上告趣意書全文
はじめに
8月末日に朴くんの弁護士さんより最高裁判所に上告趣意書が提出され、現在はその審議中になります。上告趣意書提出の際には皆さまからいただいた署名も添えていただきました。
「上告趣意書」とは、原判決である高等裁判所(二審)の判決が不当であることを細かく記載した書面です。高等裁判所(二審)の判決に不服がある際に最高裁判所に上告することができますが、上告をした場合、被告人及び弁護人は、一定の期限までにこの書類を提出します。
最高裁判所の審議の結果、これまでの裁判で憲法解釈の誤りがあることや、法律に定められた重大な訴訟手続の違反が認められた場合(上告趣意書の内容が認められた)にはそれまでの判決が破棄され、差し戻しされ高等裁判所での再審議が行われます。もしくは突然「棄却」となり裁判が終了、刑が確定することになります。
上告趣意書を提出すれば、最高裁判所でも一審・二審のように法廷で裁判が開かれると思っている方が多いと思うのですが、実は日本の三審制において、最高裁判所が上告趣意書の内容を認め再審議を最高裁判所で行う事は大変稀です。最高裁判所では上告趣意書の内容に従って「これまでの審議が正しく行われてきたのか?」を書類から判断され、結果が出るのです。
下記に提出された「上告趣意書全文」を弁護士さんの許可をいただき掲載いたします。プライバシーに配慮し、人名などは伏せております。これまでの裁判の不当性を訴える内容は最高裁判所でどう判断されるのでしょうか?現在開廷されているわけではありませんが、私達は多くの方にこの裁判について関心をもっていただきたいと願っています。
朴鐘顕くんを支援する会
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上告趣意書全文
令和3年(あ)第319号
上 告 趣 意 書
2021年8月31日
最高裁判所 御中
被 告 人 パ ク チ ョ ン ヒ ョ ン
弁 護 人 C
弁 護 人 D
弁 護 人 E
上記被告人に対する殺人被告事件についての上告の趣意は,下記のとおりである。
記
第1 はじめに 6
第2 本件の経過と原判決の概要 6
1 第1審の経過と争点 6
2 第1審の判決 8
3 控訴趣意と控訴審の審理 9
⑴ 控訴の趣意 9
⑵ 控訴審の審理経過 10
4 原判決の概要 11
⑴ 訴訟手続の法令違反(不意打ち主張)について 11
⑵ 事実誤認の主張のうち判断構造の誤りの点について 11
⑶ 事実誤認の主張のうち第1審判決の根拠を否定したことについて 13
⑷ 事実誤認のうち控訴審が独自に検討した点について 14
第3 原判決の問題点(総論) 18
1 はじめに 18
2 顔の血を見落とした 18
⑴ 顔の血の存在 18
⑵ 原判決の誤り 19
⑶ 顔の血は原判決がもっとも重視している点と言える 19
⑷ 何故見落としたか 20
⑸ 顔の血の意味 21
3 唇に傷があった 21
4 その他の前提事実の証拠の欠落 22
5 原判決の経験則は一面的であること 24
6 原判決の構造についての注意 25
7 その他の原判決の問題点 26
第4 第1審判決が不意打ち認定であったこと 30
1 はじめに 30
2 原判決の誤り 30
⑷ 裁判員制度の趣旨と審級の利益に反する 41
⑸ 結語 42
第6 重大な事実誤認(自殺の排斥の不合理性) 43
1 F氏の遺体の痕跡を有罪の根拠とした原判決の事実認定の誤り 43
⑴ 顔に血が流れた痕跡を見逃している 43
⑵ 一方的な経験則の適用 46
ア 前提となる推論が根拠薄弱である 46
イ 手の血痕に関する論理は不当である 50
ウ 着衣に関する推論の不合理さ 53
エ 顔面の痕跡に関する論理の不合理さ 55
⑶ まとめ 58
2 階段上で自殺した場合に残る痕跡をもとにした推論の誤り 58
⑴ 前提となる論理の誤り 58
⑵ 現場の痕跡について 60
⑶ 着衣の痕跡について 61
3 尿斑についての説示の非合理性 62
⑴ 原判決の論理 62
⑵ 一時的失禁の現実的可能性がなかったとする論理の誤り 62
⑶ 膀胱内の尿に関する推論の非合理性 63
⑷ 階段上の尿斑についての推論の非合理性 65
4 唾液混じりの血痕についての説示の非合理性 67
5 自殺はすべてを説明する 70
⑴ 自殺した場合の仮説の内容 70
⑵ 寝室の尿斑及び唾液混じりの血痕 70
⑶ F氏の両手,着衣,顔の前面 71
⑷ 階段上の血痕 71
⑸ F氏の下顎部から頸部にかけての擦過傷および索状痕 71
⑹ 階段上の尿斑 72
⑺ 階段手すりの留め具 72
⑻ 小括 73
第7 重大な事実誤認(他殺ストーリーの不合理性) 73
1 有罪ストーリーだと説明できない証拠 73
⑴ あごの擦過傷 73
⑵ ジャケットの唾液混じりの血痕 76
⑶ パジャマ上衣の血痕 77
⑷ 索状痕 78
⑸ 階段上の血痕 80
⑹ 子供部屋ドアの包丁痕など 80
⑺ 有罪ストーリー自体の不合理さ 83
ア 検察官の有罪ストーリーの不自然さこそ問われるべきである 83
イ 有罪ストーリーの想定 83
ウ 死戦期の創傷ではない 84
エ 血はすぐ出ない 91
オ 百歩譲っても不自然 92
2 判断構造の不合理性 93
第8 まとめ 96
※(支援する会 注:見出しに続く数字は原本のページ数を指しています。)
第1 はじめに
本件は被告人が妻の頸部を圧迫して殺害したとする公訴事実について,第1審が有罪判決を下し,原判決も結論においてこれを是認した。
しかしながら,① 他殺であるとの認定は誤りであり被告人は殺害していない(重大な事実の誤認),② 第1審が左前額部の傷と現場の不整合を有罪認定の中核にした点について,不意打ち認定の違法がないとした原判決の訴訟手続の解釈も誤りである(法令の違反)。
そして,③ 原判決は第1審判決の中核的な有罪根拠が誤りであると認めながら,第1審で何ら問題となっていない点を持ち出して新たな有罪認定をして自判をしたが,裁判員の判断を求めるべきであったこと,被告人の審級の利益を奪ったこと,攻防となっていない点で有罪とした不意打ちがあり,少なくとも差し戻すべきであった(憲法違反及び判例違反,法令の違反)。
第2 本件の経過と原判決の概要
1 第1審の経過と争点
本件は,夫である被告人が妻F氏を自宅で頸部を圧迫して殺害したという公訴事実であった。
検察官は,1階寝室のマットレス上において頸部を圧迫して脳死状態にさせ(失禁もさせた),その後心停止に至るまでの間に(第1審では検察官は死戦期と表現した)F氏を引きずって動かし階段から落とすなどして左前額部の傷を負わせ,その頃,先の寝室での頸部圧迫により窒息死させた,と主張した。
これに対し弁護人は,産後うつなどから精神的に不安定になったF氏が寝室で寝ていた生後9ヶ月の第4子Gを道連れに死ぬ,などと言い出したことからこれを止めるために1階寝室でもみ合いとなり,その後F氏が錯乱して包丁を持っていたことから被告人は2階の子ども部屋にGを抱いて立てこもり避難した(子ども部屋のドアの外側には包丁で突き立てられた跡が12箇所ある)。しばらくして部屋から出てみるとF氏が階段上で被告人のジャケットで首を吊って自殺しているのを発見した,と主張した。
そこで第1審では,他殺であることが間違いないか,自殺の疑いがあるか,が争点となった。
第1審の公判前でも公判においても,後に述べる第1審判決が有罪の中核とした左前額部の傷と現場血痕の整合性,という観点からの主張立証は行われていない*1。検察官の論告での主な主張は,寝室の尿斑と唾液から1階寝室マットレス上で頸部圧迫による窒息第2期後半を迎え,その後反射的に手を突くなどして防御した形跡がないことから死戦期の脳死状態で左前額部の傷を負った*2。被告人の階段上での自殺という主張に対して手すりにジャケット繊維の痕跡がなく階段上に尿斑もない,などというものであった。
これに対し弁護人の主張は,主に左前額部の傷の出血量から,死戦期ではなく活動時(心拍が活発にある状態)に出来た傷であり,F氏は寝室で殺害されておらず,その後にF氏が行動できたことを意味すること,寝室の失禁や唾液混じりの血痕は,被告人と錯乱状態のF氏のもみ合い(格闘)により説明がつくこと,など検察官が主張する間接事実は,むしろ他殺に疑いをもたせるか,少なくとも自殺でも説明がつくものであること,その他自殺に沿う事実(首の索状痕,ドアの包丁痕,産後うつの診断記録等)があり,他殺に間違いないとは言えない,というものであった。
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*1 検察官の主張と争点整理の経過については,2019年6月28日付け控訴趣意書第9(66~77頁)にまとめた。
*2 検察官の脳死状態で出来た傷であるという主張の根拠は,第1審のH医師の死戦期の傷であるとする意見(第1審判決で否定されている)の他には,現在問題となっているF氏の顔に血が流れた痕跡がないとか,手や物で拭いたり、顔を拭いた痕跡がないとかいうものではなく,単に転ぶ時には手を付くのが自然であるのに手を突いていないと思われるから,という程度のものでしかなかった。
2 第1審の判決
第1審は,
① 1階寝室マットレス上の痕跡に,窒息の第2期後半で生じることがある失禁と唾液に血が混じることの2つが揃っている一方,被告人方のそれ以外の場所に第2期後半の状態を経過した痕跡がなく,被告人が1階寝室マットレス上で頸部を圧迫して第2期後半の状態にさせたこと(窒息死させたこと)が推認される
② (上記①の失禁と唾液混じりの血痕は,相当に不自然ではあるものの個別に見れば弁護人主張でもあり得ないとまでは言えないため)自殺ストーリーが現実的な可能性としてあり得ると言えるかが問題となるが,階段上で自殺したということであれば,被告人方内の血痕の付着箇所が寝室2か所及び洗面所の3か所,階段及び階段下の10か所の合計15か所というように限られた範囲にとどまってるのは,どう考えても説明が困難である
③ その他階段上に尿斑がないこと,階段手すりからジャケットの繊維が検出されていないこと
から,結局「自殺ストーリー」は全体としてみると現実的なあり得る可能性とは認められず,弁護人の主張する自殺の可能性はいまだ抽象的なものにとどまり,他殺の推認を妨げない,と判示して有罪とした(なお量刑の理由ではあるものの,殺害の動機は明らかでないことや,経緯に係る被告人の供述を排斥すべき証拠はないことから,F氏が包丁を持ち出し尋常でない状態であったことは否定できない,とする)。
3 控訴趣意と控訴審の審理
⑴ 控訴の趣意
第1審判決に対し被告人は控訴をし,控訴趣意では,
① 第1審判決が,左前額部の出血と現場の血痕の整合性を有罪判決の中核にした*3のは,公判前整理手続でも公判でも検察官が全く主張しておらず攻防の対象になってないものであり,不意打ち認定であり訴訟手続の法令違反がある
② (事実誤認の前提として)第1審判決は,自殺の可能性はないか ら他殺であるという消去法的事実認定をする場合には,自殺の可能性が抽象的なものであるという排斥では足りず,「自殺でないこと」が間違いないと言えなければならないのに,自殺は現実的なものとはいえないという程度で排斥しており,立証責任を実質的に転換する判断構造を取っている
③ 第1審判決の左前額部の出血と現場の不整合は,前提を誤った論理則経験則に反するものであり,その他の有罪根拠を含め被告人が殺害したとの認定は誤りである,という事実の誤認
を,それぞれ主張した。
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*3 上記整理のように第1審判決は,尿班と唾液混じりの血痕という2つから他殺を一応推認しているようにみえるが,そこでは原判決も説示するとおり弁護人からの疑いを検討したものではなく,かつ,第1審判決自身も個別に見れば弁護人主張でもあり得ると認めているのであるから,有罪(自殺の疑いはない)の中核は,自殺を否定する主要根拠である,左前額部の出血と現場の不整合という間接事実ということになる。
⑵ 控訴審の審理経過
上記の控訴趣意に対応して,控訴審では,証人として,F氏の搬送先の救急医I医師,司法解剖したJ医師(第1審にも出廷),スポーツドクターであり生体の治療を行っているK医師について,特に左前額部の傷と出血量,出血の仕方等を中心に証人尋問が行われ,現場のルミノール検査をしたL警察官の証人尋問をはじめとして現場の血痕の痕跡について第1審で統合証拠となった原証拠や統合証拠に含まれなかった証拠などが取り調べられた。
控訴審の審理の経過においては,F氏の手の写真(検視時)が調べられ,検察官も手に血痕がないという主張はしていたものの,後に述べる控訴審が再び他殺であり有罪とした主要根拠である,現場の物(タオルや衣服等)に左前額部からの出血を拭いた痕跡がない,とか,F氏の顔に血が流れた跡や拭いた跡がない,などという点は全く争点とされず,その点について裁判所から攻防を尽くすように釈明を求められたこともなかった。
控訴審の審理は,第1審の当否-第1審が有罪の中核とした左前額部からの出血と現場の整合性についての控訴趣意-を審査するものとして行われており,その点が攻防の中心であった。
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*4 前提として第1審判決は,寝室マットレス上の2つの痕跡から他殺を推認しているが,失禁も唾液に血が混じることも窒息死特有のものではなく,かつ,必ず生じるものではないため,到底他殺の有罪認定をしてよいレベルの証明とは言えない。第1審の判断構造の誤りについては,控訴趣意書第2の3,4参照(11~20頁)。
4 原判決の概要
(☆以下原判決の要旨であり,既読の場合は18頁第3へ)
⑴ 訴訟手続の法令違反(不意打ち主張)について
① 訴訟経過等によれば,被害者の窒息死の原因が,被告人による他殺か被害者の自殺かという争点に関連して,当事者間において,本件挫裂創(左前額部の傷)が生じた時期及びその時点で被害者が死戦期(脳死状態)にあったかという点に争いがあり,当事者は主張立証をしていた。
② 上記対立点を巡って,①本件挫裂創の状況から想定される出血量,②現場に遺留された血痕の状況も考慮要素として主張された。
③ 第1審検察官は,公判前整理手続及び公判において,本件挫裂創の状況から想定される出血量と現場の血痕の整合性について主張していなかったものの,訴訟経過等を踏まえると,自殺ストーリーでは両者が整合しないことの説明が困難であることを,自殺ストーリーを否定する主要な根拠とすることは,取り調べた証拠により認められる事実をどのような方向で評価し,あるいは当該事実からどのような推認をするかという自由心証の範疇であって,第1審裁判所において,この点を争点として顕在化する措置を講じる必要があったということはできない(弁護人の主張は,検察官の主張に拘束されるということに帰するもので採用できない)。
⑵ 事実誤認の主張のうち判断構造の誤りの点について
控訴審弁護人は,第1審判決が事件性の推認として判示する点について,寝室の尿斑と唾液混じりの血痕から他殺を推認したことは,窒息死の他殺を有罪認定できるほど蓋然性の高い証明とはいえず,消去法的有罪認定(自殺でない)をするには,自殺でないことが間違いないと言えなければならないのに,現実的可能性は認められないなどとおよそ有罪認定をしてよい程度の証明がなく立証責任を転換するものである,との主張をした。
これに対して原判決は,以下のように判示した。
① 寝室に痕跡2つが揃っている一方で,被告人方にはそれ以外に,被害者が第2期後半の状態を経過したことを窺わせる痕跡が見当たらないことからすれば,これらの痕跡は他の要因でも生じ得るとしても,第2期後半の状態を経た場所は,被告人方で唯一痕跡が揃っている寝室内であると推認することは合理的な判断である。
② 本件マットレス及びカバーの状況等や,被告人の顔面や右腕には被害者の抵抗により生じたと考えて矛盾のない痕跡が認められることなどを総合考慮すれば,寝室内で被害者の頸部を圧迫し,窒息死した事実が推認されるとした第1審判決の判断は不合理ではない(この段階での判断は,第1審弁護人の主張に対する検討を経たものではないから,合理的疑いを容れない程度に推認できるものではなく,一応は合理的に推認できる趣旨である)
③ 本件の争点は,被害者の窒息死が,他殺によるのか,自殺なのかというものであり,自殺の可能性について合理的な疑いが生じないということは,他の可能性として想定される唯一のものが排斥されるという意味で,他殺の認定にあたっても,積極的な意味合いを有するのであって,第1審判決も実質的には,本件推認と自殺ストーリーが排斥されることを併せて,本件殺人の事実を認定したと解することができる(第1審判決は,第1審弁護人のいう自殺の可能性はいまだ抽象的なものにとどまると説示しているが,それに先立ち,第1審の証拠関係を踏まえた検討をして,被告人が供述する自殺ストーリーを前提とした自殺の可能性は現実的にあり得る可能性とは認められないとしているのであって,常識に照らして,被害者の自殺の可能性はないという判断をしているものと解される)。
⑶ 事実誤認の主張のうち第1審判決の根拠を否定したことについて
控訴審弁護人は,第1審判決が,F氏の左前額部の挫裂創から想定される出血量と現場の遺留血痕がどう考えても整合しないとした点について,不意打ち認定であるとの主張とともに,事実そのもの(血痕の限定性)が誤りであると主張していた。
これに対し原判決は,原審での証拠調べも踏まえて以下のように判断した。
① 本件挫裂創は,静脈系の毛細血管が損傷した傷であり,負傷後間もなくたらたらと血が流れる状況になり,出血しないで立った状態でいると,血が顔の下の方に垂れていき,目尻やまぶたに掛かったり,目に入ることもあり,頬を伝って下に垂れてくると考えられる。
本件挫裂創は縫合を要する傷であり,想定される出血量は数十mlから100ないし200ml程度である。意識があればかなり痛い傷である。
頸部を圧迫された場合,血圧の上昇により出血量は増えるし,出血が止まっていた場合でも,その後窒息状態になった場合には受傷直後に比べると少ないものの再出血することもあり得る。
本件挫裂創からの出血がどの程度の痕跡を現場に残すかという点については,止血の有無や仕方,被害者の体勢や行動,地面に対する傷口の向きなどによって変わってくる。
② 現場の血痕は第1審に表れていなかったものとして更に13か所を考慮すべきだったのであり,第1審の前提は客観的事実に反しており,前提事実を誤っている。
③ 被害者が立っている場合,本件挫裂創からの血が顔面を伝ってたらたら流れるが,そのうちの相当量は着衣に付着するなどして床に落ちないと考えられる上,被害者の体勢や行動等によって,どの程度の血が床に落ちるかも変わるという点も踏まえると,どの程度の量の血が床に落ちるのかは証拠上判然としない。
以上から,第1審判決は,被告人方内の被害者のものである可能性がある血痕ないし血痕ようのものが付着した箇所のうち,半分近くを考慮していない点で,前提を誤っている上,本件挫裂創の状況から想定される出血量や出血の態様等に関する十分な検討を欠いたまま,自殺ストーリーについて,被告人方内の血痕の付着箇所が合計15か所にとどまっているのはどう考えても説明が困難である旨の説示をしたことは,客観的事実及び経験則等に反して不合理である,とした。
その上で,控訴審独自の検討により,新たに別の理由で有罪という結論は維持される,とした。
⑷ 事実誤認のうち控訴審が独自に検討した点について
