意味、生きて行く意味に疑問を持つ。その試練が子を強くすることもあるが、大抵は苦い思い出を植え付けるのみに終わる。

以上をまとめると、優秀で病気しない、強く若い個体が沢山の子を残すのが本来の「自然」の形である。まるでヒトラー思想だが、その辺の犬猫を見ていてもそれは的を得ている。

しかし、人間は犬猫ではないから、親が子を助けることがある。長い話を短くまとめよう。それはかつて存在した「お見合い」という制度だ。これにより、生物的に「弱い」と見なされたあらゆる個がそれほどの苦労をせずして相手を見つけることができ、全くの苦労をせぬまま結婚まで行き着くことができた。条件は既にあらゆる意味で成功した、強い力を持った親と親が合意すること。それだけだった。子に選択の余地はないが、現代のカオスを思えばこれほど慈悲深い制度もなく、種を存続するという意味でも最高に合理的な制度だった。

しかし、お見合いは残念ながら息絶えた習慣である。結果、子は自分の力で相手を探さなければならなくなった。その変化を最初若い世代は歓迎した。選択肢が無限にあるように思えたからだ。しかし、そのうち首が回らなくなり、令和の今に至る。2人に1人が結婚相手を見つけられない事態に陥ったのだ。

相手を見つけられず、中年となった男達と女達は迷宮のミノタウロスのように、あたかも巣篭もりに失敗したヒグマのように、攻撃性を増しながらその辺りを彷徨くようになる。

口にするは「若い綺麗な女、おっぱい、お尻、俺の世話、家事育児全部やってくれて、飯はサイゼリヤで十分で、俺を無条件に愛してくれて浮気はしなくて優しくて料理上手で、清潔で生理なんか来ない、いつもメンタルの安定した…」と聞くに堪えない。

或いは「身長175センチ以上のイケメンで、年収一千万以上、飯・デート代は全部奢りがトーゼンで、長男以外で田舎に帰る必要がなく、義両親は干渉してこず、清潔感があって、適度に見た目に気を遣ってて、煙草は吸わなくて、私だけで満足してくれてチン×がデカくて、仕事に一生懸命で家に帰ったら寝ることも休むこともなく家事も育児も全部やってくれて…」とこれまた聞くに堪えない。

ひどいもんだ。なんでこうなった。

思うに、会う前の人と恋愛しようとするとこうなるのだ。スペックというか、名札に書かれてる事実以外目に入らないのだから仕方がない。加工された自撮りや詐称されたプロフィールが会う条件になるのはあまりにも滑稽だ。

残念なことに35歳を超えた個体が無事にパートナーを見つける可能性は小指一本の可能性すらなく、当たり前に淘汰される。それでいてこれほど現実離れした条件を突きつけるのはあまりにも愚かだ。どれぐらい愚かなのか今例えを考えてみたけど、何も思い浮かばなかった。前例がないほど愚かだということだ。

愚かな個体がこの惑星からノーを突きつけられ自然淘汰されたとしても神は眉ひとつ動かさない。この世は無慈悲なのだ。慈悲なき世界に抗うならば徹底的に現実的に行動しなければならない。その現実的な選択肢がやたらに狭まっているのが現代である。

恋愛は会ってはじめてスタートするかが決まる。会う前に色々模索しても時間の無駄だ。まず、男女ともに会うことを考えなくてはならない。しかし、女は身の安全等を考えなかなか会ってくれない。なので、男達はあの手この手で嘘をつき、自分がいかに魅力的で危険の少ない優良物件かをアピールせねばならない。大部分は嘘だが会うためには仕方がない。嘘をつかなければ会ってくれないのだから、嘘をつくのも生存戦略ということになる。致し方ないことだ。(このような嘘をつく個体を相手に選ぶならば将来的に浮気されることも受容せねばならないが大抵の女はそこに考えが至らない)

結局、恋愛は会ってピンとくるかどうかなのだ。見た目が好きか嫌いかも自撮り写真ではなく、会って自分の目で加工されていないありのままの姿を見て決まる。そして、会話が楽しいのか続くのか、一緒にいてホッとできるのか、それも全て会って一緒にいる時間をどう過ごせるかで決まる。まず2人きりで会わなければならないのだ。それにどんな手段があるのかは時代が決める。それにあわせて現実的に行動するしかない。状況を的確に分析し、適応した行動を取れるか否かが勝敗を決める。

中年男女は自分達が遅れをとっていると自覚せねばならない。子供を産んでもらいたいから若い女とか、イケメン歳下クンとか高望みをしていては話にならない。恋愛は等価交換で、自分に100円しかないなら100円のものしか買えないのが当然なのだ。割り切るしかない。

それが嫌なら生涯独身という選択肢もある。かつてほどそれを周囲から責められなくなったのだから、現実的にそれが良さそうなら選ぶと良い。しかし、母なる地球は最後まで諦めずにもがき続け、現実的な行動を取り続けるクレバーかつしぶとく強い個体を愛し、子孫を残すことを許す。これだけは努々お忘れなきよう。

いいなと思ったら応援しよう!