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さらに高くへ![自分の限界の越え方]

はじめに


久しぶりに一つ自分の限界を打ち破ったのでその記憶が新しいうちにアウトプットしておこうと思う。

本記事は自身の限界に悩んでいる方、自身の中にある恐怖との向き合い方に悩んでいる方、パラフライヤーの方、パラグライダーに興味がある方に読んでいただけると幸いである。

なお本記事は2023年8月の公開だが内容は5月時点でのものである。

自身の限界点を見極める

今年でパラグライダーを初めて3年目になった。

パラグライダーという乗り物は、秒間で約1m程度静かに高度を下げながら30-40km/hほどで進む乗り物で、エンジンはついていない。なので静穏な気流の中を飛べばいつかは高度が下がっていき、着陸ということになる。

しかしパラグライダーは上昇気流を捕まえることで飛び立った地点より高い高度へ到達することが出来、より遠くへ飛んで行く事ができる。基本的なパラグライダーの技術的上達とは上昇気流をうまく捕まえ、より高い空域へ足を伸ばし、遠くへ飛ぶ能力を鍛える事が一つの王道的スタイルと言える。

そんな中、私はいつも飛んでいる長野県白馬村八方尾根という場所で海抜高度2000m、テイクオフから上昇約600mという地点を一つの限界点と捉えていた。

これはその限界点をなんとか越えようと経験を積み、なぜその限界点が存在するか自己理解を深め、自身の恐怖をロジカルに解決した記録だ。

経験を積み恐怖心に気付く

何事もまずはがむしゃらにトライする時間が必要と考える。というか、それをしないと自身の限界点も見えてこない。ただ楽しい、ただ没頭出来る、そんな時間を経て問題点、限界点を探り出す事が自己理解の最初となることは間違いない。

経験を積んでいくと、やりたいのに出来ないという限界点が浮き彫りになってくる。気持ちはやってみたい、しかし心が拒んでいる。そんな状況が見えてくる。

この段階で重要なのは“やりたい事を拒んでいる心がある”という事に気づくことだ。人間は自身の弱い心に目を向けるのがとにかく苦手で、本能的にみないよう、気付かないように思考を誘導する。

というのも動物とはそもそも死の可能性を増やすことを選択肢の中に入れることを本能的に拒否するように出来ている。バク宙や水泳の飛び込み、パラグライダーで高いところにいくこと、平穏平凡な日常を捨てて何かにトライすること、これらはすべて自身の生存可能性を脅かすことであり、本能的にやらない方がいいな、と脳は最初から拒否反応を示すのだ。

なので、このフェーズではとにかくどうやら自身に限界点があるっぽいぞ、という事を薄々感じ取る、くらいにしておくと良い。

恐怖心は何に根ざすのか

経験を積み、その生存可能性を脅かしてまでなお限界を突破したいという気持ちが芽生えたら、次は拒否する心は何に根ざす恐怖なのかということを理解するフェーズに入る。ここでは理解していることとしないように脳が拒んでいた事を分けて考えると良い。

私は自身の恐怖心は以下に根ざしているものだという事がわかった。そして同時に理解しないように脳が働きかけていた部分も浮き彫りにしていった。

高所は怖いという漠然とした恐怖

高い空域は基本的に低層より風が強く、荒れているという理解をしていた。しかしそれが本当であるかどうかを理解すること拒んでいた。

サーマルに乗り続けるという恐怖

サーマルとは上昇気流のことだが、上昇気流に上手く乗れないと非常に翼が不安定になる。それが元で潰れが発生して空の上でドキリと心臓が跳ね上がる。また基本的サーマルトップ(上昇気流の天井)は荒れている事が多く、ずっとサーマルに乗り続けていると結局最後はうまく乗っていても不安定になる。そんなストレスがかかる状況に長い時間いることがストレスとなり、逃げてしまう事が多かった。

すぐに着陸出来ない空域へいく恐怖

先にも書いた通り、パラグライダーは静穏空間で秒間1m程度下降していく乗り物だ。なので、対地高度1000mにいる場合、着陸までに1000秒かかる計算になる。おおよそ16分程度だ。空の上でギリギリまで精神をすり減らし上昇して、そこからさらに16分飛行した上で安全に着陸するというのはかなり疲れる作業なのだ。

