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サイケデリック・シャーマニズムとプラントメディスン(薬草)の効果【概論その1】―基本事項、注意事項、ティモシー・リアリー、チベットの死者の書


【1】サイケデリック・プラントメディスン(薬草)について

 古来より世界中のシャーマニズムの中では、人の意識を変えて、変性意識状態(ASC)に導いて、世界の隠れた次元を開いていく、さまざまな方法論が存在していました。
 中でも、ある種の幻覚・幻視効果を植物等(サイケデリック・メディスン、スピリット・ヘルパー)を摂取することにより、人を強烈な変性意識状態に導く方法というものがありました。
 中南米の部族によって広く行なわれてきた、さまざまなサイケデリック・メディスン(薬草)―アヤワスカ(蔓植物)、ペヨーテ(サボテン)、マジック・マッシュルーム(キノコ)―を使ったセレモニー(儀式)などは有名なものです。

 これらの植物たちの力(効果/成分/作用)については、1940~60年代に、精神医療の中で、精神病への化学的・薬学的アプローチとして、成分分析が進められる中で、その成分作用が理解されていきました。メスカリン(ペヨーテ)、シロシビン(マジック・マッシュルーム)、DMT(アヤワスカ)等の、心に変容を引き起こす化学的成分が解明されていったのです。
→「サイケデリック psychedelic (意識拡張)体験とは何か 知覚の扉の彼方」
 
 そして、同時代に発見された医療用幻覚剤LSD(リゼルグ酸ジエチルアミド)などとともに、その成分の効果/作用が、心理療法(サイケデリック・セラピー)の中で、実験・検証されていったのでした。「サイケデリック体験(意識拡張体験)」の内容や性質、効果が理解されていったのです。
 ところが、当時(1960年代末)、これらの研究は、研究者たちの真面目な取り組みとは別の要因によって(世間での娯楽的乱用や政治的情勢によって)、中途半端な形で、強制的に中止させられてしまったのでした。

 さて、それから数十年を経て、近年再び、一部の大学や研究機関の中で、あらためて、そのような薬学成分を使った「サイケデリック・セラピー」の再評価・再実施が起こってくるようになりました。それらには、他では得られない大きな治癒効果があったからでした。特に、各種アディクション(ドラッグ中毒)のような難治の症状に対して、顕著な効果が認められたからでした。
 また、そのような正規の学問的研究とは別に、民間のレベルでも、さまざまな癒しや心理解放、神秘体験を謳い文句にした、シャーマン的セレモニー(儀式)を受けるための現地ツアーなども、欧米では多く催されるようになりました。それらの特別な効果が、人々の興味関心を大きく惹きつけるようになったからです。今では、YouTubeなどでも、それらに関する動画が(真面目なものから興味本位のものまで)、多数UPされています。

 このセクションでは、それらの事柄について、より真摯に、心理学的かつ構造的な観点から、実際にそれらはどのような効果や可能性を持つものか、本来のシャーマニズム(サイケデリック・シャーマニズム)やメディスン(薬草)について、色々と記してみたいと思います。

【2】各種の注意事項

 まず、これらサイケデリック・シャーマニズムをきちんと体験し、理解を深めていくには、前提として、注意しなければならない点が、外的にも内的にも多数あります。
 外的な事柄にも、内的な事柄にも、「しかるべき条件」「しかるべき準備」があるのです。
 ここは一番大切な事柄なので、まず、そこから、解説していきましょう。

 「外的な事柄」からいうと、まず、サイケデリック・シャーマニズム(セレモニー)の中で使用されるメディスン(薬草等)は、その化学的成分の中に、現在の日本国内では法的に使用が禁止されているものが含まれている場合がほとんどです。麻薬と見なされてしまっているわけです。
 そのため、それらのメディスンを十全な形で学ぶには、規制のない諸外国の、しかるべき現地に行って、それを体験し、学ぶしかないということです。また、それらメディスンの使用によく通暁した人々(シャーマン等)の助けが必要であるということです。
 不案内な外国の地での事柄となるため、きちんとした事前の十分な情報収集や人的交流がまず欠かせないということになります。そして、信頼のおける人物(人格レベル/経験レベル)・組織であることをよくよく確認した上での現地滞在、学習が求められるということです。これらの条件が、十分に満たされていない場合、体験の環境的基盤(セッティング)が、しっかりしてないことになるので、各種のリスク(危険)が大きいということもありますし、また、肝心の体験や学び自体が、十分にならないということにもなります。現地ではよく知られている事象だけど、日本にはまったく伝わっていないという事象も多々あります。「現地では当たり前のこと(暗黙の了解)」は、文字になりにくいからです。これらの点については、何重にもわたって、慎重さや準備、用心深さが求められることになります。詐欺まがいのもの(や詐欺そのもの)が、大部分であると思って、この点、手堅くやってやりすぎる、ということは決してありませんので、ぜひ、ご留意いただければと思います。