① (本件挫裂創の傷の態様や出血の仕方等からすれば)被害者は,本件挫裂創の部分に手を当てるなどして状況を確認したり,本件挫裂創から流れてくる血を物や手で拭うなどの行動にでるはずである。
被害者が血を拭うなどしたのであれば,その際に使った物あるいは手などに痕跡が残るはずであり,通常は被害者の顔にも,血を拭うなどした痕跡が残ると考えられる(拭っていないのであれば,被害者の顔面に血が流れた痕跡が残ると考えられる)。
② 検視時に撮影した被害者の両手両足には,血液が付着した状況や痕跡は認められず,救急搬送された際もI医師によれば痕跡は確認できなかったところ,被害者の両手両足を拭くなどしたことをうかがわせる証拠はないから,窒息死した時点でも,同様の状態であったと推認できる。
③(拭うなどしたものがあるかについて)被害者のパジャマは,左首元から左肩付近は顔との位置関係から顔の血を拭うなどした痕跡とは考えられないし,左胸付近及びみぞおち付近は少量であり血を拭った痕跡とは考えられない
ジャケットは5か所に付着しているが,いずれも少量であることが認められるから,傷を押さえたり血を拭うなどした疑いは認められない。ジャケットの前身頃の下端部分は血痕が広いが,その部分で血を拭ったとするとその位置からして,被害者の手に血が付くと考えられる上,本件挫裂創の出血量からすると付着量が少量すぎる。仮にジャケットで血を拭ったとすると自殺を図った際に被害者の手や首に血が全く付着しないという事態は想定し難い(検視時の写真には手や首に痕跡がない)。
④ タオルや軍手の血痕は,被告人の事後に拭く際に使用したとの供述は信用できるから,被害者が血を拭うなどしたものではない。
⑤ 検視時の被害者の顔の写真からは,挫裂創の周囲以外の額の部分には血液の付着はなく,血が流れたような痕跡も,血を拭いたような痕跡もない。
救急搬送時の顔の写真(原審検6)でも,血液が付着している状況は窺われず,挫裂創からの血が流れたような痕跡も,血を拭いたような痕跡も見当たらない。
被告人はタオルで顔の左半分を拭いたと供述するが,顔に痕跡が全く見当たらないほどきれいな状態にまで拭き取ることは困難である。
⑥ 血が手に付着した痕跡がなく,血を拭うなどした物が見当たらないことからすれば被害者が本件挫裂創を負った後も血を拭うなどしたことがない事実を推認することができ,かつ,被害者は本件挫裂創を負った時点で意識を消失しており,意識を回復することなく死亡するに至ったと推認することができ,被告人が被害者の頸部を圧迫して第2期後半の窒息状態を経て窒息死させたという本件推認を強く支える。
⑦ (階段上で窒息死したとすると本件挫裂創から再出血し相応の出血量であったと推認することができるところ)被告人の供述によれば下から2つめの手すり留め具で自殺していたというが,階段上の2か所(1,3段目)しか血痕がないのは,相当に不自然である。
被害者の着衣の血痕も位置関係や少量ということと整合しない。
⑧ その他第1審判決も指摘する,階段上に尿斑がないこと,手すり留め具からジャケットの繊維が検出されていないことも指摘できる。
⑨ 自殺の直前に受傷したとしても自殺に向けた行動を取る中で,傷の状況を確認したり,血を拭うなどすることが全くないとは考え難い。
痛みだけではなく,視界の妨げになったり目にしみたりするはずである。
⑩ (弁護人の手を洗った可能性があるとの主張について)自殺に向けた行動を取っている者が,本件挫裂創を押さえるなどして手に血が付着したからといって,洗面台まで行って手を洗うというのは,些か不自然との感を免れないし,手を洗った後も本件挫裂創からの出血や痛みがなくなるわけではないから採用できない。
⑪ (弁護人の受傷後意識を失っていた可能性があるとの主張について)本件挫裂創から流れた血が顔や髪の毛に付着しているはずで気になって触ることも考えられるし,意識回復後も相応の痛みを感じることが十分に考えられるから,自殺に向けた行動を取る中で,本件挫裂創の状況を確認したり,顔等に付着した血を拭うなどしていないことが,意識があった場合ほどではないにせよ,不自然であることに変わりはない。
⑫ (意識を喪失した際に仰向けで頭髪方向にだけ血が流れた可能性については)血だまりがあった場所(階段と玄関の中間やや階段より)の位置からして,受傷したのが階段を上る際だとすれば血だまりの付近で仰向けとなる倒れ方は想定し難く,下りる際だとすると,体が半回転することになるが相当の勢いで階段から転がり落ちる必要があるが,被害者の全身の創傷の部位・程度と整合しない。
結局,受傷と同時に意識を失い顔に流血が付着しなかったという状況は想定し難い。
⑬ 個体差はあるものの窒息第3期は典型的には1分間程度と解されるから,被告人が寝室内で被害者を窒息させて失禁させた後,被害者を階段付近まで運び,本件挫裂創を負わせることが不可能とはいえない。
⑭ (失禁について第1審判決が,一時的な失神で多量の失禁をした後,短時間で意識を回復するのは不自然であると判断した点は,医学的知見に反しており不合理である,と認定したものの),救急搬送時に10ないし20mlの尿が残存していたことが明らかとなったが,自殺ストーリーによれば階段上で窒息死したことになるが,少量とはいえ,膀胱内の尿が失禁により排出されるのが自然であり,階段上に尿斑がないことの不自然さが一層明らかとなった。
パジャマズボン及びパンツの前面にしか尿斑がないこととも整合しない。
⑮ (マットレスの唾液混じりの血痕について)解剖したJ医師によれば,鼻,口唇部及び口腔内に目立った出血の痕跡はなく,何らかの理由で出血することがあるとしても微量なはずで,本件マットレス及びカバーの付着状況とやや整合しない。被害者が本件マットレスではうつ伏せの状態であったことからすると,鼻腔内の血が口腔内に行き,唾液と混じる可能性は小さい。鼻から出る場合には口から出る唾液とは位置がずれることになり,3か所全てで血液と唾液が混じり合う可能性も相当低い。
(以下,第4の2⑻その他の所論について,は省略)
第3 原判決の問題点(総論)
1 はじめに
原判決は,第1審が有罪の中核とした認定根拠を客観的に不合理として排斥しておきながら,さらに第1審でも控訴審でも問題になっていない新たな根拠を持ち出し有罪とした。
しかし,この原判決には,以下のような問題がある。
① 原判決が根拠とする事実ないし推認力について,弁護側に防御の機会を与えていない(第1審に差し戻すか,少なくとも控訴審で争点として顕在化させるべきであった)
② 原判決が有罪とする間接事実は,多数の前提の誤りがある。これは,①の弁護側に防御の機会を与えなかったことから証拠を提出できなかったり,あるいは原判決が見落としたためである。
③ 原判決が有罪を導くための推論過程は,あまりに一面的であり,およそ反対仮説を排斥できるものではなく経験則の適用に大きな誤りがある(それは事実誤認を意味すると同時に,健全な社会常識によって判断されるべきものとして第1審に差し戻すべきであった根拠とも言える)。
2 顔の血を見落とした
⑴ 顔の血の存在
原判決には重大な誤りが多数存在するが,最も致命的かつ根本的誤りは,F氏の顔に残された血の跡を完全に見落とした点である。
F氏が救急搬送された病院で治療中に顔写真が撮影されている。
そこには,はっきりと左前額部から真下方向(つまり体勢が立っていて垂直方向)へ左顔端全体に渡り血痕が付着した痕がある。これはF氏の自殺を示す証拠である。
(支援する会 注:原本ではここにFさんの顔写真が掲載されています)
⑵ 原判決の誤り
原判決は,検視時の写真には左前額部付近以外には血液の付着はなく,救急搬送時にも血液が付着している状況がうかがわれず,血が流れた痕跡も拭いたような痕跡もない,という間接事実を認定した上で,自殺ストーリーを前提にすると顔の左半分に血が相応に付着するはずである,それを血が流れた痕跡も,拭いた痕跡も見当たらないほどきれいに拭くことは困難である,という経験則を用いて,結果,上記間接事実(血液の付着がない)を合理的に説明できない,とする。
この原判決の推論過程は,F氏の顔面に血液が付着していないことを出発点とするものであるが,救急搬送時の写真には,(画質上鮮血にみえないから見落としたものと思われるが),明らかに左前額部から垂直方向に垂れた血液の痕跡があり,原判決は前提を完全に誤っていることが明らかである。
⑶ 顔の血は原判決がもっとも重視している点と言える
原判決が,新たに有罪の根拠としたのは,
・ F氏の手に血がない
・ 衣類にも拭いたと思われる痕跡がない
・ F氏の顔に血がない
の3点である(原判決第4の2(3)ア(オ),19頁)。
しかし,原判決を詳細に検討すると,原判決自身が,左前額部の傷を負った後意識を失った可能性を検討しているように,手や衣服は血を拭く・拭うというF氏自身の行為が介在するため,一時的に意識を失っていれば拭く・拭う可能性に程度の差が生まれることになる。
原判決自身が「本件挫裂創の状況を確認したり,顔等に付着した血を拭うなどしていないことが,本件挫裂創を負った後も意識があった場合ほどではないにせよ」(強調筆者,原判決24頁)と,推認力に違いがあること,すなわち,意識を失っていた場合には,手や衣服で拭うはずだという経験則が弱まることを自認しており,結局原判決の有罪の中核は,顔に血が流れた痕跡や拭いた痕跡がない,という点にあることになる。
そして,その顔に流れた痕跡がない,という前提事実が完全に誤りであることが判明したのである。
⑷ 何故見落としたか
この顔の左端の血の流れた痕跡について,原判決は完全に見落とした。
その理由は
① 提出されている写真の画質が,写真のプリントアウトのコピーであるために画質が不鮮明であったこと
② 顔の血の有無について第1審でも原審でも全く争点化されておらず,弁護人がこの点についての何らの主張もしていないこと
が原因である。あるいは原審裁判官が有罪と決めつけ血はないだろうと精査しなかったのかもしれない。
⑸ 顔の血の意味
このF氏の救急搬送時の顔左面の垂直方向の血の痕は,原判決の有罪理由が根本が崩れることを意味する。左顔に垂直方向に流れた血の痕があるということは,有罪ストーリーと完全に矛盾する。
垂直方向に血の流れた痕があるということはF氏が左前額部の傷を負った後,状態が床と垂直方向にあった時間が相応にあるということを意味し,F氏が自立して行動したこと,すなわち寝室で意識喪失していない(殺害されていない)ことを意味するからである(F氏の死は自殺によるものである)。原判決自身も自殺であるならば顔の下方に血が流れた痕跡があるだろうと繰り返し指摘しているところである。
1つの仮説を提示すれば,F氏が転倒するなどして左前額部の傷を負い,しばらく意識を失い(あるいは休み),手や衣服で拭うこと無く自殺した,と考えれば,手に血がないことや衣服で拭っておらず,ただ左前額部から垂直方向に血が流れ,その痕跡がそのまま残り搬送された,として全て矛盾なく説明が可能だからである(なお,そもそも手に血がないことの推認力や衣服で拭ってないという判断自体も誤りであるが,それは後述する)。
3 唇に傷があった
原判決は,寝室に唾液混じりの血痕があることを,尿斑があることと併せ,窒息死の第2期後半の徴候が2つ揃っており,他殺を合理的に推認できる根拠とした。
口唇部及び口腔内に目立った傷がないことから,本件マットレスの唾液混じりの血痕は(弁護人の主張する鼻血や口腔内の毛細血管からの出血とは)整合しない,などとし,窒息死の過程で生じる出血の痕跡であるとする。
しかしながら,今般改めてこれまでの証拠を調査したところ,捜査書類化されてない検視時の写真(第1審でデータのみ開示されていたもの)に下唇に傷があったことが判明した(当審で事実調べ請求予定)。
解剖したJ医師は,確かに第1審で口唇部及び口腔内に目立った傷はないと証言し,これに依拠して原判決も口唇部に傷がなく,窒息死の徴候としたものと思われる。
(支援する会 注:原本ではここにFさんの顔写真が掲載されています)
しかし,改めてこの写真をもとにJ医師に確認したところ,口唇部に出血を伴う傷があるとし,第1審の証言が不正確であることが明らかとなった(なお,第1審及び原審では証拠として取り調べられていないが,J医師が作成した鑑定書には口唇部の損傷について記述が存在した)。
そして,原判決も認めるとおり,失禁は窒息死の過程だけでなく一時的な失神等でも生じるのであって,寝室に窒息死の経過で生じる2徴候があるから他殺である,という論理ももはや崩れ去ったというほかない。殺人の証拠かに見えたものは霧散してなくなり,自殺であることが明白となった。
なお,控訴審で取り調べられた証拠によって,被告人のジャケットからF氏の唾液があり,かつそこから血液も検出されているのであって,むしろ自殺時の窒息状態によって唾液混じりの血痕がジャケットに付着したと考えられるが,この点について原判決は何ら触れられていない。
4 その他の前提事実の証拠の欠落
原判決が有罪認定とした根拠の主要なものが,第1審でも控訴審でも争点として顕在化してない事実や証拠に関するものであった。
そのために弁護人はその点に関する推認力についての主張や,前提事実について反証する機会を奪われたと言ってよい。
① 手や顔の血について
原判決は,手や顔に血がないという点について,検視時の写真及び 救急搬送時の写真を根拠に,死亡時も同様の状態であったことを前提に置く。
顔に血がないことについてはそもそも誤りであり,手に血がないという点を含めその推認力自体にも問題はあるが,前提として,検視時や救急搬送時の写真から,死亡時の状態を推認することに問題がある。
F氏は,被告人による119番通報後,救急隊が駆けつけ処置をし,その後S大に搬送されそこでも処置がなされ,死亡確認後検視という流れにある。
(もとより119番通報による救急隊搬送前に被告人が拭いたか否かという問題もあるが)少なくとも,救急隊,病院スタッフ,捜査官等の複数名が関わっており,これまで第1審,原審で行われた証人尋問でも,血の存在や拭いたかどうかという観点からの尋問はI医師の一部のみといってよい。
弁護人は原判決後,救急隊に照会をかけたところ,一般に救急隊が傷の確認や治療等のために手や顔の血を拭くことはありうる旨の回答を得ており,この点のみを持ってしても,その後の搬送時や検視時の写真をもって,死亡時にも手や顔に痕跡がない,という推認をすること自体の誤りが明らかとなった。
② ジャケットの血液
原判決は,自殺について,左前額部の傷を負えば,手か衣服等で拭くはずであるという前提のもと,手に血がなく,かつ,衣服にも拭いた痕跡がないとする論拠の中で,被告人のジャケットは血液が少量であり整合しないと判断する。
そもそも原判決によっても出血量は数十ミリリットル~100,200ミリリットルなのであり,被告人に有利に数十ミリリットルと解した場合,出血量自体が少量であり,何ら矛盾しない。その点はさておくとして,原判決の最大の問題点は,ジャケットに付着した血液量が少量であるとする点である。原判決は,「本件ジャケットには,被害者のものである可能性がある血痕ようのものが,5か所にわたって付着しているが,いずれの箇所から採取した血痕ようのものも少量であることが認められる」(強調筆者,原判決17頁)などと判示する。
しかし,ジャケットの写真を見れば,明らかにかなりの量が付着している。ジャケットで傷口を押さえたり,手を拭いたりしたことが十分にあり得る血痕量と推定される。
また,その上「少量」などとする点は,本件で提出されている全証拠を見ても,ジャケットから採取した血液の量に関する証拠は存在しない(なお,原証拠を精査してみても,ある部位から血液反応が出たということ以上に,その付着量を捜査した証拠は存在しない)。
5 原判決の経験則は一面的であること
原判決が根拠とした前提事実それ自体にも多大な問題はあるが,さらに,その前提事実たる間接事実から,経験則を用いて推認する推認力にも問題が大きい。
詳しくは各論で述べるが,主だったものを上げれば,以下の経験則が指摘できる。
・ 左前額部の傷を手や衣服で拭う行動を取るはず
・ パジャマの胸・みぞおち部分は少量で拭った量ではない
・ ジャケットの前身頃で拭いたとすれば自殺時に手につくはず
・ 血を拭いた痕跡が残らないようにきれいに拭くのは困難
・ 自殺するときに頸部圧迫による血圧の増加に伴い再出血することが「あり得る」ところ,本件では相応の量の再出血があったと考えられる
・ 自殺時の再出血を考慮すると階段の2か所しか血痕がないのが相当に不自然であり,パジャマの血痕も整合しない
・ 自殺直前の受傷でも血を拭うことが全くないとは考え難い
・ 自殺に向けた行動を取るものが手を洗うことが不自然な上に,洗った後も出血や痛みがあるから触るはず
・ 意識を失った場合は受傷とほぼ同時に意識を失ったことになり,階下の血だまりの場所と整合しない
これら原判決が依拠する経験則は,客観証拠から一義的に推認できる,といった性質のものではなく,多様な可能性がありうる人間の行動や,確定できない出血量・出血の仕方,現場の遺留痕跡(いつどのように残りどのように保存,散逸したかなど)を考慮しなければならないものであって,それぞれがおよそ高度な蓋然性を持って認定してよい経験則などではない。
しかも,第1審で問題となっておらず,原審でも争点化されなかったことから,弁護人を含む(裁判官からみて)第三者の視点での指摘が全くなされなかったことから,独善的な経験則の適用となっていると評せざるをえない。
6 原判決の構造についての注意
原判決は,第1審判決12頁のところ,控訴審独自の判断を含み36頁の分量に及ぶ。
本件は間接事実によって認定する事件であり,様々な点が問題となっており,原判決も一見,多様な角度から間接事実を動員して有罪としているかのようにみえる。
しかしながら,決して独立した間接事実が支え合っている事件ではなく,1つの反対仮説が成り立てば,原判決は崩れ去る運命にあるということに注意する必要がある。
原判決は,手,衣服,顔,についてそれぞれ左前額部の傷が自殺前にできたものだとすると整合しない,と分析しているが,それぞれが独立した間接事実ではない。
例えば,① 意識を失って顔にのみ痕跡が残り,手や衣服では拭かなかったという場合,手や衣服に痕跡がなくても不自然ではなくなるし,② ジャケットですぐに押さえたために手や顔に血がなかったということもありうるし,③ 手ですぐ押さえて衣服や顔には痕跡が残らず,かつ手をその後に洗ったため手にも残らなかったということでも構わない。
つまり,裏を返せば,顔に血がないということが誤りであったことは写真から明確に判明したが,それでも手や衣服の間接事実が残る,という関係にない,ということである。
もし② のジャケットで押さえたとして,その部位に触らないように自殺をしたとか,ジャケットの血が乾いたために自殺の際に触っても手に血が付かない可能性がある,という下層の消極的間接事実の推認力が認められれば,それだけで原判決全てが崩れ去るのである。あるいは,③ 手で押さえて洗った後に,再度触るはずという原判決の経験則が,「必ずしもそうとは言えないよね。手を洗った後で自殺しようとする人が再度傷を触らなくても不自然ではないよね」という市民が少なからずいれば,それだけで原判決は成り立たないのである。
原判決の判断構造が砂上の楼閣であり,決して有力な間接事実が独立して重畳的に支え合っている事件ではない,ということを念頭に置かなければならない。
7 その他の原判決の問題点
以上で論じた以外にも,原判決には重大な誤りがある。
