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聞き流せるぐらいがちょうどいい。レニー・グラビッツ
僕は『ブックオフCD250円コーナーウォッチャー』を自称している。
何か暇つぶしをしようにもお金のない学生時代。別にパチンコもバイクも特に興味はなくやることがない。
だからその頃から購入代金を節約するため、フラッシュゴードンみたな映画を借りにゲオへ行くか、
ブックオフへ行ってヴァニラアイスのように安く叩き売りされている中古作品を品定めをしにいく。
それはある種の骨董収集家のような意識でいた。
長年、そんなCDの買い方やDVDの借り方をしていたためか、どうもこのおかしな『安っぽさ』ということに惹かれる。
例えばこんなフォントどこで見つけたんだよって思うようなタイトル、ハイテンションなキャッチコピー、白っぽく印刷が薄くなったCDやサイズいっぱいに顔を写しているCDジャケットたちが並べられているのをみるとどこか心がうずくのだ。
ブックオフで叩き売りされる作品たちはキャリアの中での失敗作や一発ドカンと売れた作品などがほとんどになる。
250円コーナーの面白さというのはアーティストたちが時代に振り回された
ある種のポピュリズム流星群的なところにあるのだろうと僕は勝手に思っている。
きらびやかな一瞬の光。それは一発屋といってもいいし、華麗なる経歴における黒歴史といってもいい。
ヒップホップで一世を風靡したMCハマーやヴァニラアイスがギャングスターやラップコアと呼ばれる本物の脅威に贖おうとして
失敗した作品やオルタナティブという単語に翻弄されたMetallicaのload、reloaded、
そしてなんか薄く感じるティーンポップにあたるtatuにアブリルラヴィーン。
そう思えばステイシーオリコなんかあれだけラジオでローテーションされていたのにもうだれもおぼえていない。
だからなんとなくだけどそれらの共通しているのは「90年代のオルタナティブムーブメントとFMラジオ」にあるかと思う。
それはとにかくアーティストが「何をやったらいいんだ」という”もがき”と「みんなが流し聞きをするならこの程度でいいよね」という”楽観”の二面性がブックオフ250円コーナーにはあると思う。
90年代という時代はグランジ旋風におけるテーマが内省的なのと、
タイアップに乗せて聞かせる商業的な軽い音楽の両極端にあった時代だったのだろうかと。
だから言っちゃえばこの時代っていい意味でも悪い意味でも最後のアーティシズムと
コマーシャリズムの潮流がちょうどいい塩梅にぶつからなかったじだいだったんだろうな。
だからこそ正解のわからないオルタナという単語はいわばなんでもありの潰れかけの雑貨屋みたいなもんになってしまったんですよ。
結果として失敗作やいわゆる一発屋が量産され、250円コーナーというゲットーが形成されていったのかと僕個人は考えています。
だけどこのなんでしょうか?名盤ではないというところがめちゃくちゃいいんですよ。
名盤って名著で考えればわかりやすいかもしれないけど『戦争と平和』とか『白鯨』なんかはめっちゃ読みにくいじゃないですか。
でもこれはオリジネーターであって唯一無二なわけですよ。だから代替えができない。
それと同じで名盤と言われている作品はオリジナルゆえにめっちゃ聞きにくいというか流し聞きができないんですよね。
だから聞くのがしんどいんですよ。アーティシズムが強すぎるから。
だけどこの250円コーナーにある作品って時代の流れに沿ったものばかり
でオリジナリティが低い=アーティシズムがめちゃくちゃ弱い。
そんなわけでどうでもいいような時に聴きたくなるようなのがこの250円アーティストなのだ。
そしてこの250円コーナーの王者ともいうべきアーティストがいる。
その名はレニーグラヴィッツである。
多分、ほとんどの日本人ならこの人のギターを聞いたことがあるかと思う。
とにかくCMでよく聞く。何遍擦り倒される自由への疾走はもはやビリケンの足の裏ぐらい擦れている。
レニーグラビッツって不思議に思いませんか?
確かに『自由への疾走』っていうアルバムは完成度は高いと思うんですよ。
確かマルチプレイヤーで全部の楽器を自分でやっているみたいだし。
だけど全編通して聞いてもリードソング以外何も覚えていないおかしなことが起きる。
どこをどう思い出そうとしてもその曲のギターリフしか思い出せない。
考えてみればそれは結局、言霊的なのが洋楽にもあるんじゃないだろうか?
rage against the machineならなんか怒っているように感じ取れたりするじゃないですか。
初期のkornだって辛そうだし。
だから聞いてなんとなく感じるのが名盤なわけですよ。
だけどレニーグラビッツにはそれらの一切がない。
耳にはいいんですけど音楽以外が何もないんですよね。主張的な弁明が。
だから彼の正しい聴き方ってラジオから流れてきたりベスト版で聞くのが一番いいんですよ。
主張とかはなくいい音楽だけを作っている人だから。
今これに一番近い人って誰だろうと思うと一人いたんですよ。
vaundyっていう人が。
彼の作る音楽ってめちゃくちゃ多作で器用だなって嫌味じゃなく本当に敬意を持って思っている。
歌もうまいし、セルフプロデュースなど本当にすごいし素晴らしい。
だけどなんでしょうかこの軽さは。すごくあっさりしている。
対極で比べるわけではないけど、藤井風なんかはコッテリしていて気軽に聞けないんですよ。
ここの差って何かなと考えればそれはやっぱり主張性の強さなんだろうなと。
この要素の濃度が上がれば上がるほど聴きにくくなってくる。特にタイアップには向かなくなってくるんだろうなと。
だからvaundyとレニーグラビッツってラジオで聞くとめちゃくちゃいいわけなんですよ。
彼らの創作行動は見てきた情景や受けた肌感覚、怒りの表明を共有することではなく、
ただただ「いい音楽を作る」というところにあるんだろうなと。