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日本の歴史の背景part1(縄文~弥生)歴史初心者向け
みなさんこんにちは!
私は最近歴史の勉強にはまりました。そこで、ちょっとまとめておこうかなぁ~という感覚と、
歴史について簡単にしりたい人のためにこれから日本の歴史について書いていこうと思います!
注意!
この内容は、歴史マニアやテストで点数を取るための人の方向けには全く書かれていません。歴史の背景、流れをおさらい、一から知る人のための内容です。それが許せる方のみこの先を読んでいただけると幸いです!
では!レッツゴー!!!
縄文時代
恐らくみなさんご存じの、縄文土器。
ここには触れないでおきましょう!皆さん知ってると思うので!
縄文時代の暮らしを簡単に解説していこうと思います!
縄文の頃は狩猟でした!弓などを使ったガチのやつです(笑)
まさにモンスターハンターのような感じです!
一方で、人々同士の争いはなかった。
朝起きて、飯を取る 食う 寝る
の習慣だから。そこまで貧富の差とかなく人々の間での争いなどはなかった時代。
その当時の人々は自分の陣地、家とかいうものがなく竪穴式住居というものを建てて歩きながら暮らしたていた。
弥生時代
弥生時代になって大きく変化します。
まず、農業が栄えます。それにより定住する。
定住したことにより、場所の差により、豊作であるところと不作であるところの差が生まれ始める。
かつ貯蔵するための高床式倉庫や弥生土器が出来はじめた!
そして、それを奪い合うことで初めて争いが生まれた!
つまり、稲作、農業とともに争いが始まった時代が弥生時代です!
それを小国乱立という!
そして、
弥生時代はどのように情報を手にしていたのかと言うと、当然インターネットはありませんし、新聞もありません。そもそも文字すらありません!
ではどのようにして縄文時代は情報を手にしていたのかと言うと、
当時はまだ大陸が繋がっていて、そこから縄文人と呼ばれる人たちとの交流で情報を得ていた!
弥生時代になると、大陸が徐々に分かれていき、まだぎりぎり繋がっている朝鮮半島から弥生人がやってきて稲作がはじまる!
縄文人の顔の濃い人たちと弥生人の薄めのかんじの人たちが合わさって今の日本人となったのである!
弥生時代最大のミステリー邪馬台国
邪馬台国とはなにか?私は専門家の先生ではない、ましてはただの大学生なので詳しくは知らない。
ですが有名な話で、邪馬台国の場所は近畿説か九州説と言うのは聞いたことがあります。
中国の書物に、中国大陸からの邪馬台国へのルートが書かれていたらしく、陸からの距離や、海からの距離、方角などが書かれていた。
しかし、それを正しくたどると、九州の東側の海、つまり!太平洋上にある!ということになる。
しかし、普通に考えておかしい。
もちろんそこにはなく、距離が違うのか?それとも方角が違うのか?
でわかれたのが近畿説と九州説です!
この差はつまり、九州説だと、邪馬台国は九州ほどの大きさであり、
近畿説だと、近畿までが範囲になる!
つまり、勢力図が全然違ってくる!
これは今でも問題になっています。
そして、その当時の邪馬台国の女王は卑弥呼です!
今で言うと、占い師みたいな感じです!
ちなみに卑弥呼の次が壱与(いよ)です!
エピローグ
以上で、縄文時代~弥生時代の背景についてを終わります。
かなり簡単にやらせていただきました。マニアからすると、物足りない、歴史にわかだとか言われるとおもいますが、
歴史の最低限の流れを書くことが最大の狙いなので、ご了承ください。
最後まで読んでいただきありがとうございした!
続編