① 原判決は顔に血がないことを自殺ストーリーの排斥の根拠としてい るが,他殺である場合にも床に倒れている間に相応の出血があり,原判決が指摘する写真に残された左前額部の周囲以外の部位に血液が付着すべきであるが,それすらないことになる。
② 自殺の決意時期を決めつけている。原判決は,自殺するものが手を洗うのが不自然などとするが,そもそもF氏がいつ階段上での自殺を決意したかは全く不明である。左前額部の傷を負って,手を洗った後,子ども部屋に夫や子どもが籠もる中,自分のしたことを思い自殺を衝動的に決意したのかもしれない。
③ 原判決は,F氏のパジャマ,被告人のジャケットの血液量が少量であることから拭いたものではない,とするが,そもそも1つの物で拭くという前提がない(一瞬パジャマで押さえ,また出てきたのでジャケットで拭うということもある)上に,現場には残らない物(ティッシュやトイレットペーパー)で拭いた可能性もある(1階トイレ付近にはF氏の血痕が検出されている)。
④ 原判決は,そもそも第1審の左前額部の出血と現場血痕の整合性について,出血量,出血の仕方は確定できないことから排斥したにも関わらず,再出血の場面では,階段の2か所にしか血痕がないのは不自然などと,明らかに自己矛盾した判断となっている。
そもそもJ医師によっても再出血があり得る,としか証言しておらず,原判決も「あり得る」と認定していたにも関わらず,いつの間にか「相応の出血があったはずで,階段の2か所しかないのは不自然」などと前提が不確実なことを捨象している。
⑤ 原判決は左前額部の受傷後意識を失ったとすると,階下の血だまりの跡と整合しない,とするが,受傷の瞬間に気を失う場合もあれば,若干朦朧と動き,少し間を置いて意識を失うということも全く珍しくない。
⑥ F氏の顔の左半分を拭いたとする被告人供述について,痕跡が全く見当たらないほどきれいに拭き取ることは困難であり,顔に痕跡がないことと整合しない(原判決19頁),とするが,他方で,F氏がタオルでは拭いてないという判断をする部分では,「被告人の供述によれば,タオルは被告人が取りに行って,被害者の顔の左半分,,階段の手すりやへり,血だまりを拭いた(略)というのであり,原審証拠を検討しても,上記のタオルや軍手に被害者が血を拭うなどしたためではないという限度では,この供述の信用性に疑問を差し挟むような事情は認められない」(原判決18頁)として,明らかに矛盾している。被告人がタオルで顔半分を拭いたとの供述を信用しておきながら,痕跡がないことと整合しない,というのは意味不明としかいいようがない。
タオルで拭いたことを認めるのであれば,仮に拭いた痕跡がないのであれば,痕跡が少なくとも写真上は分からないように拭いた,という帰結にならざるを得ないが,きれいに拭き取るのは困難だから整合しない,とはどういう意味なのか。
仮に,顔左半分のみ虚偽で,階段等を拭いたという点だけ信用できるというのは,あまりに都合がよすぎる上,被告人が顔を拭いたと供述したのは捜査段階から一貫しており,原判決が顔に痕跡がないと言い出すまで,一度たりとも問題となっていないのであるから,事故直後から虚偽を述べる理由が全くない。
⑦ F氏の膀胱に尿が少量残っていたことが原審で判明したが,原判決は,第1審の論拠が誤りであることを認めながら,少量残っていたことは,むしろ階段での自殺に整合しないとする。この原判決の認定は,窒息時には失禁すること,全量失禁しきるのが通常である,ということが前提となっているが,そのような前提自体が誤りである。J医師も明確に,窒息の場合に,失禁する場合もあればしない場合もある,と証言している。
⑧ 原判決は,階段上で自殺したのであればパジャマズボン及びパンツの前面にしか尿斑が付着していないことと整合しない,などとするが,実際にはパンツ下面やパジャマズボンの背面にも尿斑が存在するのであって,階段上で少量失禁してパジャマズボン背面に付着したと考えるのが自然である(うつぶせでの失禁であれば背面に付着することと整合しない)。
⑨ 原判決は,下顎部の擦過傷が他殺からは説明が困難であるという弁護人の主張に対して,寝室での頸部圧迫時に被告人がジャケットを着ていた可能性がある,などと判示した(原判決33頁)。しかし被告人がジャケットを着ていた可能性については,第1審で医師が明確に否定している。さらに第1審で検察官ですら全く主張していない(むしろ,寝室時には着ていなかったことが第1審時の検察官の前提であった)のであり,このような認定はあまりに不意打ちであり,かつ,被告人の右腕に傷があることと原判決は矛盾しないなどというが,ジャージ素材であるから何故矛盾しないのか,全く理解できない(服の上からではこの傷は付き得ない,と第1審で医師が明言している)。
⑩ 子ども部屋のドアの12か所にも及び包丁による傷跡について,全く考慮されていない。このような傷が日常生活で生じることはおよそ考え難く,F氏が異常な状態で包丁を持ち出したとする被告人の供述自体は信用する第1審判決を前提にするまでもなく,本件時にF氏が錯乱状態にあり,子ども部屋に立てこもる被告人に対して,ドアを包丁で激しく叩いたことを示している。それはすなわち,寝室での出来事の後,F氏が自立的に行動したことを意味する。
これらはすべて本件は自殺であるという事実から目を逸らして,盲目的に強引な認定をしたことから生じた誤りである。本件は他殺ではなく,自白であることを明白に示す証拠が存在し,自殺が全ての事実を説明する。
第4 第1審判決が不意打ち認定であったこと
1 はじめに
第1審判決は,自殺が現実的にあり得る可能性とは認められないとした主要な根拠を,F氏の左前額部の傷の出血と現場遺留血痕の不整合にあるとし,いわば消極的事実認定により自殺を排斥し,他殺を認定した。
これに対し,弁護人は,原審において,検察官が公判前整理手続でも公判でも主張していない点を有罪判決の中核とするのは,不意打ち認定であり,訴訟手続の法令違反があると主張した(控訴趣意書第9,66~77頁)。
これに対し原判決は,「取り調べた証拠により認められる事実をどのような方向で評価し,あるいは当該事実からどのような推認をするかという自由心証の範疇であって,第1審裁判所において,この点を争点として顕在化する措置を講じる必要があったということはできない(弁護人の主張は,検察官の主張に拘束されるということに帰するもので採用できない)」として,不意打ち認定ではない,と判断した。
2 原判決の誤り
原判決は,第1審当事者間において,本件挫裂創が生じた時期及びその時点で被害者が死戦期(脳死状態)にあったかという点に争いがあり,その対立点を巡って,①本件挫裂創の状況から想定される出血量,②現場に遺留された血痕の状況も考慮要素として主張されており,そのような訴訟経過からすると,自由心証の範疇である,などとした。
しかしながら,検察官が主張していたのは,あくまで出血「量」自体(否定されたH医師の意見に依拠し現場の流れた血の量が少なすぎるという意味)から死戦期であるという点であって,現場遺留血痕の整合性は一切主張されていない。
原判決自身も,検察官が左前額部の出血と現場血痕の整合性を主張していなかったことを認めている。
原判決のように,具体的争点を捨象して,抽象的に,「左前額部の出血」や「現場血痕」などが考慮要素とされていた,などとしては,それこそ「他殺か自殺か」という点を巡って対立していたから,それに関しては証拠から何を推認するかは自由,などということすら可能になってしまう。
あくまで間接事実レベルで,重要な事実が争点化されていたか,当事者に攻撃防御を尽くさせるべき実質があるか,という観点から具体的に判断すべきである。
3 実際に当事者が全く意識していなかったこと
原判決も認めるとおり,検察官は左前額部の出血と現場の整合性について全く主張しておらず,弁護人もそれを意識した主張や立証は第1審では一切行われていない。
その結果,原判決で明らかになったように,そもそも第1審が前提にした現場遺留血痕それ自体が誤りであった(半数がそもそも証拠となっていなかった)。原審では,第1審の統合証拠の原証拠を現場遺留血痕に関するものだけでも(原審弁7,25~35)もの多数の証拠が採用されて取り調べられることとなった。
4 自由心証の問題ではなく,当事者主義と手続保障の問題である
原判決は,この問題を,「取り調べた証拠により認められる事実をどのような方向で評価し,あるいは当該事実からどのような推認をするかという自由心証の範疇である」として不意打ちの違法はない,などとするが,問題としているのは,当事者の主張に拘束されるかどうか,という事実認定における自由心証の問題ではない。
あくまで,裁判所の自由心証の前提として,当事者に攻防を尽くさせるべきか,という当事者主義,あるいは手続保障の問題である。
仮に裁判所が,審理の中で,当事者が攻撃防御を尽くしていない新たな事実について関心を持ち,当事者に促したとして,当事者がどう応じるかは自由である。もし裁判所が争点化したにも関わらず,当事者が主張立証しなかった場合,それでも裁判所は当事者の主張に拘束されるか(していない主張を根拠にして良いのか),それとも自由心証で拘束されないか,ということが問題となる。そして弁護人もそのような場合にまで裁判所が当事者の主張に拘束されるなどと主張するつもりはない。
裁判の本質は手続保障なのであって,裁判所の問題意識を当事者に伝えて攻撃防御を尽くす機会を与えるべきである。
従って,原判決が自由心証の問題であるとし,弁護人の不意打ち認定の主張が裁判所が当事者の主張に拘束されることに帰する,などと判断したのは,本論点の本質を見誤るものである。
5 裁判員裁判と不意打ち問題
当事者が明示的に主張していない事実は,どんなものでも争点化させるべきである,などと主張しているのではない。
第1審がしたように,有罪の中核事実になるような重要な間接事実が,当事者が全く主張していない,というような場合,裁判所は前提事実や各証拠の推認力の限界について謙虚でなければならない。
このことは裁判員裁判で顕著に問題になり得る点である。
裁判員裁判では市民が参加し集中的に分かりやすく証拠調べを行うべく,証拠を厳選し,厳選された証拠自体も統合証拠や合意書面といった形で二次証拠化されて取り調べる運用が定着しているといってよい。
そのことが意味することは,統合証拠に記載された事実の証明力とその限界が必ずしも明確ではなくなる,ということを意味する。本件でいえば,統合証拠には,現場遺留血痕に関する証拠があったが,統合証拠上,それが全てなのか,除外されたものがあるのか,などは判明しない。そのため第1審判決は統合証拠に記載された血痕が,現場の全ての血痕であると誤解して,誤った判断をした。
もし,当事者に現場の血痕の整合性という点が意識されていれば,原審で実際に提出したように,前提事実とその外縁を明確にすることができた。
つまり,裁判官が有罪無罪を決するような重要な間接事実ではないかと思ったにもかかわらず,当事者が全く主張立証していないということは,何か前提事実が欠けているでのはないか,証拠が十分に出ていないのではないか,と立ち止まる謙虚さが求められる。
裁判官はこう考えたのかもしれない。
もし審理を経た上で,新しい点に関心を持ち,当事者に攻撃防御を促せば,審理スケジュールの変更を余儀なくされ,裁判員を解散等せざるを得なくなってしまう,と。
もちろんそのような事態は可及的に避けるべきではあるが,公判前整理手続はあくまで予定であり,公判で調べた実際の証拠で判断するというライブの法廷を追求すべきときに,公判前整理手続で想定していなかった事態が起こりうることは一定程度はやむを得ない。
むしろ,第1審裁判所が,争点化せずに独善的に判断をした結果,控訴されて新しい証拠が提出され,前提事実が誤りであるという判断が高裁にされることの方が避けるべき事態というべきである。
6 結語
原判決は,第1審が有罪の中核事実とした左前額部の傷と現場との不整合について,控訴審で取調べた証拠をもとに,客観的事実及び経験則等に反して不合理である,とした。
そのような結果となったのは,第1審が攻撃防御を尽くさせなかったからである。
原審が以上のような判断をしたからには,少なくとも新たな有罪理由を持ち出す前に,第1審が不意打ち認定であるとして,差し戻すべきであった(なお弁護人は控訴趣意で,不意打ち認定の違法があると宣言した上で差し戻さず無罪の自判をすべきであると主張したが,事実の誤認は明らかであるからそのように主張したのであって,新たな有罪理由を持ち出してまで自判を許容していたものではないことは言うまでもない)。
第1審の審理不尽を別の有罪理由でフォローするなどということは,当事者主義を逸脱して,手続保障という裁判の本質にもとるものである。
原審の不意打ち認定に関する解釈は誤っており,法令の違反がある。
第5 自判した点の憲法違反,判例違反,法令違反
1 原判決の問題点
原判決は,第1審が有罪の中核事実とした間接事実について,客観的証拠及び経験則等に反する,と判示しておきながら,「当審における事実の取調べを踏まえた自殺ストーリーの検討」などとして,主として,F氏の手,拭った物,顔の血痕から自殺を排斥し,結論において第1審の有罪認定を維持した。
しかしながら,このような控訴審の判断経過は,
① 第1審の事実誤認を認めているにも関わらず,破棄しなかった点において法令違反(刑訴法397条),判例違反(最判平成24年2月13日)があり,
② 当事者に攻撃防御を尽くさせずに新たな有罪理由により自判することは,当事者主義を逸脱した不意打ち認定の違法があり,当事者の裁判を受ける権利を侵害し,裁判員裁判の制度趣旨にも反するものである(刑訴法400条違反,憲法32条違反)。
2 控訴審のあり方
我が国の控訴審は事後審性を採用し,刑訴法382条により事実の誤認が控訴趣意により主張された場合,裁判所は,「第377条乃至第382条及び第383条に規定する事由があるときは、判決で原判決を破棄しなければならない。」(刑訴法397条1項)と定める。
そして事実誤認の意義について,控訴審が独自に心証を形成しこれと第1審の認定事実と比較する心証比較説と,第1審の判断の論理則・経験則違反の審査をする論理則等違反説の対立があったが,裁判員裁判施行を機に,控訴審のあり方にも関心があつまり,最高裁は,以下のように判示した(最判平成24年2月13日)。
「刑訴法は控訴審の性格を原則として事後審としており,控訴審は,第 1審と同じ立場で事件そのものを審理するのではなく,当事者の訴訟活動を基礎として形成された第1審判決を対象とし,これに事後的な審査を加えるべきものである。第1審において,直接主義・口頭主義の原則が採られ,争点に関する証人を直接調べ,その際の証言態度等も踏まえて供述の信用性が判断され,それらを総合して事実認定が行われることが予定されていることに鑑みると,控訴審における事実誤認の審査は,第1審判決が行った証拠の信用性評価や証拠の総合判断が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかという観点から行うべきものであって,刑訴法382条の事実誤認とは,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることをいうものと解するのが相当である。したがって,控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。このことは,裁判員制度の導入を契機として,第1審において直接主義・口頭主義が徹底された状況においては,より強く妥当する。」
その後の最高裁判例でも,繰り返し,控訴審の審査は,事後審査として第1審の判断が論理則,経験則等に違反するか,という観点から行うべきものであることが確認された。
つまり,結論の審査(心証比較)ではなく,判断過程の審査(論理則等審査)ということである。
上記最判の白木補足意見にあるように,量刑であれ事実であれ,人の考えや常識,経験則等は等しく一様ではなく多様性のあるものであって,点の審査を求めれば市民の健全な常識を刑事司法に取り入れる趣旨が没却してしまう。
点の審査ではなく,あくまで判断手法,判断経過という結論にいたる論理構造に論理則や経験則違反があるかを審査することが控訴審としての役割である,とする最高裁の上記判例は正当である。
3 破棄しなかった原判決の誤り
原判決は,第1審が有罪の中核的事実とした間接事実について,客観的証拠及び経験則に反するものと判示した。
つまり,第1審の判断が論理則,経験則に違反し,事実の誤認があると判断したことに他ならない。
法は「第377条乃至第382条及び第383条に規定する事由があるときは、判決で原判決を破棄しなければならない。」と定めるのであって,最高裁判例のいう事実の誤認-第1審判決の論理則・経験則違反-があるのであるから,破棄する帰結になるはずである。
仮に控訴審が独自に有罪認定をすることが許される場合でも,第1審を破棄した上で,新たに犯罪事実を認定して主文しなければならない(いわゆるロザール事件高裁判決は,第1審が自白の証拠能力を認めて有罪判決を下したのに対して,自白の証拠能力を否定して第1審判決を破棄し,改めて状況証拠から有罪判決を下した。東京高裁平成14年9月4日)。
にも関わらず,原判決は,破棄せずに,自ら独自の検討をして,新たな有罪理由を持ち出して第1審判決を維持した。
このような原判決の控訴審判決としてのあり方は,判断経過の審査ではなく,結論の審査に他ならず,刑訴法397条1項及び最高裁判例に反するものである。
なお,そもそも独自の判断自体が内容的にも誤りであり,かつ,少なくとも差し戻すべきなのであり,破棄したとしても自判することも誤りであることを付言しておく。
4 争点化せず自判したことの誤り
⑴ はじめに
原判決が,第1審の判断を否定した上で,独自に有罪とした根拠は,F氏の手,拭った物,顔についてそれぞれ血痕が残るはずである,という点にあり,その中でも最も重要視したのは,顔の血である(第3の2⑶参照)。
しかしながら,F氏の手,拭った物,顔の血については,第1審では全く問題となっておらず,控訴審においても手を除いて,主張立証は行われておらず,全く争点化していなかった新たな事実関係を有罪の根拠とした。
このような控訴審の判決のあり方は,それ自体が当事者主義を逸脱した不意打ち認定であり,かつ,審級の利益を奪い被告人の裁判を受ける権利を侵害するものである。
そして,健全な市民の常識を刑事司法に導入するという裁判員制度の趣旨にも反するものと言わなければならない。
⑵ 一義的な経験則ではない
原判決の独自の有罪根拠が,前提事実を誤り,その経験則自体も誤りであることは,他の項に譲るが,ここで述べたいことは,原判決が依拠する間接事実からの推認力それ自体が,多様な幅のあるもの-経験則自体が高度な蓋然性のあるものではなく,人によって幅がある-であり,市民6人と判事3人の第1審の裁判体が下した裁判員裁判としての判決であることを前提とすれば,3人の高裁判事のみの判断によって結論すべきことではない,という点である。
第3の5で原判決が用いた経験則を列挙したが,それぞれについて,どのような幅があり得るかを検討してみると,
① 左前額部の傷を手や衣服で拭う行動を取るはず
←傷を負った時にそれを触るかどうかは状況と個人差による
② パジャマの胸・みぞおち部分は少量で拭った量ではない
←そもそも出血量が確定できない上に,「少量」と評価できるのか
③ ジャケットの前身頃で拭いたとすれば自殺時に手につくはず
