変人あるある
前書き
私は「変人です。」
いやいやいきなりどうしたと。
じゃぁどの部分が変なの??
と言われると難しいですが、私の友人100人に聞くと、
「お前は、明らかに変人だ!」
と口を揃えて言われます。そのため客観的に見て私は変人でしょう。自覚あります!笑
実際に、中学時代から
「俺は、周りとずれている。」
という感覚はありました。そして、高校と時を過ごし
「やはり俺は、ずれているな。」
という感覚が高校時代に明らかになりました。
(そう感じたキッカケを話すと支離滅裂な展開で長くなるので割愛させていただきます。)
そこで、「自分は変人だ」
と確信してから、高校時代に様々な悩みにぶち当たりました。
まるで、長年気付かなかった病気が発覚したような感覚です。
ですが、今はその変人の悩みを抱えることなく、逆に
「変わってるからこそいいんだ!!!」
とまだ吹っ切ることが出来ました!
そこで、今回は
「あれ?自分ってちょっと周りと変わっている?」
「あれ?もしかして俺ってずれてる?おかしいのかな?」
「変わっていることっておかしいのかな?」
といった悩みを抱える方に向けて
「自分が変人だから抱えた悩み」そして、その乗り切った要因を紹介していこうと思います!!
では!変人の世界へようこそ!!
変人の定義
まずは、今回私が紹介する「変人」の定義を紹介させていただきます。
みなさんそれぞれが思う「変人」の定義とかけ離れていると、食い違いがあるので、一度紹介させていただきます。
「変人=周りの平均点からずれている部分が多い人」
「第三者目線で見て変わっている=変人」
「ちょっとマニアックな部分が好き」
という定義という進めていただきます!
そして、本題の私が感じた「変人の悩み」
を出来るだけ多く紹介していこうと思います!
他人に合わせることが難しい
そう。我々他人に合わせることがやや苦手です。
ですが、チームプレイが苦手、協調性がないわけではありません。また、マナーを守れないような人間でもありません。
勘違いされないようにはっきり言わせていただくと、
「私は人に合わせようとすれば、合わせることが出来ます。」(人による。そりゃとんでもないモンスターみたいな人はちょっとね。)
ですが、
例えば、部活内やクラス内、大学のゼミの中でも楽しく活動はするものの、心から集まって楽しむことができないことの方が多いです。
どこかで違和感を感じてしまう。
つまり、集団行動や他人に合わせることは出来るけど、そうすると自分が気持ちよくない、違和感を感じることが多い。
変人あるあるその1です。
受け入れてくれる人を常に求めている
私達変人と言われる人種の人間は、我々を受け入れてくれる人を求めています。
決して友達がいない 仲間がいないというわけではありません。
実際親友がいて彼女もおるし、Kincubeというグループの創設者です。
でも変人はどうしても、
「あいつが好きor嫌い」
に綺麗に分かれています。
そして、人から一度嫌いという、判子を押されると二度と消えない。そこから変えるのは至難の技
そう。
変人は「嫌われる人には、とことん嫌われる」
これです。最悪ですね笑。
私はこれに本当に昔は本当に悩みましたよ。
「どんな手を使ってでも好かれてやろうと!」
受け入れてくれようと努力したのですが、水の泡。
どうしても無理。。。
俺自身は嫌いな人がいないのに、俺だけが嫌われていく。
この現実は本当に悲しかったです。
変わっている=コンプレックスでした。
しかし、今は嫌われることが「絶対」に嫌ではありません。
やはり0ではありません。そりゃ~そうですよ。
いくら受け入れ入れていると言っても、嫌われるのは気持ちの良いものではありませんから。
ですが、我は今では受け入れて、
「嫌われてもしゃーない。それが俺」
という考えを持っています。
なぜか??? こんなに嫌われてるのになんで?
答えは簡単でした。
その逆があるからです。
変人は、嫌わられる人にはとことん嫌われる代わりに、
好かれる人にはとことん好かれます!