 「内的な事柄」についていうと、自分の心の問題、自分(人間)の心理的構造や心理的内容に、ある程度は通じていることが前提となります。また、自分の深い心の領域に向き合う覚悟が求められます。
 なぜなら、サイケデリック体験においては、自己の深層心理が、日常のレベル(通常の想像を超えたレベル)で剥き出しにされ、暴露されることになります。通常、一般の人々は、(心理的抑圧が強く)自分の心理を抑圧して、「シャドー(影)」を見ないことで、「自分(仮面)」というものを成り立たせて生きているものです。
 心理学的には、普通の人々が生きている世界は、すべて表層的な「仮面(ニセ)の世界」なのです。
 サイケデリック体験では、その「シャドー(影)」が幻覚的/異次元的に剝き出しにされ、強制的に直面させられることになります。そのため、恐怖的な体験になってしまうことも多いのです。興味本位に娯楽用のドラッグとして、これらを試してみて、心理的に危険な状態(鬱/発狂)や、ろくでもない事態(バッド・トリップ)に陥ったという事例が多いのもそのためです。
 サイケデリック体験においては、私たちはどこまで行っても、「自分自身の心」、自分の「心理的投影 projection 」に出会い、体験することになります。そのため、自分の心について、ある程度、深く見る経験がないと、表層的な体験しかできないことにもなっているのです。自分の深い「感情」「欲求」「自我状態」「心理構造」について、ある程度知っていなくては、十分に正しく、深遠な次元なものを理解することもできないのです。
 一方、体験的心理療法なりで、長く、自分の心を深く探索する経験や習慣を持っている人にとっては、この人生で他では得られないような、とても大きな成果(啓示)が得られることにもなっているのです。

【3】心の多元的構造とメディスン(薬草)の作用―チベット・モデル

 また、「サイケデリック体験」を理解するには、そこで現れてくる、私たちの「心の構造」について、基本的な事柄を理解しておくことが重要です。
 ただ、そこで顕れてくる心の様相は、通常の現代心理学などが想定しているものなどを、遥かに超えたものです。
 そのリアリティ(現実性)を、現代の凡庸な心理学の中に回収しようとすると、かえって、体験自体を抑圧してしまうことになりかねません。
 心をあつかう領域においては、つねに「解釈」は、「抑圧的」であり、「暴力的」であるからです。
 そのリアリティ(現実性)をより活かし、生長させるものになるか否かが、体験を言語化する際のポイントとなるのです。
 サイケデリック体験においては、特に、そのようなことが当てはまるのです。

 そのために参考になる心のモデルのひとつが、ティモシー・リアリーらによって、1960年代に提示された「心の構造」モデルです。

 リアリーらの著書『サイケデリック体験 Psychedelic Experience』は、文字通り、当時未知であったサイケデリック体験を実際にするときの指南書として書かれたものです。
 人が、サイケデリック体験をするとき、どんな風にそのプロセスに身をゆだねていったらよいかを解説(提案)したものです。

 この本は、副題に「A Manual Based on the Tibetan Book of the Dead」と付けられているように、実は、内容そのものは有名なチベット密教の経典『チベットの死者の書』を、心理学的知見をもって、リライトしたものとなっているのです。(それはとりもなおさず、従来の西洋的な思想、西洋科学的な見方では、サイケデリック体験の諸相を理解することが出来なかったことを意味しているのです)
 そのため、その「心の構造」モデルも、チベット密教の或る流派(カギュ派)のものということになっているのです。
 ただ、ちなみに、このような「三層/三つの階層」の世界像は、実は、東洋・アジアの宗教思想全般に見られるものなので、かなり普遍的なものだとも言えるのです。