←血の付いた前身頃の触らないように括りつけることはできるかもしれないし,ジャケットに血が付着後時間経過により血が乾いたかもしれない
④ 血を拭いた痕跡が残らないようにきれいに拭くのは困難
←どの程度血が付着したかも,どのように拭いたかも不確定であり,具体的なタオルで拭き取れるかの実験をしたわけでもない
⑤ 自殺するときに頸部圧迫による血圧の増加に伴い再出血することが「あり得る」ところ,本件では相応の量の再出血があったと考えられる
←再出血したのか,したとしてどの程度の量かも不確実
⑥ 自殺時の再出血を考慮すると階段の2か所しか血痕がないのが相当に不自然であり,パジャマの血痕も整合しない
←再出血の量も,垂れ方も不明
⑦ 自殺直前の受傷でも血を拭うことが全くないとは考え難い
←これから死のうという人が傷を触らないことが不自然と考える人もいれば,必ずしも触らなくても不自然ではないと考える人もいる
⑧ 自殺に向けた行動を取るものが手を洗うことが不自然な上に,洗った後も出血や痛みがあるから触るはず
←死ぬ前に手を洗うことが不自然ではない,と考える人もいるであろう
⑨ 意識を失った場合は受傷とほぼ同時に意識を失ったことになり,階下の血だまりの場所と整合しない
←転倒の瞬間意識を失う場合もあれば,若干朦朧として動いた後意識を失うこともある
ここで記した反論に意味があるかどうか,という問題ではない。問題は,原判決が有罪の理由とする判断が,一義的に高度の蓋然性を持つ経験則ではなく,反対可能性が相応にある経験則なのである。
このような経験則の持つ証明力に程度があるような場合には,その経験則の前提事実や,経験則それ自体についての攻防を当事者に尽くさせる要請が高まるのであって,控訴審において争点化し当事者に攻防を尽くさせるか,あるいは差し戻すべきであり,原判決は,不意打ち認定というほかない。
また,健全な社会常識を取り入れる裁判員裁判の趣旨という観点からは,自判せずに差し戻すべきであった。
⑶ 証拠が出せていない
上記のように原判決の有罪理由が,不意打ち的な判断であったために,弁護側は有効な反証ができていない。
原判決は,搬送時や検視時に手や顔に血が突いていないことから,死亡時も同じ状態であったとするが,争点となっていないために,その点の反証ができていない。
当審で調査した結果,救急隊が拭いた可能性が出てきた上に,医師,検視の捜査官が遺族への対面や検視のために拭いたかどうかも全く審理で明らかとなっていない。
また,原判決が主要な根拠とする顔の血も,原審までは不鮮明な写真しかなかったが,その点に関する反証もできなかった。
さらに原判決は,ジャケットの血痕量が少量であるなどと決めつけるが,原証拠には出血量を示す証拠はなく,その量を確定することができないことも反証できなかった。
このように,重要な事実関係が争点化されないということは,当事者がそれに関する主張立証をすることが困難になることを意味し,それは結局,正しい事実認定から離れていく,ということを帰結する。
裁判官はあくまで判断者であり,自ら職権探知する立場ではない。裁判官の職責は真相を明らかにするために必要な証拠,必要な事実を当事者に洩れなく法廷に顕出させることにある。
どんなに優秀な裁判官であっても,前提事実を誤れば誤った判断になってしまうのであって,判断材料を適切に法廷に顕出させることは全ての出発点であり,そのためには当事者に攻撃防御を尽くさせることである。
このことは,立証責任を負わない被告人側には切実な問題である。立証責任を負う検察官は,立証できなければ立証責任に従い有罪にならない,というだけであるが,被告人側は本来出せた証拠があるにも関わらず,出せなかったから有罪になるということになってしまう。それは立証責任が検察官にあるという刑事裁判の鉄則と矛盾するといわなければならない。
従って,控訴審で争点化もせず,差し戻しもせず自判した原判決は,差し戻しを原則とする刑訴法400条及び裁判を受ける権利を定めた憲法32条に反するものである。
⑷ 裁判員制度の趣旨と審級の利益に反する
本件は第1審が裁判員裁判で行われたものである。
これまで述べてきたように,原判決の判断は,多様な幅のありうる経験則を用いて,争点化せずに独自に有罪とした。
原判決は第1審の有罪認定の主要な根拠を事実の誤認があると判断したのであって,控訴審が独自に判断した部分については,第1審の判断を受けていないことになる。
裁判員裁判は対象事件について必要的に付されるものであるが,被告人側から見れば,裁判を受ける権利として,一定の除外事由に該当する場合を除き,裁判員を含む裁判体による裁判を受けることが,義務であるとともに権利であるというべきである。
もちろん,憲法には裁判を受ける権利が定められているものの,裁判員裁判を受ける権利が直接的に定められているわけではない。しかしながら,施行後10年以上が経過し,10万人以上の市民が裁判に参加し,法曹三者も刑事司法における裁判員裁判を市民に根付かせるために,今までもこれからも不断の努力を続けている。このような現状に鑑みれば,裁判員裁判は我が国の刑事司法に欠かせない制度になっているというべきであり,それを被告人側から見た時,市民が参加する裁判員裁判の裁判を受ける権利があるというべきである。
にも関わらず,原判決は第1審で全く争点となってない新たな事実関係をもとに有罪の結論を維持した。
法は差し戻しを原則とし自判を例外(刑訴法400条)と位置づけるが,実際の運用は訴訟経済等の観点から自判が原則形態となっている。このような現実の運用を前提として,弁護人も,いかなる場合でも原審裁判員事件について破棄するときは差し戻すべきであると主張するつもりはない。
第1審で争点となっていたかどうか,控訴審で問題になった事実関係について市民の常識,経験則に問う必要がある内容か(それとも誰がみても高度な蓋然性がある証拠構造か)等によって,実質的に裁判員が判断する機会を奪うことになる場合には,自判することは,被告人の審級の利益を侵害し,かつ市民の常識を取り入れようとする裁判員制度の趣旨に反するというべきである。
⑸ 結語
原判決は,第1審判決が不意打ち認定であるという主張に対し,自由心証の範疇であるなどと問題の本質をはき違えた判断をした。
そして控訴審自体が,再び不意打ち認定をした。
結局,控訴審の裁判官が,裁判というものにおける当事者主義がいかにあるべきか,という点について誤った理解をしているからである。
原判決が,第1審の判断が事実の誤認があるとしておきながら破棄することなく,当事者に攻防を尽くさせていない新たな事実関係により有罪の結論を維持したことは,結局自らが正しい結論を判断することができるという職権主義を前提にするものである。
当事者主義を逸脱した原判決は誤りであり,破棄されなければならない。
第6 重大な事実誤認(自殺の排斥の不合理性)
1 F氏の遺体の痕跡を有罪の根拠とした原判決の事実認定の誤り
⑴ 顔に血が流れた痕跡を見逃している
原判決は、「自殺ストーリーを前提にする限り、被害者が血を拭うなどした痕跡や、本件挫裂創から血が流れた痕跡が、被害者の遺体・着衣や現場に存在しているはずである」」(原判決16頁)などという。そして、F氏の顔面に残された痕跡に関しては、「額の部分(被害者の顔が地面と垂直方向の状態であった場合に本件挫裂創から血が流れていくと推測される部分〔本件挫裂創から左眉毛や左目の方向への部分の一部〕を含む。)には、血液の付着はなく、血が流れたような痕跡も、血を拭いたような痕跡もないことが認められる」とし、さらに「救急搬送時に撮影された顔の写真(聴取結果報告書〔当審検6〕添付の診療記録に添付されている)を見ても、救急搬送の時点においても、血液が付着している状況はうかがわれず、本件挫裂創からの血が流れたような痕跡も、血を拭いたような痕跡も見当たらない」(原判決19頁)などと説示している。
しかし、原判決が指摘する原審検6号証の診療記録添付の写真を見ると、血液が流れ落ちた痕跡が、はっきりと確認できる。
(支援する会 注:原本ではここにFさんの顔写真が掲載されています)
(原審検6号証添付写真。青線は弁護人による)
上の写真において青線で囲った部分は、明らかに、他の肌の部分とは異なる色味、すなわち赤黒い色味となっている。これは、一見して、左前額部の傷口から血が下方に流れ落ちた痕跡である。影などではない。もしも影などであれば、口の周りに設置された白いテープの上にも同じように影がかかると思われるが、白いテープの右端は白く、影は降りていない。むしろ、テープが覆った顔の血がテープに染み込み、一部、赤くなっているのが確認できる。これは、顔を血が流れた跡を白いテープが覆っている状態である。また、この赤黒い色味の部分は、まぶた、目じり、頬骨の部分で、若干の血だまりのような形状を示している。明らかに粘性のある液体が流れ落ち、顔の凹凸によって血だまりを生じさせている。また色味も、赤黒い色味であり、特に酸化した血液の色味であると考えられ、左前額部挫裂創付近の色味とも近似している。こうした条件を満たすのは左前額部から出血して流れ出た血液の跡以外に考えられない。そして、この血痕は、写真が撮影されたより前の段階で血が流れ、しばらく時間の経過した血痕である(救急医療に当たったI医師は、前額部の挫裂創の血は止まった状態だったと述べている。原審I第2回15頁)。
なお、I医師は、肺挫傷に伴う鼻孔部や口腔部からの出血が認められた旨を証言する(原審I第2回5頁)が、口部付近はともかく、上の写真中の青囲み部分がすべて口腔部等による出血だとは、その付着している範囲、流れ方からして考えられない。したがって、上写真の青囲み部分は、左前額部の挫裂創から血液が流れ出た跡と考えるのが唯一の合理的な解釈である。
このように、原審判決の核心部分であるF氏に付着した血痕に関する説示には、明らかに証拠上重要な事実の見落としがある。なお、上記写真については、当審においてより鮮明なデータを入手したため、これを主張を補充する資料として事実取調請求する(当審弁1)。
上写真中の青囲み部分の解釈については、原審における当事者の主張において全く問題になっていなかった。また、(そうであるからこそ)原審におけるI医師等の証人尋問においても全く言及されていない。このように、原審において攻撃防御が尽くされていなければ、裁判所はこんなにも容易に重要な痕跡を見落とすのである。
前述「第4」で論じた問題にも共通する問題であるが、このような認定方法は被告人に対する不意打ちであり、議論が不十分な中で事実認定をするからこそ誤るのである。原判決は、有罪認定をするならば差戻しをすべきであったのはもちろん、その事実認定としても大きな誤りを犯している。
この顔の血の跡は、原判決の論理を根底から覆す。まず原判決は、その論理の中核部分において、自殺の仮説がF氏の遺体の状況に合致しないとして「顔」の痕跡を挙げている(原判決22頁)。これは要するに顔に血が流れた痕跡がないということであるが、痕跡はあることがもはや明らかである。また、この痕跡は、F氏が本件挫裂創を負った後、垂直に血が流れる状態があったことを示している。これは、とりもなおさずF氏が活動期に本件挫裂創を受傷したことを示すものであり、これは他殺ストーリーを否定するものである。
⑵ 一方的な経験則の適用
以上のように、原判決には明らかな客観証拠との矛盾があるが、これを差し置いても、原判決の推論の根拠となる経験則は極めて薄弱なものばかりであり、到底被告人が罪を犯したことが間違いないという推論ができるレベルのものではない。
ア 前提となる推論が根拠薄弱である
まず、原判決の核心部分は、「本件挫裂創からの出血に基づく痕跡について」(原判決15頁以下)と題される部分である。
この項目における推論においては、F氏の手や着衣、顔などの痕跡を検討しているが、以下の説示部分を前提にしている。
すなわち「自殺ストーリーを前提にすると、被害者は、本件挫裂創を負った後も、意識のある状態であり、少なくとも、階段を上ったり、階段の手すりや自分の頸部に本件ジャケットを巻くなどして、自殺に向けた行動を取ったことになり、そのような行動の中で相応の時間は、被害者の頭部が地面と垂直方向にある状態(これに近い斜めの状態を含む。以下同様)にあったと考えられる。そして、・・・本件挫裂創の状況から推定される出血量は、数十mlから100ないし200ml程度であり、また、受傷時からしばらくした後の本件挫裂創の痛みは、意識があればかなり痛いものであることに照らすと、被害者は、本件挫裂創の部分に手を当てるなどして状況を確認したり、本件挫裂創から流れてくる血を、ティッシュペーパー、布等の物や手で拭うなどの行動をとるはずである。とりわけ、・・・本件挫裂創は、左目と左眉毛の上方に、これらと並行するように位置しているから、本件挫裂創から流れる血は、視界の妨げになったり、目に沁みたりすると考えられ、被害者が血を拭うなどすることは極めて自然な行動といえる。そして、被害者が血を拭うなどしたのであれば、その際に使った物あるいは被害者の手などに痕跡が残るはずであり、通常は被害者の顔にも、血を拭うなどした痕跡が残ると考えられる。また、被害者が血を拭うなどしないことは考えにくいが、仮にそうであったとすれば、被害者の顔面に血が流れた痕跡が残ると考えられる」(原判決16頁)。
しかし、この前提部分自体、偏った経験則によって立つものであり、不当さが際立つものというよりほかない。
まず、原判決の上記部分は、F氏が活動時に挫裂創を負った後、動いていたから血が流れたのだと推論しているが、F氏が受傷直後にすぐに活動したとは限らない。F氏が額を打って受傷した後、しばらく気を失うなどして動かなかったということも考えられる。このような挫裂創を作るほどの打撃があった場合には、よくあることである(原審K第3回11頁)。本件挫裂創からの出血は静脈性の毛細血管の出血であり(原審J第1回11頁)、たらたらと垂れて、いずれは止まる(原審K第3回8頁、原審I第2回15頁)。そうだとすれば、F氏が数分程度も気を失っていれば、すぐに止まる、あるいはどんなに少なくともごく少量の出血となっていく程度の出血である(原審K第3回12頁参照)。容易に可能なこのような想定からすれば、血が流れて拭うはずだとか、目に入ったりするはずだなどという原判決の想定が直ちに成り立たなくなる。これを指摘した原審弁護人に対し、「仮にいったん血が止まったとしても,それまでに本件挫裂創から流れた相応の量の血が顔や髪の毛に付着していたと考えられ」るとして,「血を拭うなどしていないことが、本件挫裂創を負った後も意識があった場合ほどではないにせよ,不自然であることに変わりない」(原判決24頁)という。しかし,受傷した後、意識を失っていた状態では,本件挫裂創の部位は床面に接触し、ある程度止血されている可能性もあるのだから,本件挫裂創から流れた血が顔や髪の毛に付着するとしても「相応の量」になるとはいえない。原判決はまた「被害者は本件挫裂創を負うとほぼ同時に意識を失ったことになるから、階段下の床面に左前額部をぶつけたことによる場合(首に巻いていた本件ジャケットが解け、階段から落ちて階段下の床面に左前額部をぶつけた場合を含む)や、階段を上る際に階段に左前額部をぶつけたことによる場合は、被害者が階段下の血だまり付近に頭部が位置する状態で、仰向けになる状況は想定し難い」とし、「被害者が本件挫裂創を負うとほぼ同時に意識喪失した際に仰向けの状態であったため、本件挫裂創から流れた血が被害者の顔に付着しなかったという状況は想定し難い」(原判決25頁)などとして、こうした可能性を否定している。しかし、なぜ「本件挫裂創を負うとほぼ同時に意識喪失した」などと仮定できるのか全く不明である。我々の常識からも明らかなところであるが、外傷によって脳震盪等を起こして気絶する場合、ただちに意識喪失するような場合ばかりではなく、一度立とうとしたがふらつき、そのまま気を失って倒れることも考えられる。また、一度意識を失った後、しばらくして意識を回復し,仰向けの状態になり,血が止まる、あるいはごく少量で垂れ落ちないような程度になるまで休んでいたことも十分にあり得る。うつぶせの状態で意識喪失したまま数分間経ち、そのまま血が止まったという想定も十分にあり得る。意識喪失を前提しなくてもかまわない。一度も意識喪失せず、ただしばらく休んでいてその間に出血が静まったという想定も可能である。原判決の想定は一面的に過ぎ、原判決の引用する、階段から少し離れた位置に血だまりがあったとする警察官の証言(そもそもこの証言により厳密に血だまりの位置が確定できるかは大問題であるが)を前提としても原判決の論理は成り立たない。
上の論理が言及している「痛み」も、都合よく専門家の意見をつまみ食いしているとしかいいようがない。原判決はJ医師の「意識があればかなり痛い」という証言(原判決23頁)を引用しているが、K医師は、痛みというのは非常に難しく、傷があるからといって痛むとは限らないという趣旨の証言をしている(原審K第3回12頁)。アスリートの怪我などを普段から見て、痛みに常に接している同医師の証言を疑う理由はない。痛みがあるから本件挫裂創を手で確認するはずだなどという原判決の論理は成り立たない。
仮に、血が流れたとしてそれが視界の妨げになったり、目にしみたりするなどとは到底いえない。まず、創傷の部位は左前額部で人間の顔面からすれば、外側にカーブしている部位である。傷は目と並行に近い形状であるとはいえ、静脈性の毛細血管の出血で血の出方は穏やかなはずであるから、顔の側面に近い部分を血が垂れていくような状態となっても全く不自然ではなく、上記⑴で述べた写真中の跡は、むしろそのような事態をたどった痕跡である。そもそも原判決自身「本件挫裂創からの出血がどの程度の痕跡を現場に残すかについては、止血の有無や仕方、被害者の体勢や行動、地面に対する傷口の向きなどによって変わってくる」(原判決13頁)と述べているとおり、たとえばF氏が顔を少し傾けたり、左目をつぶったりするだけで視界の妨げにならないような血の流れ方はいくらでも想定できる。原判決の想定は一面的に過ぎる。さらに仮定を重ねて血が目に入ったと仮定しても、原判決の上記認定は血は体液であるから沁みることは考えにくいという趣旨のJ証言(原審J第1回22頁。なお、ここでJ医師は「痛み」という表現を使っているが、同じ意味である)に真っ向から反している。
このように、原判決が有罪を導く論理の前提となる原判決の説示部分だけを見ても、あまりにも偏った経験則や、専門家証言を含む関係各証拠に反する推論があり、原判決の認定は根本から成り立っていないというよりほかない。
イ 手の血痕に関する論理は不当である
原判決は、原審検5号証、I医師証言などをもとに、検視時や、F氏が救急搬送された際のF氏の遺体の両手両足には、血痕が付着した状況ないし付着した痕跡はなかったことを認定している。そして、その事実から、「被害者が窒息死した時点でも、被害者の両手及び両足の状態は、・・・同様の状態であったと推認できる(所論は、救急搬送時の被害者の手に目だった血痕が付着してなかったという所見は、あくまで目視によるものであり、科学的検査を経たものではないと主張するが、ここでは科学的検査を経たレベルの所見が問題となるわけではない)」としている(原判決17頁)。
原判決は、この状況と、活動時に受傷したならF氏が傷に触るはずだという上述の前提を組み合わせて、F氏の手足に血液が付着していないのは整合しない旨をいうものである。