私はこれに、高校2年生の後半に気付くことができました。
それまでの私は、何としてもみんなから好かれようと必死でした。
(本心に嘘をついて、自分をダメにした最悪の時代でした。)
でもそんな必要はないんだと。
だって、少ないかもしれないけど、俺を受け入れてくれる人がいたから。
それがどれだけありがたいことか。
変人は、一度嫌われるととことん嫌われる。
でも、受け入れてくれる人が1人いれば、強く生きれる。
だから
変人は、常に受け入れてくれる人を常に求めているのです。
受け入れてくれる人を見つけた変人は、鬼に鉄棒!最高火力で走れます!!
一長一短だけど、これでいい。
[変人克服」自分は変人かもしれない。それでいい。
最後に、私が周りから変人と言われ嫌わらて来た人生を受け入れることができるようになった実例を紹介します。
実例
「受け入れてくれる人が1人でもいればそれでいい。」
という考えから、私は自分の好きなことやりたいこと、考えに噓をつくことを一切やめました。
(もちろんチームでのルールや社会のマナーという面は死守しています。)
私の高校時代はサッカーの「ウイニングイレブン」というゲームが流行っていて、クラスの8割以上の男子がやっているという状況でした。さらに、クラスにサッカー好きも8割以上。
しかし私はサッカーが大の苦手でやりたくなかったです。だから昼休みにサッカーに誘われても行きたくなかったですし、ウイニングイレブンというゲームもやりたくなかったです。
でも、その本心に嘘をついていたのです。
嘘をついて自分が心から楽しめないことをやっていたのです。
うまいこと乗り切っていたのですが、
時間がたつにすれて、ゲームのミーハーという点が露呈したりして徐々に追い詰められていく日々になりました。
苦しかった。でも!
(友達を失う方が嫌だ!)
という思いが強すぎてその負のスパイラルが抜け出せませんでした。
しかし、とある社会の授業がキッカケで私は大きく変わることが出来ました。
当時の社会の授業の形式はアクティブラーニングで、どんどん当てていき、自分の意見を述べさせたり、プレゼンテーションをしたりすることが多いものでした。
そこで、今までクラスでただ明るいキャラだけで他はあまり目立っていなかった自分がいきなり当たられて、
先生「おい!○○! 少子高齢化についてどう思う??」
自分「あ!はい!え~と!○○だと思います!!!」
先生「がっはっはっ!!!!!」
自分(あ~また。変なこと言ったんかな。)
先生「You ナイス!!おもろいな!!! これが多様性やな!」
なんと始めて自分が意見や考えを褒めてくれる、受け入れてくれる人が現れたのです。
いつもは笑われたり、それは違うな~という顔をされて終わっていたのですが、
「そういう意見はめちゃめちゃいい!!ありがとう!」
という言葉を変えていけていただきました。
その言葉を聞いて私は思わずこう言いました。
「え?これでいいんですか??(笑)」
先生「ええやん!!!Youは凄くいいよ!!もっと自分出せよ!!
俺はお前のその考えとかめちゃくちゃ好きだ!」
この一言で私の箍が外れました。
(もっと自分を出していいんだ!!!)と!
そこから自分の好きなことや意見に対して嘘をつかなくなりました。
もちろん、批判の声を浴びたり、色眼鏡で見られて周囲から避けられることもありました。
しかし!以前の猫をかぶっていた自分よりはるかに楽しい自分でいれたのです。
自分を出している!という解放感
それを受け入れてくれる友人や大人。ファンの方。
この二つが私を支えてくれるのです。
だから私は、(周りと変わっているから)といって嫌われたり、避けられることに対して反感はありません。
そこの受け入れが一番大切で、一番の難所だと思います。
受け入れてしまえばこっちものです!!
だから超変人の私はこう考えます。
自分は変わり者だ。だから周りに嫌われたりすることが多いかもしれない。
それでいい。仕方ない。
でもその分、自分のファンは、嵐が来ても肩組んでその先の光を一緒に見てくれる最高のファンだ!
10人の友達より1人のファン。