 ところで、「心の構造」とはいうものの、さきにも言いましたが、現代の心理学でさえ、「心の構造」について実際のところ、本当によくわかっているというわけではありません。
 各流派が、自分の「心の構造」理論を、勝手に「検証されたもの/エビデンスがある」というふれこみで、喧伝しているにすぎません。
 そのため、各々が、バラバラのモデルや理論を提唱しているわけなのです。
 というのも(当たり前ですが)、「心/意識」というものが、「実体」として検出・測定できるものでない以上、当然といえば当然のことです。

 そのため、「心の構造」モデルを採用する際は、実際に心を扱うにあたって(セラピーであれ、その他であれ)、そのモデルが、ある程度「有効」「有用」であるか否かが、ひとつの指標となるのです。
 その「心の構造」モデルが、どんなに精緻でもっともらしくとも、心を扱う実践上で、何の役にも立たないモデルであったなら、無意味、無価値だからです。
 さて、リアリーらが、実際の「サイケデリック体験」を理解し、その体験をより十全なものにするために採用した「チベット密教モデル」は、そのような実践上、有効な「心の構造」モデルということになります。
 (以下で、彼らの採用した「チベット・モデル」を取り上げるのも、筆者自身が実際に持ったサイケデリック体験や変性意識状態(ASC)において、その妥当性が認められたからに他なりません)

 さて、まず、リアリーらは、サイケデリック体験で現れてくる心のプロセスが、『チベットの死者の書』で描かれている「バルドゥ(中有)」の推移のプロセスと同様であると見なします。
 「バルドゥ(中有)」とは、仏教で考えられている、人間が死んだ後に経験するといわれる時空のことで、『チベットの死者の書』では、3つのバルドゥ(中有)のことが解説されています。
 「チカイ・バルドゥ」「チョエニ・バルドゥ」「シパ・バルドゥ」の3つです。
 『チベットの死者の書』においては、人間の魂は、死んだ後、
「チカイ・バルドゥ」↓
「チョエニ・バルドゥ」↓
「シパ・バルドゥ」
の順番に移っていき、その間に解脱できないと、転生してしまうとされています。
 転生は、残念な結果であり、解脱して、涅槃に行くのが望ましいこととされているのです。
 (転生し続けて、この生の苦しみを経験し続けるのは、仏教的には、残念なことなのです)

 この3つのバルドゥ(中有)を、ティモシーらは、心の階層構造と見なしたのでした。

「シパ・バルドゥ」は、表層的な心理的自我に近い領域。フロイトのいう無意識の領域。個人的無意識の領域。

「チョエニ・バルドゥ」は、より深層の、ユングのいう集合的無意識の領域。元型(アーキタイプ)的な領域。

「チカイ・バルドゥ」は、経典でも「根源の光明(クリアーライト)」が現れるとされているように、さらに深層の、より超越的な領域、個を超えた超意識(空性)の領域。

と見なしたのでした。
 リアリーらは、サイケデリック体験においては(『死者の書』においてと同様)、この3つの領域が、③→①へと順次現れると考えたのでした。

 さて、実際のサイケデリック体験においては、それほどはっきりとこの3領域が区別されることはないにしても、おおよそ、このような領域が、重層的な形で現れてくることになりがちです。
 そのため、自らのサイケデリック体験を理解するに際して、これらの階層構造の図式を持っておくと、自分が何を体験したかを理解するのに、便利なこととなっているのです。
 つまり、「自我を中心とした領域」「集合的無意識、元型的な領域」「(個を超えた)超越的な領域」というわけです。

サイケデリック体験では、見慣れぬ、奇妙な世界が現出するので、大雑把でも「枠組み」があると、大変助かるものなのです。

(つづく)

【関連ページ】

→「サイケデリック psychedelic (意識拡張)体験とは何か 知覚の扉の彼方」
「変性意識状態(ASC)とは何か はじめに」
「英雄の旅 (ヒーローズ・ジャーニー) とは何か」
【図解】心の構造モデルと心理変容のポイント―見取り図


【ブックガイド】
変性意識状態(ASC)やサイケデリック体験、意識変容や超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』


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