この前提が成り立たないことは上述したが、仮にF氏が何らかの理由で傷に触れ、F氏の手に血液が付着したと仮定しても、その後F氏が自殺するまでの間には時間がある(被告人が帰宅した午前1時7分から通報があった午前2時45分まであるが、この時間の中でどの程度F氏が動いていたかは客観的には解明できないし、F氏が本件挫裂創を負った後、動いたり、手を洗ったりする時間は十分あることは明らかである)。この間に、F氏が手を洗った可能性がある。これは全く抽象的な可能性ではない。被告人宅の洗面所の入口の照明スイッチには、F氏のみのDNA型と思われる血痕が検出され(原審弁29)、洗面所にもF氏のものと混合されたと思われるDNA型、F氏単独のものとして整合するDNA型を示す血痕が検出されている(第一審甲102「現場である被告人方の状況」17および18)。F氏が血のついた手を洗ったという可能性は、現実的なものである。
この可能性について、原判決は、「自殺に向けた行動を取っている者が、本件挫裂創を押さえるなどして手に血が付着したからといって、洗面台まで行って手を洗うというのは、些か不自然との感を免れないし、手を洗った後も本件挫裂創からの出血や痛みがなくなるわけではないと考えられるから、所論は採用できない」(原判決24頁)などとして、同趣旨の原審弁護人の主張を排斥した。
しかし、上述のように具体的で客観的な証拠がある現実的な可能性が、「些か不自然」などという評価によって覆される道理はない。そもそも原判決のような見方は一面的に過ぎる。自殺を考えている人が手を洗うはずがないなどという経験則はないし(自殺を考える人は体をきれいにして死にたいという見方もある)、そもそも、自殺に向けた行動を取っている者が、傷は「手で押さえるはず」とし、一方で「手を洗うはずはない」などというのは有罪ストーリーに都合の良すぎる想定である。原判決の立場に立てば、自殺に向けた行動を取っている者が自分が負った傷など構うはずがない、という見方も認めなければならないはずである。そもそも、受傷した時点で「自殺に向けた行動をとっている」などという前提を置くこともできない。自殺を決意したのはその後かもしれないからである。たとえば、子供部屋に逃げ込んだ被告人を追っていこうとしたが怪我を負ったF氏は、手を洗ったりした後、そのみじめな状況に耐えきれなくなり、あるいは自分のしたことを思い、従来のストレス状況などもあいまって衝動的に、あるいは最終的に自殺を決意したという想定は、何の矛盾もなく現実的なものである。
また、手を洗った後も出血や痛みがあるはずだという見方も一面的に過ぎる。そもそも上述したとおり、本件挫裂創からの出血は数分で止まることが想定されるものであり、上記K医師の見解のとおり、痛みについても痛むはずだなどとはとても言えない。この前提の誤りもさることながら、原判決の想定は、手を洗ったにもかかわらず、またさらに額の挫裂創に触れるなどという不可解な想定であり、全くもって常識に反している。
このように、F氏が手を洗った可能性は現実的で否定しようもない事実であり、これを否定した原判決は不合理であるというほかない。
また、本件挫裂創は、自殺を前提としても、自殺の直前に負った可能性がある。例えば首にジャケットを巻きつけて首を吊ろうとしたが外れてしまい、額を階段に強く打ち付けてしまったという想定である。このような想定によれば、そもそも本件挫裂創を負ってから自殺に向けた行動をとるまでに「相応の時間」があるとした原判決の前提(原判決16頁)も崩れる。自殺に向けた行動といっても、本件ではジャケットを手すりに引っ掛けて首に巻き付くだけで完遂されるものであり、極めて短時間である。ここにおいて、本件挫裂創はすぐに出血することはない(原審J第1回3頁、12頁、)。しかも、(痛みというのは感じない場合もあるというK証言はいったんおくとして)J医師も、受傷直後は痛みがあまりなく、しばらくすると痛くなる旨の証言をしている(原審J第1回4頁)。その間に自殺を完了してしまえば、F氏が手で額を触ることはない(なおこの場合には顔面に血が付着することになるが、その痕跡があったことは上記⑴のとおりである)。
受傷直後の自殺は十分に考えられ、この点についての原判決の説明は医学的知見に反している。F氏の手に血痕が付着していないことは、自殺の可能性を排斥するような事実ではない。
ウ 着衣に関する推論の不合理さ
さらに原判決は、着衣の血痕が少量であるなどとして、着衣で血を拭った可能性を否定する説示をしている(原判決17頁(ウ)以下)。この説示は、着衣で拭った可能性を否定することによって、そうであれば手で拭うはずであるし、そうでなければ顔に痕跡が残るから、顔や手にいずれも痕跡が残っていないことが不自然である旨をいうものである。そもそも、この前提は成り立っていない(上記「ア」)し、現実に血が流れた痕跡もある(上記⑴)が、この部分の説示それ自体にも、やはり経験則の偏った適用、一面的な見方が著しい。
そもそも原判決自身が何度も指摘するとおり,「本件挫裂創からの出血がどの程度の痕跡を現場に残すかについては,止血の有無や仕方,被害者の体勢や行動,地面に対する傷口の向きなどによって変わってくる」(原判決13頁)し,「本件挫裂創の状況から想定される出血量や出血の態様等は明らかでない」(原判決21頁,22頁)のであり,着衣の血痕が「少量」だから矛盾するとはいえない。前述したように,被害者が受傷して意識を失い床に本件挫裂創を接触させた状態で止血し,意識を回復して仰向けの状態によって出血が止まるか、ごく少量となるまで鎮まるのを待っていたとすれば,顔の前面に血液の付着が全くないとは言えないとしても少量である。そうであれば,着衣で血を拭う必要が必ずしもあったとはいえないし,血を拭ったとしても着衣の血痕が「少量」であったことと矛盾するともいえない。
また、「①の部分(左首元から左肩付近にかけての部分である)と顔の位置との位置関係に照らすと、①の部分で顔を拭うなどするのは困難と考えられるから、パジャマ上衣で血を拭うなどしたという疑いは認められない。」などとする原判決の説示も理解に苦しむ。パジャマはある程度伸縮するはずであり、むしろ洋服で額を拭こうとすれば、当該部分は真っ先に候補に挙がる部位ではなかろうか(なお、この部位の血液の付着は、有罪ストーリーだと説明がつかず、自殺に整合的であるので、項を改めて後述する)。
ジャケットで本件挫裂創を押さえたとする原審弁護人の主張に対する判断も不可解である。何をもって原判決が「血痕ようのものも少量」(原判決17頁)などというのか全く不明である。むしろ、証拠上明らかなジャケットの血痕付着部位は相当程度広範であり(第一審甲107号証写真28。また当審弁8)多量に見える。
(支援する会 注:原本ではここにジャケットの写真があり”血痕ようのもの”の採取状況が示されています。)
どんなに控えめにいっても量は不明というよりほかない。また、「本件ジャケットの前身頃の下端部分から採取した血痕ようのものの付着箇所は、他の箇所よりも面積が若干広いことが認められるが、その部分で血をぬぐうなどしたとすると、その位置からして、被害者の手にも血がつくと考えられる」(原判決17頁)は、不合理を越えて凡そ意味不明であるとの誹りを免れないうえ、ふたたび確定できないはずの付着した血痕の量が「少なすぎる」(原判決18頁)などとしている点も不合理である。また原判決は、ジャケットについていた血が乾いていた可能性や、血がついていない部分を触った可能性などにも配慮していない。原判決が「首に血が付着した痕跡は認められない」等とする点も、これを断定する証拠が全くなく、不合理である。
このように、着衣に関する原判決の説示は不合理極まりない。
さらに着衣についていえば、パジャマ上衣の血痕はF氏が活動時に本件挫裂創を負ったことの根拠の一つであるし、ジャケット上の血痕も、これに唾液が混じっていることからすればF氏が自殺をする際に付着した可能性が高いものであり、自殺を裏付けている証拠である。
これらのことは後述するが、ここでは、原判決の論理則・経験則がいかに偏っており、不合理であるかを示したいものである。
エ 顔面の痕跡に関する論理の不合理さ
原判決は、「検視の時点において、本件挫裂創の周囲には血が付着した跡のようなものが残っているが、それを除いた額の部分(被害者の顔が地面と垂直方向の状態であった場合に本件挫裂創から血が流れていくと推測される部分〔本件挫裂創から左眉毛や左目の方向への部分の一部〕を含む。)には、血液の付着はなく、血が流れたような痕跡も、血を拭いたような痕跡もない」「救急搬送時に撮影された被害者の顔の写真(聴取結果報告書〔当審検6〕添付の診療記録に添付されている。)を見ても、救急搬送の時点においても、血液が付着している状況はうかがわれず、本件挫裂創からの血が流れ出たような痕跡も、血を拭いたような痕跡も見当たらないことが認められる」(原判決18ないし19頁)などと説示する。このことから、原判決は、活動時にF氏が受傷して体が垂直になっている状態で血が流れ、これを拭っていない(手に血がついていない)とすれば顔に血が流れた痕跡がないのは不自然だという旨をいうものである。
しかし、原判決が、「血が流れ出たような痕跡」「血を拭いたような痕跡」として何を求めているのか全く不明であるし、おそらく原判決が求めているだろうものは、現に存在している。まず、「血が流れ出たような痕跡」であるが、上記⑴で論じたとおり、救急搬送時のF氏の写真の顔面左側(上記青囲み部分)にははっきりと血が流れた痕跡があり、「血が流れたような痕跡」がないとする原判決の指摘はあまりに重要で核心的な事実を見落としたものである。また、「血を拭いたような痕跡」については、そもそも血を拭いた場合に痕跡が残るかどうか不明である(たとえばタオルなどで拭けば、目視できない程度に血を拭き取ることができるのは我々が日常生活でも経験するところである)。
被告人がF氏の顔面をタオルで拭いたとする供述によっても、F氏に本件挫裂創から血が流れた痕跡も、血を拭いたような痕跡も見当たらないことを合理的に説明することができないとする論理(原判決19頁)も非合理的である。原判決が被告人の供述と矛盾している旨をいう部分の核心は「タオルで顔についた血を拭いた場合、眉毛やまつ毛、目じり等も含めれば、少なくとも、血を拭いたような何らかの痕跡が残ると考えられる」という部分であるが、そもそも血がどのように垂れていたかは不明であるうえ、実際、拭いた後の痕跡として合理的に説明できる痕跡がある。救急搬送時の写真(原審検6)によれば、(顔の一番左側に血が流れた痕跡があるのは前述のとおりであるが、それとは別に)鼻の周りや、鼻翼部付近、内眼角付近、眉毛(左眉の方が濃いので、血が混じっている可能性がある)などに、痕跡がある(これは、当審において提出する鮮明な画像からは、よりはっきりしている)。なおここで、原判決は「被害者の遺体の検視及びそれに先立つ救急搬送の時点において」などとして検視時と救急搬送時を同一視するが、誤りである。検視時には、救急搬送時の写真に見られる痕跡がなく(顔面左部の血の流れたような痕跡もそうであるし、当審で提出した写真から鮮明な鼻翼部の血の塊は、検視時の写真には見られない)、救急措置後に被告人と遺体を対面させる時点や、その後に警察に引き渡される時点、または検視直前等に拭かれたと考えられる。
また、こうした痕跡はともかくタオルで拭き取れるかという点についても、タオルは無数の繊維によって構成される表面粗造で吸水性のある布地であるから、タオルを押し当てたり拭ったりすれば、数十mlから100ml程度の液体など、簡単に拭うことができる。原判決はこの部分で被告人供述の信用性すら否定しようとするようである。しかし、原判決は被告人の供述の信用性を一部採用している箇所があり(原判決18頁)、被告人がタオルを用いてF氏の顔を拭いた事実すら引用している。被告人の供述の採否に関する原判決の判断は、全くのご都合主義としかいいようがない。そもそも、自殺した妻が血を流していたら、きれいに拭いてあげようと考えるのが常識的な心情である。この点は、被告人が当初から一貫して供述していた点であり、信用性を否定するのは不合理である。発見されたF氏の頭には、救急隊の臨場時にタオルが巻かれていたのだから(第一審甲103号証図面1)、被告人によって手当や血を拭くといった行為が行われたことは明らかである。原判決の説示は常識に反するし、これによって被告人供述の信用性をも否定するのであれば、あまりにも愚かな経験則の誤用、不当な信用性評価であるとしかいいようがない(なお、タオルについてはさらに鮮明な画像が発見されたため、当審において事実取調請求する。当審弁7)。
さらにもっと根本的なことをいえば、被告人がタオルで顔を拭いたことの否定は、他殺ストーリーの否定でもある。本件挫裂創には生活反応があり、現場や着衣等に残された血痕があることなどから、血が一定量流れたことは確かなのである。既に述べたとおり本件挫裂創は静脈性の出血であり、顔面のいずれかの部分を伝って流れ出たことは疑いようがない。そうであれば、血が流れた痕跡や血を拭いた痕跡はないことが、自殺を前提とした場合にだけ不合理であるということにはならない。血は顔面のどこかを流れている以上、顔面に血が流れた痕跡がない、血を拭いた痕跡がないという事実は(仮にそれが事実だとしても)、本件争点との関係で中立である。これを、自殺をいう被告人供述、弁護人の主張を否定する根拠としてはならない。
⑶ まとめ
原判決は、ここまで引用してきた論拠によって「自殺ストーリーは客観的な証拠と矛盾する」(原判決20頁)などとするが言語道断の言辞である。原判決の事実認定は、経験則・論理則等に照らして著しく不合理である。
2 階段上で自殺した場合に残る痕跡をもとにした推論の誤り
⑴ 前提となる論理の誤り
原判決が被告人を有罪とした重要な根拠のもう一つが、F氏が階段上で自殺した場合に本件挫裂創から想定される出血(再出血)とその痕跡に関する推論部分である(原判決20頁以下)。
ここにおいて原判決は「本件挫裂創を負って出血している者が、頸部を圧迫された場合、かなり血が上がってくるため、本件挫裂創からの出血量は増えるし、止血していた場合も、その後窒息状態になれば、受傷直後に比べると少ないが、本件挫裂創から再度出血することがあり得ることが認められる。そして、J医師の当審証言によれば、本件挫裂創は止血できているようには見えない傷であり、血が出たまま死亡したと推察するというのであり、同医師及びH医師の各原審証言によれば、窒息の過程で、血液が首から上に集中する状態が生じ、一過性に血圧が非常に高くなること、被害者の遺体には顔面の鬱血及び溢血点の所見があったことが認められることも併せると、いったんは止血をしたとしても、階段上で窒息死に至る過程で、本件挫裂創から再度出血し、その量も少量ではなく、相応の出血量であったと推認することが合理的である。いずれにしても、自殺ストーリーを前提とすると、窒息死に至る過程で、本件挫裂創から相応の量の出血があったと考えられ、その痕跡が被害者の遺体・着衣や現場に残っているはず」(原判決20ないし21頁)などとする。
しかし、この前提となる論理自体、極めて脆弱なものである。たしかに、頸部圧迫が起これば顔面の鬱血がある程度生じることは否定しないが、どの程度の圧迫をされたのか,その圧迫によりどの程度の出血があったのかは不明である。J医師も再出血が「あり得る」としているにすぎず、血が出たまま死亡したという点も断言していないし、ましてやその際の出血量も述べていない(原審J第1回証言8頁、14頁等参照)。仮にJ医師の証言を採用して止血しないまま亡くなったとしても、その出血量は数滴レベルかもしれないし、傷の周りにじわじわと広がる程度だったかもしれない。原判決も認めているように「本件挫裂創の状況から想定される出血量や出血の態様等が明らかでない」し,「本件挫裂創からの出血がどの程度の痕跡を現場に残すかという点については,止血の有無や仕方,被害者の体勢や行動,地面に対する傷口の向きなどによって変わってくる」のである。したがって、本件挫裂創を負った者が階段上で首を吊ったとして、本件挫裂創からの出血の有無や出血の程度、量などは不明であるというよりほかない。それにもかかわらず、「その量も少量ではなく、相応の出血量であったと推認することが合理的である」などとするのは自己矛盾であり、原審自らが「不合理」とした第一審と同じ過ちを再び犯していることにほかならない。またこの点は、医学的領域であるにもかかわらず、原判決が自ら想像を働かせて補った部分であり、その意味でも合理性がない。
このように、前提となる論理に欠陥があるため、その後の説示も全く合理性のないものに帰している。
⑵ 現場の痕跡について
判決は「階段の上から見ると、被害者の背中が被告人の方を向いており、顔は下を向いていたというのであり、そのような状態であれば、基本的には、本件挫裂創から血が滴下すると考えられ(仮に、被害者の顔が地面と垂直方向にある状態または上を向いた状態になっていた場合には、本件挫裂創から顔を伝うなどして滴下すると考えられる。)被害者の体勢や血の滴下の仕方等によって異なってくると考えられるものの、滴下した血は、階段上に付着したり、被害者の着衣に付着したりすると考えられる」としたうえで、「少量の血痕が付着した階段の1段目と3段目の2か所しか痕跡がないというのは、本件挫裂創の状況から想定される出血量や出血の態様等が明らかでないことを考慮しても、相当に不自然」であるなどとする(原判決21頁)。
しかし、まず、引用された被告人供述である「階段の上から見ると、被害者の背中が被告人の方を向いており、顔は下を向いていた」という部分であるが、この点は2階側から被告人が見た姿勢であり、本争点との関係で重要な顔の角度や向きをこの供述から判別することは不可能であるから、これをもとに血の垂れ方を推測するには無理がある。
また、上述のとおり、本件挫裂創を負った者が首を吊って自殺した場合にどの程度の出血量があるかは全く不明であるというべきであり、これが階段上に滴下するはずだなどということはできない。たとえば、本件挫裂創から想定される出血量は、数10ml~100ml程度である(原審K第3回7ないし8頁)。原判決が、再出血は受傷直後に比べると少ないことを認めつつ「相応の出血量」があるとしてどの程度を想定しているかは明らかでないが、数mlという程度かもしれない(この程度を具体的に示す証拠は何もないから、被告人に有利に解すべきである)。数mlという出血量は数滴程度のものであるし、本件挫裂創は静脈性の毛細血管からの出血で、活動時ですら顔面を伝うようにして垂れるような態様の出血であるから、再出血の場面を想定するとしても、階段上に滴下する程度の量が出るという根拠はどこにもない。自殺の場面を想定すれば、F氏はジャケットを首に巻いているのであるから、顎付近にあったジャケットが顔を伝って流れた血を吸収したという想定も可能である。実際、ジャケットには血痕が付着している(第一審甲107)そもそも人が顎を下げるような姿勢を取れば、顎が胸のあたりに接着し、それ以上うつむくこともないような姿勢も考えられるし(これは被告人の供述する態様と矛盾しない)、なによりジャケットが首に巻いてあるのだから、ジャケットが顎に接触し、さほどうつむくこともできない。そのような姿勢であれば、血は顔を伝い、巻いていたジャケットに血がつくだけで階段上に血は垂れたりしないと考えるのが自然である。
なお、本件挫裂創から顔を伝った痕跡が存在することはすでに論じたとおりであり(上記1⑴)、この痕跡がないとの原判決の指摘(原判決22頁)は失当である。
⑶ 着衣の痕跡について
原判決は、パジャマズボンに目だった血痕がないこと、パジャマ上衣に見られる血痕について「出血に整合する痕跡がなく、本件挫裂創から想定される出血量や出血の態様等が明らかでないことを考慮しても、不自然といわざるを得ない」(原判決22頁)などとする。