課題が見えたら理解と経験で解決する

学生時代テスト期間が始まるとお馬鹿な私は“自分は何がわかっていないのか”という事をまず考える必要があった。その作業と今回の作業は少し似ている。ただ今回の場合は“脳が生存可能性を高める為理解を拒否する”という本能的な部分を理解する必要があったため、自己理解としてより深いフェーズにあったように思える。

正直ここまで来れば、あとはやることは簡単だ。課題を理解で解決できる部分と経験で解決する部分に分けてただやれば良い。

高いところ怖いの解消−理解での解決−

“高いところは怖い”はより空という空間を理解する事と、しっかりと予報を頭に入れることで解決した。

まず漠然とした理解で自身の中にあった“高い空域は風が強くて荒れている”いうのが本当にそうなのかどうかをラジオゾンデ予報を見て、今日はどの程度まで高度を上げても問題ないのか、という理解を自身の中に作り本当にそうなのかどうかを検証した。

※ラジオゾンデ予報の見方はアプリでWindyを開き、時間帯を設定したあと、予報を知りたいエリアを長押し、サウンディングを開くと気温と結露、風の予報が見る事ができる。

この二つの作業しっかりしておくだけで自身の中にあった恐怖は驚くほど綺麗に消えていった。こんな当たり前なことを書くとパラフライヤーの方にそんな情報も頭に入れず飛んでいたのか、と怒られてしまいそうだがぜひご容赦いただきたい。

荒れている空を楽しむ力をつけるー経験での解決ー

経験での解決に関してはただただ自分を鍛え上げるしかない。荒れている上昇気流に乗り続けていることや、空で過ごす時間を少しでも増やすには、自分の中から逃げを無くし、とにかく自身の臆病心に喰らい付いて戦っていくしかない。

とはいえ、これは救いのない自己鍛錬というものでもない。結局のところ“俺が怖いものは結果みんな怖い”という理解もまた自身の恐怖心を否定しきらなくて良いという助けになるかもしれない。

先輩パイロットに「今日の空めちゃくちゃ荒れてましたけど、怖くないんですか」という質問を投げかけた事がある。

「自分が怖いと思っている時、大体みんな怖いって思いながら飛んでるよ。下に降りて話してみたら大体みんな同じこと考えているものだよ。あいつ無駄に頑張ってるな、仕方がないから一緒に喰らいつくか、って思って飛んでたら、全く同じことを相手も思っていて、どっちも相手に早く降りないかなと思いながらヘトヘトになってた飛んでたなんてよくある話だよ」

特殊なアスリートでなければ人の限界というのは大きく異なってくるものではない。つまり自分だけが特別弱かったり、特別強かったりなんてことは基本的には思い込みにすぎないということだ。何か新しい事を始めた時人より出だしが劣っとているなと感じる事、人より少々感がいいなと思う事は往々にしてある事だが、結果遠方にあるゴールを先に踏めるのは歩き続け、考え続けた者だという事である。

結びに

最後になるが一つだけ留意しておく事がある。これは自身の限界を越えようともがいた私の記録であり、誰か今まさに自身の限界と戦っている人の元に届き、何かしらの良い影響が生まれれば良いと思って記事を作っている。

ただこの考え方が自己の限界を超えていけ強制トレーニング法!のように使われるのは本意ではない

最初に述べたように個の限界というのは生存可能性を最大化するように設定されているものだ。たとえそれを超える事が出来ず、その後生存がジリ貧であったとしても、無理に限界を越えようとして即時アウトにならないよう本能が警告を出しているのが“なんか無理かも”という限界点なのだ。

なので自身に対しても、他者に対しても、準備が整い主体的に行動が始まっていないのにも関わらず限界を超えていく事を良しとしはならない。

つまり“誰しもが痛みを伴う成長を求め喜んでいわけではない”という事だ。むしろ生物としてはそんな考えは異端的であると言っていいだろう。恐怖に出会った時逃げない動物は人間以外に存在しないのではないだろうか。

ただ、この激ヤバな世界をより楽しんでやろうじゃないかという気持ちを持っている仲間たちが獣の本能を人間の知性で乗り越え、さらに面白い遊びを相互に届け合えればと願い、結びとする

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