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幸福日和 #057「記憶の引き出しを開けてゆく」
「記憶の引き出し」
一体何の事かと思うかもしれませんね。
それは、ごく身近にあるものたち。
たとえば、日常的に触れてきているもの。
大切にしている一本の万年筆だったり、
愛用しているマグカップだったり、
洋服や鞄、手帳、財布。
そうしたものは、
普段は便利な道具として使っているだけですが、知らないうちに持ち主の思い出を
刻んでいくもの。
頭の中の記憶は曖昧だけれど、
そうした身近なものを通じて、
「記憶の引き出し」を開いていくんです。
✳︎ ✳︎ ✳︎
僕はこうして、日々お話を綴らせてもらっていますが、もちろんその都度、話のテーマが思いつくわけではありません。
ある時は、手帳を紐解いたり、
過去のカレンダーを眺めたりしながら、
着想を得ていることが多いんです。
そんな中でも、
僕が大切にしているものは
「身近にあるもの」たちなんです。
そうしたものを目にした時、
自分とその物の関係に思い巡らせてみる。
すると、そのものを通じて、忘れかけていた大切な記憶を思い出すことができる。
人は立派な経験をしていなくても、
遠くに旅行に行かずとも、
自分の身近なものを通じて、
常に日常の物語を蓄えているものですから。
✳︎ ✳︎ ✳︎
ある時、茶人であった祖父に
一服の抹茶をいただいた時のことを
思い出しました。
その時使われていたお茶碗は、
江戸時代に作られた古い黒楽茶碗。
祖父はそうしたものを出し惜しみすることなく
日常的に使う人でした。
何年も伝えられた、その漆黒のお茶碗は、
時代を越えて色々な人の手に渡り、
様々な物語を蓄えながら祖父の元に伝わってきたものでした。
「一つのお茶碗にも、
色々な人の物語が込められているんだよ」
茶室でお茶を点ててもてなすことは、
道具に込められた、色々な思い出を引き出し、お客さんに語り繋いでいくことでもあるのだと、祖父に教えてもらった。
そしてまた、
そこに自分の物語として新しい思い出や記憶を込めていき、その道具を次に手にした誰かが数十年後、数百年後、同じように道具を通じて
「祖父の物語」をその時代の人々に
一服のお茶とともに語り継いでゆく。
なんて深い、
物との関わり方なのだろうと。
✳︎ ✳︎ ✳︎
そのことがあって以来、
自分の身近にあるものも同じように、
記憶や思い出といったものを蓄積しているのだと、僕も考えられるようになった。
そうした思いを、
日々大切にしてゆきたいと。
身の回りにある身近なものを
見渡してみる。
そうして「記憶の引き出し」を
時にそっと開いてみる。
あの時、何も感じなかった些細な思い出も、
今の自分に響いてくるかもしれません。
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