しかし、パジャマ上衣のうち、左首元から左肩付近にかけての部分は、本件挫裂創からの血が垂れて付着したとして整合する場所であるし、左胸やみぞおち付近の血痕については、「相応の量の出血と整合しない」という説示の前提となる出血量が確定できないから、その整合性を論ずることは全く不合理である。
後述のとおり、パジャマ上衣の血痕はむしろF氏が活動している際に本件挫裂創を負ったことを示す証拠であるが、原判決の想定の限りでもその論理は著しく不合理というべきである。
3 尿斑についての説示の非合理性
⑴ 原判決の論理
原判決は、第一審判決の尿斑に関する論理を医学的知見に反するものとして不合理であるとし、動静脈の圧迫など一時的な要因で生じうることを認めた(原判決28頁)。しかし、そもそも被告人供述が信用できないという理由で、一時的失神の原因となる行為があったという現実的な可能性は認められない、などとしている。
また、さらに尿斑に関する所論を検討するなどとして「解剖時に被害者の膀胱に少量の尿が残っていた事実は、自殺ストーリーと整合しない」(原判決29頁)、第一審判決が相当程度の量と推認したことは不合理でない(原判決30頁)、階段上の尿斑が失われた可能性は考えにくい(原判決30ないし31頁)など説示し、特に階段に尿斑がないことを有罪理由の一端としている。
⑵ 一時的失禁の現実的可能性がなかったとする論理の誤り
上記論理はたくさんの問題を含むが、最も重大な誤りは被告人供述が信用できないという理由で一時的失神の原因となる行為があったという現実的な可能性は認められないなどとした点である。
もとより尿斑は、窒息の重要な論拠になどならない。原判決も、その推認力について、いわゆる唾液混じりの血痕とされる痕跡と併せて「一応は合理的に推認できる」(原判決10頁)程度と評価している。これは、尿斑の原因となる失禁の原因には様々な可能性があるのであって、その有力な一つには一時的な失神等があるからである。したがって、被告人の供述評価以前の問題として、尿斑という痕跡およびその原因となる失禁という事象そのものの推認力の限界として、失神等の可能性を否定することができないのである。これを被告人の供述評価の問題と捉え、被告人の供述が信用できなければ現実的な可能性がないという議論をするのは、許されない立証責任の転換そのものである。
⑶ 膀胱内の尿に関する推論の非合理性
F氏の膀胱に、救急搬送時に少量の尿が残っていたことが指し示すのは、F氏が窒息死しても全量を失禁することはなかったこと、そしてそこから論理的に、ある人が窒息死した場合、必ず全量を失禁するとは限らないということである(なおこれは本件で証言した複数の専門家の供述からも裏付けられる)。
ところが原判決は、「原判決(弁護人注:これは第一審判決のことである。以下同様)の前提にはやや不正確な点があるが、膀胱に残っていた尿は少量であり、解剖時の膀胱はほぼ空であったという評価ができるから、膀胱が空であったという原判決の評価と大きく異なる状態であったわけではないし、寝室内に窒息の第2期後半の状態の際に生じることがあるとされている痕跡が2つ揃っている一方で、それ以外に第2期後半の状態を経過したことを窺わせる痕跡が見当たらないという原判決の判断も左右されない」(原判決29頁)などとして第一審判決を救っている。しかし、この第一審判決の論理は、単に膀胱が(ほぼ)空であることが重要なのではない。第一審判決の論理は、階段上に尿斑が残っていないことを不自然とする論理であった(だから、「痕跡がない」ことが意味を持つ)ところ、これは人が窒息する際には尿が全量排出されるであろうという誤った仮説を前提にしなければ成り立たないのである。この前提が成り立たないことが原審の事実取調で判明した(第一審証言でもこれは明らかであったが)ものである。したがって、膀胱が空なのか、それとも10mlでも膀胱に尿が残っていたのかは、窒息死をしても膀胱に尿が残ることは現にあることが判明したという点で、争点との関係で決定的な違いがある。
それどころか、原判決は「かえって、解剖時に被害者の膀胱に少量の尿が残っていた事実は、自殺ストーリーとは整合しない事実」であるなどと説示している(原判決29頁)。が、その理由は不合理である。まず、原判決が自殺と不整合というところの根拠は「少量とはいえ、膀胱内の尿が失禁により排泄されるのが自然であ」るという点である。しかし、窒息の際に必ず失禁すると証言している医師はどこにもおらず、むしろ窒息死の際に失禁するかどうかはわからないという証言がある(第一審J第3回40頁)のであって、「第2期後半の状態に至った時点で、少量とはいえ、膀胱内の尿が失禁により排泄されるのが自然」などということはできないはずである。
したがって、「パジャマズボン及びパンツの前面にしか尿量が付着していないこととも整合しない」(原判決29頁)との説示も明らかに不当である。また、仮に階段上での自殺の際に少量の失禁をしたとしても、その量が少量なのであればパジャマやパンツが吸収し、階段には滴下しなかったという想定も可能である。
なおこの尿斑についての原判決の論理は、そもそもパジャマズボン及びパンツの前面にしか尿が付着していないという事実の指摘自体が客観的証拠に反している(第一審甲106写真7ないし10および図面2)。
(支援する会 注:原本ではここに”パジャマズボンに対しての特殊光源装置による光源照射の実施状況”の写真が添付されています。)
検察官ですら、第一審の論告において「パジャマズボンの背面部分にも尿斑が付いている」と主張している。この点の原判決の事実認識には明らかに誤認がある。さらに、このパジャマズボン及びパンツの後ろ面まで尿が付着している事実は、有罪ストーリー、つまりF氏は寝室でうつぶせのまま窒息死したという想定に反しており、階段での自殺を裏付けている。うつぶせでしか失禁していないのであれば、前面にしか尿が付着しないことは理解できるが、実際に付着している尿は後ろ側にも及んでいる以上、うつ伏せで失禁した(寝室で一時的な失神により失禁した)場面以外にも、尿が後ろ側に回り込むような姿勢で失禁する機会があったことが強く窺われる。これは、F氏が階段で自殺する際に失禁した場面しか、本件証拠関係上考えられない。
⑷ 階段上の尿斑についての推論の非合理性
原判決は、階段上で尿斑検査をした部分と反対側に尿が付着した可能性や、捜査官、被告人及び被告人の子らが階段を上下することにより尿斑が失われた可能性を排斥している(原判決30ないし31頁)。
しかし、階段は77センチしか幅がないところ、通常、人間の幅は40センチ前後程度はあると思われ、体勢によっては尿斑検査をしていない場所に尿斑が付着しても不合理ではない。また、後者の点についても、養生がされた時点より前にどれほどの人通りがあったかは明らかでなく、むしろ救急隊や捜査官が何度も行き来したり、子供等が7時間以上自由に階段を上下していた状況があったことが窺えるのである。これは何も数回や十数回というレベルの話ではない。階段が養生されるまでの間、まず救急隊・消防隊が2階を確認している。消防隊員のMは、被告人に2回に案内してもらった旨述べている(第一審M第1回10頁等)。救急隊員のNは、消防隊をして2階の様子を確認に行かせたとしている(第一審N第1回11頁等)。彼らは複数名で臨場しているから、この時点で、被告人に加え、消防隊や救急隊の複数名の人員が階段を上り下りしていることになる。子供が1階と2階を何度上り下りしたかは不明とはいえ、トイレに行くためには1階に降りなければならないから、常識的に考えれば日常生活で1階に降りないということは考えがたい。また、鑑識の警察官が階段上を調べていたり(第一審被告人第5回24頁)、書き置きを残しに来た際に警察官が2階で写真撮影をしていたり(第一審被告人第5回25頁)するなど、相当の人数の捜査官の出入りもあったものと思われる。少なく見積もっても数十回程度は人の往来があったというべきであろうか。実際、手すり上の血痕が喪失しており(原審L第2回23頁)、これは子供たちがこの付近で手すりに触れたり、汚れを拭きとって消したりして消失したことを強くうかがわせる(実際、この付近には子供の掌紋が残っている(原審弁16))。「痕跡がすべて失われるとは考えにくい」などという原判決の推論はなんの根拠もないものというべきである。
そもそも階段上で自殺した際に失禁すること、そしてそれが階段に付着するという前提自体もないのであり、尿斑が階段にないことが不自然であるなどという説示は、経験則・論理則等に照らして不合理である。
4 唾液混じりの血痕についての説示の非合理性
第一審判決およびこれを結論において支持する原判決は、寝室にあった唾液混じりの血痕を有罪認定の根拠の一つとしている。
原判決は、「口唇部に出血するような損傷はなく、口腔内に出血を伴う損傷は確認できなかったこと、・・・・J医師は、少なくとも鼻及び口(口唇部、口腔内を含む)に目だった出血の痕跡を確認していないことが認められる」などとしたうえ、「所論のいう機序で出血した場合でも、その出血量は微量ないし少量であると解されるのであり、これは、本件マットレス及び本件カバーへの血痕ようのものの付着状況(統合捜査報告書〔甲106〕添付の写真14ないし19。P警察官の原審証言等によれば、微量ないし少量の血液が付着した痕跡というには若干面積が広い。)とは、やや整合的ではない」などと説示している(原判決31ないし32頁)。
「若干」「やや」など、一見して趣旨不明瞭で当を得ない説示であるが、それはさておき内容の問題に言及すると、原審弁護人も主張したとおり、「唾液混じりの血痕」といっても、鮮血のような血痕ではない(第一審甲106写真16ないし19)。
(支援する会 注:原本ではここにマットレス上の”唾液混じりの血痕ようのもの”に印をした写真が添付されています。)
少量の血液の成分がマットレスの痕跡に合う程度の唾液と混ざったと考えれば、「出血量は微量ないし少量」であるという事実がマットレス上の痕跡と整合しないなどということはできない。
実際、歯ぐきからの微量の出血といった事態は十分にあり得る仮説であるし、F氏の口唇部付近には擦過傷が見られ、J医師もこれらの表皮剥脱は赤みを帯びており生活反応があって血が外ににじみ出ることがありうると述べている(第一審J第3回23頁)。
さらに、少量の鼻血が唾液に混じってこれが検出された可能性もある(第一審J第3回24頁)。
また、口唇部にも微量の出血を伴ってもおかしくないような傷も見られる。この点に関して、J医師は口唇部に傷があった記憶はない旨を述べていたが(原審J第1回11頁)、当審において再度確認したところ、J医師はこれを覆し、ここからの出血の可能性を認めたので、その証拠を鑑定書と共に事実の取調を請求する(当審弁4ないし6)。口唇部の傷に関しては、従前大きな攻防になっていなかったが、改めて注目すべき重要な証拠である。この傷は、赤黒く、出血した跡であるとしか考えられないから、生前にF氏が唇を出血していたことを意味する。治癒しておらず、F氏と被告人が寝室で格闘した際にもあった(あるいは、格闘により成傷した可能性も十分に高い)ものと思われる。そうだとすれば、F氏の口から漏れ出る唾液はこの口唇部の傷を通過することになるから、唾液に血痕が混じるのは当然である。原判決は、この唾液混じりの血痕について、寝室の尿斑とあわせ、「被害者が第2期後半の状態を経た場所は、被告人方内で唯一、上記の痕跡がそろっている寝室内であると推認することは合理的な判断である」(原判決10頁)とし、この二つの痕跡をもって「上記事実が一応は合理的に推認できるという趣旨」であるとして(原判決10頁)、第一審の判断を是認している。しかし、この唇の傷によって唾液に血痕が混じって当然の状態なのであれば、ここでいう「そろっている」という事態それ自体がなくなるし、尿斑と唾液混じりの血痕の両方を合わせて「一応は合理的に推認できる」程度であったその推認力も、一気に低下することになる。もはやこの口唇部の傷により、自殺の可能性を否定する消極的な論理を検討する以前の問題として、殺害を積極的に推認する根拠が失われたということができる。
こうした証拠によれば、窒息でなくても唾液に血液が混じることは十分考えられるのであるから、寝室における唾液混じりの血痕が、窒息の第2期に生じたものであることを示すものではない。
5 自殺はすべてを説明する
以上のとおり、原判決は到底有罪ストーリーが合理的疑いなく証明された旨を判示できているものではない。なお、念のため、「自殺」の仮説は全ての事実を説明していることを再論する。
⑴ 自殺した場合の仮説の内容
以下のような仮説は、全ての事情を矛盾なく合理的に説明できる。
なお、むろん、ここにあげるのは一つのありうる事態の流れであって、ここまで詳論してきたとおり、反対仮説はこれに限られるものではない。
① 被告人は、寝室においてF氏と格闘し、F氏はその際に失禁した。
② F氏は,意識のある状態で,左前額部を階段の角などにぶつけて本件挫裂創をつくった。
③ しばらく意識を失い,その間に出血により床に血だまりをつくった。
④ 意識を取り戻して負傷部位を手でさわり,仰向けになって,出血が止まる、あるいは鎮まって出血量が少量となるまで休んだ。
⑤ 出血が収まったので,洗面台に行き手を洗った。
⑥ 自殺を考え,階段を上り,本件ジャケットを手に取った。
⑦ 本件ジャケットを階段の手すりを通して首に巻き付けて自殺した。
⑧ その際,本件挫裂創から再び出血した。
⑨ 被告人がF氏を発見し,顔の血を拭った。
⑵ 寝室の尿斑及び唾液混じりの血痕
寝室の尿斑は、上述の寝室での格闘の際に生じたものである。たとえば格闘の際に被告人が動脈を圧迫し(第一審被告人第4回7~8頁)、一時的な失神が起こって失禁してしまった可能性(第一審J第3回29ないし30頁)がある。もとより可能性はそればかりに限られず、失神することの必然性もない。激しく対応しているだけでも失禁する人だっている。一瞬でも気を失えばそれと同時に失禁してしまうこともあるのであって(原審J第1回20頁)、この可能性は現実的である。
唾液混じりの血痕の生成過程はすでに述べたとおりである。唾液混じりの血痕といっても鮮血ではないところ、口唇部付近にみられる表皮剥脱、口唇部の裂傷、鼻血、歯茎の目に見えない傷などから血の成分が混じった、など、様々な可能性が考えられる。
⑶ F氏の両手,着衣,顔の前面
前述したとおり,F氏が本件挫裂創を負ったあと,意識を取り戻して仰向けになって出血が止まる、あるいは出血量が少量となるまで休み,出血が収まったあと手を洗い,被告人がタオルで顔の血を拭ったとすれば,F氏の両手,着衣,顔の前面に血液の付着がないとしても説明がつく(なお、上述1⑴のように、F氏の顔に血痕が残っている事実がある。これ自体、自殺が真実であることを物語っている)。
⑷ 階段上の血痕
F氏が階段上で自殺をしその際に再度出血したとしても,階段の1段目及び3段目に各1か所しか血液がないこと,いずれも少量であることも説明がつく。
のみならず,F氏が自殺を考えて階段をのぼり,2階の階段とリビングを分ける柵に掛けてあった本件ジャケットを取りに行ったとすれば,階段5段目10段目にある被害者の人血と認められる血液の説明がつく。
また,F氏が自殺を考え階段の手すりに本件ジャケットを巻いたとすれば,階段2段目の手すり,階段1段目及び4段目のへりに付着しているF氏の血液も説明がつく。
⑸ F氏の下顎部から頸部にかけての擦過傷および索状痕
さらに,F氏が本件ジャケットを首に巻いたとすれば,F氏の下顎部から頸部にかけて存在する広範な擦過傷が生成されたことも説明できるし,頸部の索状痕ようの痕跡も説明がつく。
⑹ 階段上の尿斑
原判決は,「被害者が首を吊ったという階段上に被害者の尿斑の付着が認められない」ことについて,原審における事実取調べの結果「救急搬送時の被害者の膀胱に少量の尿が残っていたこと」が明らかになったことをとらえて,「自殺ストーリーを前提とすると,階段上に尿斑の付着が認められないことの不自然さが一層明らかにな」った(23頁)とする。
原判決のこの指摘は,「階段上で死んだのなら,膀胱内に尿は残っていない」という判断が前提になる。
しかし,原判決は,一方で,膀胱内に尿が残っているのに「被告人が,寝室の本件マットレス上で被害者の頸部を圧迫し,窒息の第2期後半の状態を経て窒息死させていたことが推認される」(3頁)としており,死んでも膀胱内に尿が残っていることを前提としている。
階段上の尿斑についての原判決の判断は自己矛盾である。
人が死ぬ時に失禁するかどうか,失禁しても尿がどの程度出るのかは一様ではなく,階段上に尿斑の付着がないことが階段上における自殺と矛盾することはない。一方で、F氏のパンツ下面及びズボン背面には尿斑があり、これは有罪ストーリーで想定されているようなうつぶせの状態では付着し得ないことも併せ考えれば、これが階段上での少量の失禁にも整合する。
⑺ 階段手すりの留め具
原判決には,「階段手すりの留め具が本件ジャケットの繊維が検出されていないこと」(23頁)も,自殺ストーリーと整合しないと指摘する。
しかし,本件ジャケットは,手すりに通せば目的を果たすので,留め具に本件ジャケットの繊維が必ず付着するという証拠はない。
本件ジャケットの繊維が検出されていないことは,本件ジャケットが巻きつけられてたか否かに関する証拠が存在しないだけであり,本件ジャケットが巻きつけられていなかったことを証明するものではない。さらにいえば、手すりの血痕が事後的に消失したり、子供の掌紋が検出されたりしたことも明らかになっているのだから、繊維なども事後的に消失した可能性は否定できないものである。
⑻ 小括
原判決は,「①ないし⑤の事情については,それぞれの事情に対して反対事情の存在可能性を否定できない点があるとしても,自殺ストーリーを前提とした場合には,①ないし⑤の事情が重なって存在することを合理的に説明できない」(23頁)という。
しかし,これまで述べたとおり,①ないし⑤の事情のみならず,自殺の仮説は、本件で問題とされたすべての事情を一貫して矛盾なく合理的に説明できる(なお、上記仮説はあくまで一つの仮説であり、この仮説のみに自殺の仮説が絞られるものではないことは念のため強く強調しておく)。
第7 重大な事実誤認(他殺ストーリーの不合理性)
1 有罪ストーリーだと説明できない証拠
自殺が不合理であるとする原判決の認定が非合理的であることをこれまで述べてきたが、むしろ本件には有罪ストーリーを前提とすると極めて不合理な事実が多々あることを忘れてはならない。
原判決はこうした事実について説明を試みているが、いずれも明らかに不合理である。以下個別に検討をする。
⑴ あごの擦過傷
有罪ストーリーを前提とすると、F氏の下顎部に見られる広範な擦過傷は、どう考えても説明が困難である。他方で、ジャケットを用いて自殺をしたのであれば、広範な擦過傷は自殺の際についたという説明が可能である。
これについて原判決は「被告人が本件ジャケットを着用した状態で、被害者の頸部を圧迫したとすれば、本件擦過傷を生じた理由を説明することが可能である」(原判決33頁)などという。
しかし、これは暴論である。被告人の腕には、複数の傷があり、これはF氏の抵抗によって生じたものだとされていた(例えば、第一審判決5頁)。原判決は、ジャケットがジャージ素材の生地だからジャケットの上からでも傷がつきうるかのような説示をするが、Q医師は、被告人の腕の傷を爪で引っかいたり爪でぶつかったりして出来たものであり、本件ジャケットを着たうえで生成することは考え難い旨明言している(第一審Q第3回28頁)。原判決の認定は、明白に医学的知見に反する。また常識的に考えても、ジャケットを着たうえでこのような傷ができるとは考え難い。また、被告人の顔面にも同様の形状の傷が多数ついており、被告人の腕も顔と同様に露出していたと推定するのが妥当である。
