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闘病日記(14)痛みと痺れとオノマトペ。

 痛みとの我慢比べ。回復期のリハビリはその一言に尽きる。まるでパチンコ玉がゴロゴロと足の中を転がっているかのような痛み。指が細い釣り糸で締め上げられているかのような痛み。腕や脚の付け根から指の先まで、骨のまわりについている肉ごと誰かにこそぎ取られているかのような痛み。過去に一度も経験したことのない痛みの種類が日に日に増えていく。主治医に相談をしても「脳の病気と言うのは何かと時間がかかるものだから。」と言う言葉を毎回繰り返されるので、入院先から通院可能なペインクリニックに行って症状を訴えてみた。しかしやはり答えは同じ。「痛みは客観的な指標で測れるものではないんです。例えば体温は体温計、血圧は血圧計でみんな同じ基準で測れますが、痛みは主観的なだけに、今すぐにしてあげられる事はほとんどないんです。」といった感じだった。痛みが数値で測れないことぐらいわかっているけれど、一患者としてはわずかな可能性にすがりたい気持ちにだってなる。それくらい痛いのだ。苛立ちはつのった。
 そんな中、看護師さんと会話ができる時間は少しだけ気持ちが楽になった。痛みが激しくて昨夜はほとんど眠れなかったと伝えると「どんな感じ? それはジンジンするように痛いのかな? 」と、次の話が続けられるように質問してくれた。「ジンジンというよりはギリギリ、いやちがうな、キーンといった感じです。」「あーそうか、キーンっていう感じか。それはどのくらい続くの?」といったふうに会話が続いていく。そのうち看護師さんと話す時は、痛みの種類を擬音語や擬態語(オノマトペ)で表現するようになった。話をすることで痛みが緩和されるわけではないかもしれない。けれどこちらのことをわかろうとする気持ちで問いかけてくれる人の存在はとてもありがたかった。  
 子供の頃からよく「人の痛みが分かる人になりましょう」と言われてきたし、自分も誰かに同じようなことを言った経験もある。しかし実際に今の状況になってみてそれはとても難しいということがわかる。痛みを訴える人に「どんな風に痛いの? ジンジンと痛いの?」と問いかけることは、簡単なようで難しいことだと思う。問うてくれることで少し気持ちが楽になり、病気に立ち向かう勇気をもらうことができる。

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