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闘病記(31)ビバ!普通食


 ある日の午後、言語療法の時間。その嬉しい知らせは言語聴覚士Mさんの質問から始まった。
「赤松さん、もし今、お茶やお味噌汁に加えているとろみを入れなくても良くなって、飲食がある程度自由になったとしたら、お見舞いに来てくださった方と何を飲んでおしゃべりを楽しみますか?」
「コーラです。」
即答した。Mさんは目を大きく見開いて、 
「コーラなんですか?」
「そうですよ。いけませんか?」
「いえいえ。なんとなく大人の人は大抵コーヒーを飲むものだと思っていたもので。」
「僕、コーヒー飲めないんです。なので、コーラで。」コーラ、コーラと連呼するうちに喉の奥の方が爽快感を求めて乾いてきた。
「そうですか…。コーラなんですね…。」
「すみませんね。子供で。コーヒー飲める大人じゃなくて。(笑)」
「いえいえそんな!(笑)。実は明日から赤松さんの食事とお茶にとろみを加えないようにしてみようと思います。食事のほうも普通食になります。」
「ほんとですか。」
「はい。お見舞いの方が見えた際にはコーラなり、コーヒーなり、健康に留意しながら楽しんでくださいね。入院生活は単調なものですし、たまには目先の変わる楽しみもないとですから。」
こういう言葉をかけてくれるときのMさんの目元はとても優しく、自分は大好きだった。普通食と言う言葉を聞いて、矢も盾もたまらず質問をしてしまった。
「普通食と言う事は、おかずは刻んで…。」
「ません!」
「おお〜。」(2人で小さく拍手。)
「明日から、もっと食事の時間が楽しみになりますね。短い期間でよくここまで回復したと思います。がんばりましたね。」
「たくさんご心配をおかけしましたが、なんとか。本当にありがとうございました。」
こうして翌日から、自分の「普通食ライフ」が始まった。
 はじめての普通食がとてもうれしかったので、献立は今でも覚えている。と言いたいところだが、何一つ覚えていない。「おお、スタッフの人に献立を聞かなくてもおかずの名前がわかる。」(それまでは、見映えと味からおおよその予想を立てて納得するか、刻まれすぎてあまりに見た目がシュールなものについてはスタッフの方にメニューを確認をして食べていた。)「おお、ご飯が普通になっている。ピンポン玉みたいになってないな。」と、順を追って静かに感動していた。その時、前の席に座っている男性が声をかけてきた。
「お、兄ちゃん今日から普通食やね。」
「そうなんですよ。いやいやここまで長うございました。今日から、おっちゃんと同じものを食べるようになるね。」
「なーに。長いことなんかあるかい。はやい、はやい。ワシなんかミキサー食から普通食になるまで6年間かかってるよ。だから、今は何を食べてもおいしい。」本当においしそうにご飯をほおばる男性の姿を見ながら「誰にもそれぞれ苦労があるのだなぁ。」と思うと同時に、とろとろのミキサー食を黙々と食べている男性の姿と、刻み食になって子供のように嬉しそうな男性の表情とが目の前の本人とオーバーラップして、なんとも言えない気持ちになった。鼻の奥が少しムズムズした。
 普通食のスタートに感動したのもつかの間、今度はそれらに苦しめられることとなった。
箸がまともに使えないのだ。
 この頃、自分の右手は既に相当機能が低下しており、細かい作業は無理な状態だった。食事は、左手に箸やスプーンを持って食べていたが特に問題は感じなかった。食べこぼすこともあまりなく「自分は、両利きの才能があるのではないか?」などと自惚れたことを考えていた。
 ところが、普通食になってからというもの、食器の中でおかずを転がしてしまったり、箸でつまもうとして何度も落としてしまったり、ボロボロとご飯をこぼすようなことが多くなった。
 今まではご飯はピンポン玉位のおにぎりにしてくれていたため、ひとまず突き刺してしまえばよかったし、おかずは小さく刻んであるので食器の隅に寄せて口を近づければ食べることができた。つまりは箸使いの上手下手に関係なく、誰もが食べこぼすことなく食事を終えることができるようにしてもらっていたわけだ。
 普通食になるとそうはいかない。右手に麻痺が残ってしまった今、左手で右手同様に箸を扱うことが求められる。周囲には、持参したフォークやスプーンで食事を取る人がたくさんいたが、自分は箸で食べることにこだわった。「これも大事なリハビリの1つ」と言う気持ちがあったし、フォークやスプーンを使う事は何かを諦めることを象徴しているようでどうしても嫌だった。
 こうして、前途多難な「普通食ライフ」が始まったわけだが、ここにきて自分でもちょっと信じられないような根性を見せることになる。それについては、また次回に。
 

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