さらに、被告人の右肩には数条の引っかき傷がある(第一審甲105)。これは、F氏が抵抗する中で引っかいて出来たことが考えられる(第一審J第3回34ないし36頁など)ところ、ジャケットまで着ていたのであれば抵抗の過程でこの傷を生成するのは困難である。加えて、被告人の腕には全く擦過傷がない。本件ジャケットを着た被告人の腕でF氏のあごの擦過傷が成傷したというのなら、ジャケットの生地を挟んで被告人の腕にも同様の摩擦が生じているはずである。ところが、被告人の腕にはそれに対応する擦過傷が、ほんのわずかすらも存在していない。被告人がジャケットを着たまま被告人の腕でF氏のあごの擦過傷を成傷したなどという想定は無理である。被告人とF氏が格闘になった際、被告人がジャケットを着ていたなどという想定はおよそ不合理である。
もとより常識的に考えても、自宅に帰れば上衣である本件ジャケットを脱ぐのが自然であり,第一審判決も認めるように,2階の階段とリビングを分ける柵に掛けたという被告人の供述に不審な点はない。
原判決は、下顎部の擦過傷について、「被害者が寝室内で頸部圧迫による第2期後半の状態に至った後、本件擦過傷が生じている部分を床に接するようにして、被害者を引きずって寝室から階段下まで移動させた結果、本件擦過傷が生じた」などという仮説を述べたうえで「被告人の行動、被害者の動静等について、解明できない点が残ることはやむを得ないところであり、本件擦過傷の形成機序を確定的に説明することは困難であるものの、そうであるからといって、本件推認が揺らぐものではない」(原判決34頁)などという。
しかし、あまりに苦しい議論である。まず、体を引きずって下顎部(しかも、あごよりも首側、あごと首の境目のような位置である)を接するように引きずるという体勢はおよそ不可能である。どう想像を膨らませても、せいぜいあごの頂点付近が地面につくような体勢しか考えられず、下顎部、あごから首にかけての部分が広範囲に擦過傷ができるなどという事態は想定し難い。F氏のあごの頂点部分に目だった擦過傷はない。また、もしそのような体勢で運んだのであれば、失禁しているF氏の体の前面部分が床に引きずられることとなるところ、寝室から階段にかけての廊下には尿斑はなく、また、そのような体勢で擦過傷が生じたのであれば反応すると思われるルミノール反応もない。原判決の想定は、こうした現場の痕跡にも反する。原判決はさらに「被害者を背中が床に接するなどした状態で引きずったことも考えられ」るなどとしている(原判決34頁)が、下顎部に広範な擦過傷をもたらす引きずり方で、背中がつくような引きずり方はどう考えても矛盾しており(なお、背中がつくような体勢で引きずれば痕跡が残らないという前提自体も疑問である)、原判決は何を想定しているのか、全く不明で支離滅裂であるといわざるを得ない。
この点に関する原判決の説明は全く不合理である。やはり、有罪ストーリーでは下顎部の広範な擦過傷は説明が困難である。有罪ストーリーだと説明が困難というだけではなく、自殺した際のジャケットでの擦過であれば容易に説明がつく事実である。第一審で出廷した医師らも、擦過傷がジャケットで生成しうることを認めている。その一方で、原判決の説示は医学的見解に反している。自殺でのみ説明できるからこそ、この下顎部の擦過傷は見過ごしてはならない重要な争点なのである。本件において、F氏の左前額部の挫裂創と下顎部の擦過傷は、F氏に残された2つの大きな損傷である。そのうちのひとつである本件挫裂創は、死戦期の損傷として検察官により有罪の根拠の一つとされ、解明が試みられてきた(実際は、上述のとおり、活動時の損傷でありむしろ無罪の証拠である)。しかし、弁護側が無罪の痕跡として主張するあごの擦過傷については、第一審及び原審においてことごとく等閑視され、挙げ句の果てには「解明できない点が残ることはやむを得ない」などといって捨象されている。これはあまりにも不公平なご都合主義の判断というそしりを免れない、無罪推定の原則に反する言語道断な説示である。実際は、左前額部の挫裂創も、あごの擦過傷も、本件が自殺の事件であり被告人が無実であることを示しているものである。
⑵ ジャケットの唾液混じりの血痕
原審において被告人のジャケットの袖部分に唾液混じり痕が存在することが明らかとなった(原審弁3)。この唾液痕には、血痕との混合を調べる検査まではなされていないが、血痕と唾液は重なって検出されており、これも唾液混じりの血痕の痕であることが強く推認される。
この血痕と重なった唾液痕は、唾液混じりの血痕が窒息の第2期後半を迎えた根拠になるという原判決の立場からすれば、F氏がジャケットに触れた状態で死亡した現実的可能性を認めなければならないはずであり、それはジャケットを用いた縊頚である。
これに関する原判決の説明は一切ない。弁護人は原審においてこれに関する証拠を提出し(原審弁3)、控訴審の弁論においても十分に論述していた(控訴審弁論27頁)。これに対する応答がないのは極めて不誠実であり、索条痕等を無視した第一審判決と同じ過ちを繰り返しているものである。
ジャケットに関する原判決の説示は、ジャケットの血痕に関し「本件ジャケットを着用した状態で、被害者の頸部を圧迫したことも考えられ、いずれにしても、本件推認に疑問を生じさせるものとはいえない」などとした(原判決35頁)部分である。
しかしこの説示自体も不合理である。上述のとおり、本件ジャケットを着用した状態で頸部圧迫をしたという想定はおよそ不合理である。何より,「被告人が本件ジャケットを着用した状態で,被害者の頸部を圧迫した」との判断は,第一審以来,検察官も一度も主張していないし,第一審の判断にもなく,いきなり原判決が持ち出したものである。このような不意打ちは,「こうでもしなければ説明がつかない」ということを,原判決自身が認めているといえる。
原判決の上記引用部分中の「いずれにしても」の意味は不明であるが、ジャケットを着用して頸部圧迫したのでないとすれば、自殺以外でF氏のDNAが検出される唾液混じりの血痕が付く機会はない。これも、ジャケットを用いた自殺を示す有力な根拠である。
⑶ パジャマ上衣の血痕
F氏のパジャマには、左首元、左肩部分及び胸部付近に血痕が付着している(第一審甲106写真1。なお、さらに鮮明な画像が発見されたため、当審において事実取調請求を行う。当審弁7)。
もし有罪ストーリーを想定するときは、F氏の左前額部の挫裂創は、被告人が寝室でF氏を窒息して殺害した後、被告人がF氏を引きずり、その後心拍が停止しない死戦期(脳死状態)の間に、被告人が階段から落下させるなどして人為的に生成されたことになる。このようにして本件挫裂創が生成された場合、F氏の遺体は重力に従って倒れることになる。たとえば、階段から落ちて傷を作り、そのまま階段下に倒れるような想定である。F氏が直立に近いような態勢になることは想定し難い。
ところが、パジャマの血痕は、本件擦過傷から見て直立した場合に下に位置するところ、有罪ストーリーでこれを説明するのは困難である。最も合理的なのは、本件挫裂創を受傷後、F氏が直立しており、血が垂れて左首元、左肩部分に付着したり、顔を伝う血をパジャマの生地でぬぐったり、手についた血をパジャマで拭いたりするなどして上衣に付着したという事態である。原判決自身、直立した状態であれば血が垂直に垂れることを認めているのであって(原判決13頁)、まさにそうした状態の血痕がパジャマ上衣に付着したとみるのが自然である。
本件挫裂創の受傷後にF氏が動いていた、という事実は、それ自体無罪を示す(F氏を殺害したとされる寝室には目だった血痕はないので、本件挫裂創は寝室のもみあいの後に生じたということになる)。パジャマの血痕は、その可能性を十分に裏付けている。
⑷ 索状痕
原審ではじめて写真が採用された(原審弁1写真4および6)ように、F氏の首には索状痕ようの跡があった。これは第一審でも医師の証言などの中には現れていたが、第一審判決はこれを無視していた。原審ではこれを正面から取り上げたが、原判決は「J医師は、原審(弁護人注:第一審)公判で、細い索状物が当たった痕跡はなく、幅広で、表面が柔らかかったり、滑らかなもので、幅広のネクタイ、タオル、本件ジャケット、手のひら、腕といったものが頸部を圧迫したと考えられると証言していることに照らすと、被告人による他殺であったとしても矛盾はない」(原判決35頁)などと説示した。
しかし、これは明らかなJ証言の誤読である。
原判決の引用する上記部分は検察官の主尋問中であり(第一審J第3回10頁)、特に何の前提も置かずに解剖所見を尋ねた際の答えである。他方、J医師は、解剖写真よりより明瞭な検視調書中の写真を見せられて(原審弁1と同じものである)、腕でこのような帯状の痕はできにくいのではないかという弁護人の問いに対し、「そうですね、所見上は、比較的不明瞭というふうに、私は、鑑定書というか解剖所見で書いているんですけれども、例えば、ヘッドロックだと、ここまで、比較的不明瞭といいながらも赤い部分と白い部分がそれなりに分かれているので、やはり、むしろネクタイとか、幅広の索状物の方がどちらかというと考えやすいかもしれないけれどもという気はします」(第一審J第3回33頁)と答えている。つまり、原判決の引用する部分は、J医師が検視調書の写真を見る前の証言であり、引用に適切ではない。上で引用した回答部分からすれば、正確には、J医師の証言はヘッドロック(要するに、腕での首絞め)でF氏の遺体に見られた索状痕ようの痕跡がつくとは考えにくく、むしろ幅広の索状物の方が考えやすい、という趣旨のものである。
こうした索状物を首に巻き付ける行為として、本件証拠関係上想定されるのはジャケットによる縊頚のみである(なお、ジャケットを着たまま被告人が頸部圧迫行為をしたという可能性は、上述のとおり否定される)。J医師は、上記引用部分以外にも、頸部に走る2本の縦方向の線状の跡について「服の模様」などが考えられると証言し(第一審J第3回38、39頁)少なくとも腕による圧迫では考え難いというのがJ医師の見解であり(なお、第一審公判では、検察側証人のH医師も、首の索状物は着衣によるものであると証言している。第一審H第3回35頁)、これも、有罪ストーリーでは説明ができない事情である。
⑸ 階段上の血痕
階段の1段目,3段目,5段目,10段目,階段2段目の手すり,階段1段目及び4段目のへりには,被害者の血痕が付着している。
これら多数の被害者の血液の付着は,他殺ストーリーでは説明がつかない。
原判決は,「被告人が階段下の血だまりなどをタオルで拭いた後,血の付いた手で階段の手すりやへりを触ったり,被告人がタオルを持って移動した際に,タオルに染みた血が階段上に滴下したりしたなどが考えられる」(35頁)という。
しかし,他殺ストーリーでは,被告人は被害者を寝室から階段下にまで運んで転落死を偽装しようとしたというのであり,被告人が階段を上る必要性は全くないし,手すりやへりに触れる必要もない。
このような無理な被告人の行動の作出こそが「こうでもしなければ説明がつかない」ということを示している。
⑹ 子供部屋ドアの包丁痕など
冒頭にも記述したが、弁護人は,産後うつなどから精神的に不安定になったF氏が寝室で寝ていた生後9ヶ月の第4子Gを道連れに死ぬ,などと言い出したことからこれを止めるために1階寝室でもみ合いとなり,その後F氏が錯乱して包丁を持っていたことから被告人は2階の子ども部屋にGを抱いて立てこもり避難した、と主張している。こうした経過はその後の自殺を導く経緯を示す事実経過として極めて重要であるうえ、客観的証拠にも裏付けられている。子ども部屋のドアの外側には包丁で突き立てられた跡が12箇所あり(第一審甲102「現場である被告人方の状況」22)、子供部屋のドアの内側には、被告人の背丈に合う高さに、ほこりが1ない部分の痕跡がある(第一審甲102「現場である被告人方の状況」23)。
(支援する会 注:原本ではここに”12箇所の損傷痕がある子供部屋のドア外側”と”ほこりが付着していない箇所を囲んだ子供部屋のドア内側”の写真が添付されています。)
したがってこれらの証拠は、F氏が自殺したことを裏付ける証拠である。
ところが、第一審判決及び原判決は、これに関する説明をしていない。原判決に至っては(第一審判決が量刑の理由とはいえF氏が錯乱状態にあったことを認めていたのとは対照的に)被告人の供述を全面的に信用していない。しかし有罪ストーリーからは、このような痕跡が生じている理由の説明は極めて困難である(Gを抱えて子供部屋に閉じこもった後、包丁を持って錯乱状態にあるF氏に立ち向かって、寝室で首を絞めたとでもいうのであろうか)。
また、実際は、裏付けはこればかりではなかった。第一審で請求したRは、被告人がGを抱いて子供部屋に来た場面と思われる場面を記憶している(当審弁10)。
自殺にいたる経緯を語る被告人供述には多数の裏付けがあり、被告人の語る経過についてその信用性を否定することはできないはずである。
⑺ 有罪ストーリー自体の不合理さ
ア 検察官の有罪ストーリーの不自然さこそ問われるべきである
原判決は、被告人の主張をことさらに「自殺ストーリー」などと呼び、その不自然性を論難する説示を行っている。
しかし、刑事裁判において立証責任を負うのはいうまでもなく検察官であり、検察官の証明しようとする有罪ストーリーが、証拠上間違いないといえるかが問われなければならない(原判決の判断構造・判断手法に対する批判は後述する)。ここまで有罪ストーリーに反する証拠について論じてきたが、もちろん、有罪ストーリー自体の合理性、自然さも問われなければならない。
イ 有罪ストーリーの想定
有罪ストーリーによれば、被告人は、寝室でF氏の首を絞めて殺害したことになる。原判決が有罪認定の推論の根拠とする尿斑および唾液混じりの血痕があるのは寝室であり、それ以外の場所で殺害したことを示す根拠となりうる痕跡はどこにもないので、有罪ストーリーはそれ以外に想定できない。
ここにおいて、寝室には目だった血痕がない。したがって、有罪ストーリーは、寝室で被告人がF氏の頸部を圧迫した後、被告人が何らかの方法で左前額部の挫裂創を人為的に負わせたと考えなければならない。第一審検察官は、この機序として、被告人がF氏を寝室から引きずり出し、階段からの転落に見せかけるために階段上まで運び、そこから落として左前額部の傷を負わせたという仮説を提示した。この仮説自体が間違いないのかが、確かめられなければならない。
ところが、この左前額部の挫裂創には生活反応がある(第一審J24頁)。したがって、本件挫裂創が、F氏の心肺停止後に生じたと考えることができない。他方で、原判決の想定によれば、上述のとおり、挫裂創の創出前に寝室で失禁等に至るような頸部圧迫行為、つまり窒息の第2期後半を迎えていたことになる。よってあり得る想定は、被告人が寝室でF氏の頸部を圧迫して窒息の第2期後半に至らせたのち、第3期(原審J第1回19頁によれば、自立呼吸をできなくなるのが第2期と第3期の境で、これは脳の機能変化であり、第3期以降は血圧が低下するとしている。また第一審H3頁によれば、第3期が呼吸停止期で死の危険が高まるという。そうすると、第2期後半までは呼吸があり、その時点で頚部圧迫を中止すれば呼吸機能によって回復すると考えられるから、原判決の想定は、寝室で第3期を迎えたとの想定に他ならない。)から心肺停止までの間(以下、「死戦期」という)にF氏の左前額部に傷を負わせた、というものである。
ウ 死戦期の創傷ではない
この点において、そもそも本件挫裂創が第3期以降の「死戦期」において生じたとする想定自体、原審において否定された。J医師は、「特に左前額部の挫裂創の皮膚の下にそれなりの出血がありましたので,やはり心臓がそれなりに活発に動いている時期にできた傷でないと,あそこまで皮下出血ができないんじゃないかと考えています」「心臓が動いていないと,なかなかここまで血が付かないので。例えば首を絞められて脳死状態に至った後というのは,だんだん心臓も弱まっていくので,そこの時期にできたとすると,ちょっと血の量としては多いんじゃないかなという印象を持ちます。むしろ首絞めの最中にできたか,それより以前にできたか,そういう皮下出血に見えます」(原審J第1回14,15頁)と証言した。さらに、窒息の経過図(下図)を示された上で,「呼吸困難及びけいれん期(第2期のこと)とこの図にある時点までであれば,写真に写っている程度の皮下出血は起きてもおかしくはないと思います。」(原審J第1回16頁)とし、遅くとも第2期までに本件挫裂創が生じたと明確に証言した。したがって、第2期後半を寝室で迎えた後の死戦期に本件挫裂創が生じたとする有罪ストーリーは、成り立たない。
(支援する会 注:原本ではここに”窒息の経過図”が添付されています。)
これに対し原判決は、「J医師は、本件座裂創が生じた時期について、当審証言のほかにも、原審証言及び聴取結果報告書(当審検2〔不同意部分を除く。〕)でも説明しているところ、原審公判では、皮下にそれなりの出血があるので、血圧はそれなりにあった状況で形成されたと考えるべきであり、脳死状態に至る前に形成されたというほうが説明はつきやすいと証言し、上記聴取結果報告書において、窒息の第2期(呼吸困難及び痙攣期)から第3期(呼吸停止期)にかけて出血した可能性があり、第2期から第3期にかけて、呼吸が弱まるにつれて、高まった血圧が徐々に下がっていくものの、第3期の途中までは、それなりの血圧が残っている時期もあるので可能性はある旨説明しているうえ、当審証言でも、第2期と第3期は脳の機能の変化によるものであり、血液が出る、出ないは心拍動の変化なので、図(H医師の原審証人尋問調書に添付された「窒息の経過と症状」と題する図)はかなり明確に分けられているが、こんなに明確なものでは本来ない旨説明していることも併せると、この点に関するJ医師の説明としては、本件挫裂創が生じた時期は、心臓機能が維持されている時期であり、典型的には心臓機能が十全な第2期であるという趣旨に理解すべきであり、呼吸が停止する第3期であっても、それなりの血圧が残っている時期もあるし、個体によっては心臓機能が維持される場合もあり得るから、その時期に生じた可能性まで否定する趣旨ではないと理解することが相当である」(原判決27頁)などとして、上記J証言を否定する。
しかし、これは許されない否定の構造である。J医師が、第3期も可能性はある、窒息の図(上の図である)が明確なものではないと証言しているのは、原審検2号証の同意部分である。その後、J医師は裁判所の面前で証言し、上述したとおり第2期までに本件挫裂創が生じたという証言をしたものである。弁護人が同意しているとはいえ、控訴審裁判所が直接証言を聞いた原審証言と検察官の聞き取り結果を記した伝聞証拠とを同列に扱う思考は理解に苦しむ。さらにJ医師は、上記原審J証言の引用部分に続けて「現場に残された血液量とか皮下出血とかからすると,今言われた第2期にできてるんじゃないかということなんですね」という弁護人の質問に対し「はい」と答えている。その趣旨は、一般論としては個体差や、第3期において血圧が残っている時期もあるといえども、具体的なF氏の本件挫裂創については、第2期以前に生じたものであると判断できるという趣旨であると解するのが相当であって、原判決がするJ医師の証言の要約、解釈は明らかに不相当である。
なお、この点に関し、原判決は「J医師の原審は、本件挫裂創は、意識がないところで落ちたとか、無理やり意に反して落とされたというほうがむしろ考えやすいというものであり、また、Q医師の原審証言は、本件挫裂創について、前方に倒れる場合は、意識があれば防御姿勢をとるので、これほど強い打撲にならないことのほうが多く、意識を喪失してぶつけた時に生じることが多いと思うというものであって、両医師ともに、意識を喪失していた可能性を示唆する証言をしているから、両石の各原審証言から、被害者が意識のある状態であったと解することはできない」(原判決27頁)などとしている。
しかし、これは考え難い暴論である。そもそもこれは、法医学的な要素が薄い一般論であり、常識の範疇に関する証言であって専門的意見としての証拠価値を持つわけではなく、さまざまな可能性の一端として示されたものに過ぎない。ここにおいて、具体的な傷の形状や出血量、皮下出血の態様という具体的な所見を見たうえで、上述のとおり本件挫裂創が第2期以前に生じたとする意見が揺らぐわけがない。正しい解釈は、「一般的、常識的には手をついたりすることも考えられるところではあるが、具体的な傷の態様からは、医学的に、本件挫裂創は窒息の第2期以前の活動時に生じたものと認められる」である。
これに関しJ医師は、検察官に解剖した印象を問われた際の証言部分において、F氏の遺体に見られた外傷に関し「錯乱して、いろんなところにぶつけるですとか、あるいは、転倒して、頭ですとか首をぶつけるですとか」という生成過程が考えられる旨証言している(第一審J第3回15、16頁)。この部分でも「なかなか人って、こう、手をついたりするもんですから、頭と首になかなか同時にこういう傷ができにくい」という証言をしているが、こうした傷ができうる場合の例として「錯乱状態」という例を挙げている。錯乱状態、転倒、意識喪失等は、それぞれ並列した受傷機序の一例なのである。ここにいう「錯乱状態」の意味であるが、薬物検査の結果を問う検察官の質問に対し、薬物による錯乱に限られず、統合失調症という例や、普段の生活から暴れるようなことがあったかどうか、といった例を挙げていた(第一審J第3回16、17頁)。F氏は薬物中毒や統合失調症ではないが、XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX(支援する会 注:Fさんのプライバシーに配慮しここの約1行のみマスクしました)することもある人物であり、この日も明らかに異常な精神状態にあったことは疑いようがない。F氏は産後うつの症状があるなど精神的な不安定さを抱えていた人物であり(第一審弁5)、本件当日を見ても、直前にF氏から送られたメールもF氏の精神不安定を示している(第一審甲111)。被告人が帰宅した後の様子を見ても、ドアに突き立てられた包丁の跡(第一審甲102「現場である被告人方の状況」22)はF氏の行為によるものとしか考えられず、相当な(J医師のいう)「錯乱状態」にあったものと考えられる。これに沿う被告人供述は排斥できないはずであり、第一審判決ですらこれを前提に「尋常ではない状態」と認定しているものである(第一審判決11頁)。J医師の示した「錯乱状態」という例は、まさに当日のF氏の状態に近似しており、事実の一端を言い当てているのである。そうすると、上述した「一般的、常識的には手をついたりすることも考えられるところではあるが、具体的な傷の態様からは本件挫裂創は窒息の第2期以前の活動時に生じたものと認められる」との言説は、さらに具体化し、「具体的な傷の態様から、医学的に本件挫裂創は窒息の第2期以前の活動時に生じたものと認められる。手をついたりするのではないかという疑問は、F氏が錯乱状態であるなどの理由で転倒するなどして成傷したという説明が可能である」とすることが可能である。「意識がなかったときにできたものかもしれない」は様々な可能性の一例にすぎず、これによって「活動時の傷」という具体的な医学的意見を揺るがすことはあってはならない。
もちろん、手をつかなかった理由は錯乱状態に限られるものではない。階段の登りで足を滑らせれば、階段はすぐ目の前にあるから手をつかないということはありうる。あるいは、寝室での一時的な失神で、多少意識状態が鮮明ではなかったために手をつけなかったという想定もありうる。実際、J医師も、「左の額の傷が、転んだ時に手をつくんじゃないかみたいな話もありましたけど、もちろん、手をつかないでけがをしちゃう人もいますよね」との問いについて「もちろん、いると思います」と答えている(第一審J第3回30頁)。
ところで、原判決のJ証言の引用部分は、おそらくこのJ証言に続く部分である。これは正確に引用する必要がある。
(弁護人)
転んだ場所が階段とかで、平面じゃなくて、手をつくよりも前に打っちゃうということももちろんありますよね。
◆ もちろんあり得ないわけではないけれども、この顎の表皮剥脱と額の表皮剥脱というものが、同時にできたのか別々にできたのかは、ちょっと断定はできないけれども、なかなかそこまでこっぴどい転び方ができるかというと、なんか、意識がないところで落ちたとか、あるいは無理やり意に反して落っことされたとか、そういうほうがむしろ考えやすいかなとは思ってます。
(弁護人)
それは、同時にできたとすればということですね。
◆ 同時にできたにしてもちょっと無防備な落ち方な気がするし、別々だとするとそんなに転倒をなぜするんだというところになってくるので、偶発的に1回転んだというのでできるのかなというところは、ちょっと疑問が残るところですね。
文言だけを見れば、原判決の引用しているような表現もあるが、このJ証言は、顎の表皮剥脱と額の本件挫裂創(「表皮剥脱」は言い間違いであろう)が両方あることについてその成傷過程に疑問を呈したものである。要するに、ここでのJ医師は、左前額部の挫裂創が転んでできたのではないかという疑問に対し、あごの擦過傷とあわせて大きな傷が2つもできるのはどういう理由かを考察して回答しているものである。ここでのJ医師の回答は、ひどい転び方で2つの傷が同時にできたのか、二度転んで別々にできたのかという疑問をさまよい、同時にできたとした場合の成傷機序にかかる一つの可能性として、意識がないときに落ちた等の可能性にも言及したに過ぎない。これは実際は、一度の転倒と自殺時のジャケットでの擦過という現実的な説明が可能なものであるところ、J医師は、上記証言当時、一度の転倒と自殺時のジャケットでの擦過という成傷機序を思い描いていない。仮にそのような成傷機序を前提とした場合、J医師の「意識がないところで落ちた」等の可能性をいう証言部分は、両方の傷が転倒でできたのではないかという証言の前提となる想定を欠くこととなり、意味をなさなくなる。
またJ証言は当然、意識がないところで落ちたと断定するものでもない。そしてこの証言部分は、上述した第一審J第3回15ないし17頁の主尋問に対応している。上述のとおり、意識がないところで落ちたという想定はさまざまな可能性の一つである。本件挫裂創の成傷機序としては、他に考えられる想定である「錯乱状態」という事態で説明可能なものであり、F氏には具体的な兆候もある。そして、直前の弁護人の質問に対する応答も踏まえれば、「手をつかないでケガをしてしまう人もいる」ということ自体J医師は是認しているものである。このように、ありうる様々な可能性の一つである「意識のないところで落ちた」というJ証言を不当に過大評価し、具体的な所見を検討した結論としての「第2期以前にできた」というJ証言の証明力を減殺するなど考えがたい暴論である。
以上のとおり、本件挫裂創は窒息の第二期以前に生成したものと考えるべきであり、本件争点との関係では、(寝室には目立った血痕がない以上)首絞めで窒息させる最中などではなく、自殺に至る活動時に生成されたものと解するしかないのである。
エ 血はすぐ出ない
上記論理を経て、原判決は「このような理解を前提として、上記の図によれば、個体差はあるものの、第3期は典型的には1分程度を解されることを考慮すると、被告人が、寝室内で被害者を窒息させて失禁させた後、被害者を階段付近まで運び、被害者に本件挫裂創を負わせることが不可能とはいえない」(原判決27頁)と説示する。
しかし、この議論において、原判決が見落としている点がある。
本件挫裂創を負った直後は血は出てこないのである。
J医師は、以下のとおり証言した(原審J第1回3頁)。
(検察官)
先ほど、この部位からの出血は、たらたらと流れるような血液の流れだと、出血だというお話しがありましたけれども、それは傷を負った直後の出血の状況をおっしゃっているのですね。
◆ 傷を負った直後は、比較的あんまり血は出てこないもので、その後しばらくすると、だらだら出てくるということになります。
(検察官)
しばらくというのは、時間的にはどのようなタイミングでしょうか。
◆ そこは何ともいえないですけど、1分くらいすれば明らかにたらたら出てくるような状況にはなると思います。
これは、毛細血管がけいれんし、その間は血が出ないというメカニズムによる(同12頁)。
つまり、原判決が「典型的には1分」などとする窒息の第3期(なお、「典型的には1分」というのは表の誤読である。上でも引用した窒息の経過の表によれば、第1期から第4期までの間が、全体として、「2分~5分」であるとされている。そこを5分割し、それぞれ「1分」~「5分」とされているが、これは全体を5分とした場合の分割であって、実際の第3期はこれよりも少ない〔全体を2分と考えた場合には24秒〕可能性があり、「窒息第3期は最大で1分」とするのが正しい)の前半に受傷したとしても、1分ほどは血が出ない。そして、この1分間の間にも、もしその時点で窒息第3期なのであればどんどん心拍は弱くなっていき、血圧が下がっていくのである。そうすると、傷から血が出るようになったころには、すでにF氏は窒息第4期を迎えていることとなるから、F氏の皮下出血の様子、現場や物品に付着した血量から想定されるような出血は生じない。
原判決の論理は無理である。
オ 百歩譲っても不自然
このように、有罪ストーリーは無理であり、無罪が証明されたに等しいものである。
しかし、それでも原判決は「そこも個人差がある」「厳密に1分とは限らない」「不可能ではない」などというかもしれない。このような批判はもはや荒唐無稽の域にあるといえるが、この点を百歩譲っても、極めて不自然であることは動かしがたい。
すなわち、寝室でF氏を窒息の第3期に至らせた後に本件挫裂創を負わせたという有罪ストーリーの想定によれば、その後被告人がF氏を廊下から引きずり、階段付近まで連れ出して、階段から落とすなどしたことになる。ここで、第3期を迎えた後、上述のとおり典型的には最大1分以内とされる第3期において、1分程度後から始まる出血が現場に残された相当量となるような時点で傷をつけねばならないのだから、ここで一般的な個人差などを考慮に入れたとしても、被告人に許された時間はほぼ皆無である。さらには、原判決が引用するJ医師の聴取結果報告書〔原審検2〕3頁は「第3期の途中まで」可能性があるとしているから、その時点の幅は第3期全体ではない。
せいぜい数十秒、1分程度と仮定しても、被告人が、首を絞めている最中に都合よく第3期に入ってすぐに首絞めをやめ(脳機能障害が生じて不可逆的に死に向かうのは第3期以降であり、原判決の想定によれば寝室内で第3期を迎えていなければならない)、すぐに階段から落とすなりして偽装することを思い付き、自分とほぼ同じ体格のF氏を寝室から運び出して本件挫裂創を作らなければいけない。これを、数十秒や1分以内でやるというのであるから、これは、無理というに近い不自然さがあるといわねばならない。
有罪ストーリーは、不合理に不合理を重ねなければ成り立たない想定なのである。
2 判断構造の不合理性
以上のとおり、原判決は、薄弱な根拠に基づいて自殺ストーリーを否定しつつ、有罪ストーリーを否定する証拠、不自然さをことごとく等閑視し、およそ考え難い有罪ストーリーに基づいて控訴を棄却した。
このような事実認定が、論理則・経験則等に照らして著しく不合理であることは、もはや明らかである。
なぜこのような不合理な判断となったのか、それは、第一審判決から共通する判断構造にある。原判決は、第一審判決が依拠した尿斑及び唾液混じりの血痕からの推認について、「合理的疑いを入れない程度に上記事実が推認できるというものではなく、上記事実が一応は合理的に推認できるという趣旨と解される」(原判決10頁)と説示した。そして、「自殺ストーリーや原審弁護人が主張する自殺の可能性について、その合理的な疑いが生じないということ・・・は、他の可能性として想定される唯一のものが排斥されるという意味で、被告人による他殺(本件殺人)の認定に当たっても、積極的な意味合いを有するというべきであって、原判決の説示を全体としてみると、原判決も実質的には、本件推認と自殺ストーリーが排斥されることを併せて、本件殺人の事実を認定したと解することができる」(原判決11頁)としている。
このように、原判決は、尿斑や唾液混じりの血痕から殺害が間違いないという認定をしているわけではなく、いわば消去法的に、自殺の可能性を排斥することによって有罪認定をしていることが、その説示から明らかである。
しかし、こうした消去法的な認定の場面においては、反対仮説は間違いなく否定できるという程度の認定をしなければ、論理的に、有罪の証明があったとすることはできない。
つまり、積極事実A(ここでいえば尿斑と唾液混じりの血痕)が有罪を証明するに足りる十分な証明力がない(なお、「一応は合理的に推認できるという趣旨」というのが、どれほどの推認力を想定しているのか全く意味不明である)、という事態において、反対仮説B(ここでいえば、自殺の可能性)を否定することがさらに有罪の推認を高めるというためには、反対仮説Bが間違いなく否定される、というところまで達していなければならないであろう。反対仮説Bが不自然だ、不合理だ、というだけでは到底それに達しているものとはいえない。Aの推認力が十分であれば、Bが不自然、不合理であるということによって、Aの推認力が揺らがないという結論が可能であるが、Aの推認力が十分でなければ、Bが不自然、不合理であったとしても、推認力を持つ事実が他にはなく、反対仮説Bの可能性が残るというに過ぎないからである。自殺の可能性が、確実に否定されているなどとは到底いえないことは、これまで論じてきたことから明らかである。
原判決は,自殺の可能性について合理駅疑いが生じないということは,他殺の認定にあたっても積極的な意味合いを有する,などという一方,第1審判決は「自殺の可能性はないという判断をしているものと解される」とも判示する。前者であれば,結局他殺の推認過程でも自殺でないことの推認過程でも,間違いない立証は双方ともなされず,いわば弱い間接事実の総合認定ということになりおよそ受け入れられない。後者の自殺ではないことが間違いないという消極的事実認定がなされていると解するのは第1審判決を都合よく解釈するものであるし,そもそもおよそ間違いないレベルでの証明とは言えない。いずれにしてもこのように原判決が第1審判決の証明の構造について曖昧な判示をすること自体,本件が証明責任を満たされていない事案であることを示しているというべきである。
また、原判決のいう「自殺ストーリー」が排斥できたからといって、それだけで十分な証明となるという前提も大いに疑問である。たとえば、本件に限ってみても、自殺ではなく、F氏が「死ぬ」というそぶりをして被告人の気を引こうとしたところ、思った以上に意識を喪失するのが早く(頸動脈を圧迫する程度であれば、数秒程度で意識喪失となる。第一審J第3回28頁)、そのまま死亡してしまった、などの事故も想定することが可能である。また被告人の供述する流れとは異なっていても、なんらかの方法で、解剖所見に矛盾しない縊頚の方法で自殺した可能性は更に残る。
このように考えると、やはり検討すべきは他殺ストーリーが間違いないか否かである。それにもかかわらず、被告人供述を些末な根拠において否定し、他殺ストーリーの不自然さを等閑視した原判決は、被告人に無罪の挙証責任を負わせるに等しいものであり、その説示はおよそ被告人の有罪を合理的疑いを超えた程度に証明されたことの説明でなくなってしまったのである。
第8 まとめ
以上のとおり、原判決の説示が不合理であることを明らかにしてきた。
最後に、もう一度、原判決において著しく不合理であるところを強調しておきたい。
まずは血痕に関する経験則の適用である。
原判決は、F氏の両手,顔の前面に血液が付着していないこと,着衣,階段上に少量の血痕しか付着していないことを有罪の最も強い論拠としたが、いずれも自殺ストーリーと矛盾するものではない。
原判決は,F氏が受傷後,意識を回復してあおむけの状態で出血が止まるまで休んでいた可能性,手を洗った可能性,被告人がタオルで被害者の顔面を拭いたことを十分に検討せず,いずれも十分な根拠を示すことなく排斥している。しかし、「自殺するものは手を洗わない」とか,「痕跡を全く見当たらないほどきれいに拭き取ることはできない」とかいう判断は,一方的な決めつけであり,到底,国民の健全な常識や経験則に則したものではない。
そして何よりも、顔の顔面の血痕に至っては、救急搬送時の写真から血痕の付着が明白であるにもかかわらずこれを見落とし、顔面に血が流れた痕跡がないかのような説示をしており、原判決の論拠は根本から覆される。
次に他殺ストーリーの不合理性の等閑視である。
先にも引用したが、原判決は,「被告人が供述する自殺ストーリーが信用できない状況において,被害者に対する本件殺人の実行行為以外の暴行の有無を含めた被告人の行動,被害者の動静等について,解明できない点が残ることはやむを得ないところであり(略)そうであるからといって,本件推認が揺らぐものではない」(34頁,35頁)という。
しかし,これこそ,合理的な説明ができないことの開き直りでしかない。
そして,仮に解明が困難であるとしても,「本件ジャケットを着用した状態で被害者の頸部を圧迫した」とか,「被害者を床で引きずって下顎部ないし頸部にかかる擦過傷をつくった」とか「被告人が血だまりを拭いたあと,階段を上ったり,手すり,へりを触った」とかいう判断は,あまりにも「ご都合主義」の判断であって,到底,国民の健全な常識や経験則に則したものではない。
原判決の判断は、言語道断ともいうべき不合理極まりないものであって、経験則・論理則等に照らして著しく不合理である。原判決には重大な事実誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものである。
本上告趣意書においては、原判決が第一審判決を不合理としつつ新たな有罪理由を持ち出して被告人を有罪としたことに関し、事実誤認の解釈を誤っているとの指摘や、新たな有罪理由を基礎づける事実の評価について裁判員裁判の判断を経る機会を奪われた旨主張してきた。しかし、もはや差し戻しは無意味である。第一審から原審まで、証拠調べ自体は充実した審理が行われてきた。不合理なのは、裁判所の判断方法、経験則の適用に過ぎない。本上告趣意書の重大な事実誤認の箇所で十分に指摘してきたとおり、本件で現れた事実を総合しても、到底、被告人が無実であるとの合理的な疑いを拭うことはできず、かえって有罪ストーリーからは説明しがたい事実が多数存在する。むしろ、被告人の無実が証明されたに等しいものである。したがって、当審において、被告人に対し、無罪の自判がなされるべきものである。
以 上