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学校を選択しない未来が発見する日本

1. アメリカでもなく中国でもなく

1.4 第三の選択肢を模索する

すぐに解錠されそうな錠前

世界の歴史では、先進国(富裕国)と途上国の二極化が常でした。ローマ帝国が衰退・滅亡・分裂し、ヨーロッパ諸国が成立したころ、中国は統一と分裂を繰り返し、先進国と途上国を反復していました。

近年盛んに語られる「日本衰退論」は、ローマ帝国や以前の中華帝国のように、日本が他国に取って代わられることを恐れているのでしょうか。それとも単に、古代都市が砂漠に埋もれていくのを想像しているのでしょうか。しかし、私たちは「持続可能な成長」を目指しているのですから、このような「1」か「0」かの思考は、歴史から学んだ人類の選択肢としては時代遅れです。

日本がヨーロッパ諸国の植民地にならなかったのは、歴史的・地政学的な幸運があったは確かです。しかし、それだけではありません。ヨーロッパの列強が日本を侵略しなかったのは、6割以上の識字率に表れる当時の日本の高い教育水準、世界最大の人口であった江戸をはじめとする日本の諸都市が、中世ヨーロッパのどの都市よりも清潔で合理的な環境を保っていたこと、生活水準が高くて子供を大切にし、商業的にも活発であったことなどを宣教師たちが祖国に伝えたことも大きな理由の一つだったでしょう。

宣教師に同行してヨーロッパの国王に謁見するために訪れた日本人一行が捨てていった鼻紙を、道端で見守っていた人々が貴重な紙として、一行が去った後で先を争って拾い集めていたという逸話まで残っています。

江戸時代の日本は外国との貿易や交流を制限していたため、中国、朝鮮、オランダなど一部の国からしか世界の情報を得ることができませんでした。そして、防犯用の鍵にまで装飾を施すほど、日本は世界にも例を見ない265年間にわたる太平の世を享受していました。当時の日本は価値観の断絶がない成熟した文明でありながら、世界を席巻していたヨーロッパ諸国に引けを取らないほど発展していたのです。

そこにあったのは、民衆による自発的な教育と長い平和によって爛熟した文化と穏やかな治政だったのです。

1.3 永続的に発展できるのか

どちらに住みたいですか?

日本語で「先進国」と「途上国」という表記は、英語の原語を意訳したものです。英語では、"Developed country"と"Developing country"という言葉が使われます。これらは「開発された国」と「開発中の国」と直訳できます。
他にも意訳されている例があります。G7は「先進国7か国」や「主要7か国」と和訳されますが、"G"は"Group"の略で、「先進国」でも「主要国」でもありません。「7か国の集団」と直訳できます。

このように、日本語では意図的にポジティブだったりネガティブだったりする言葉を和訳に取り入れることがあります。日本語は言葉自体に「色」があるのに対し、英語は言葉に「色」がないので、形容詞や副詞が豊富です。そのため、英語では形容詞や副詞を文から除けば客観的または事実だけを表現しやすくなります。

そう考えると、日本語は文学などに適した言語であり、英語は論文などに使いやすい言語と言えるでしょう。

話を元に戻しますと、「先進国から脱落する」とか「途上国へ衰退する」というように日本を悲観する人の声がSNS上で増えているようですが、原語の英語から考えるとおかしい表現です。

例えば、本格的な鉄道はイギリスで最初に開業し、世界に広まりました。地下鉄もロンドンで最初に開通しましたが、地下で蒸気機関車を走らせるという大胆な方法でした。当時のイギリスは世界唯一の先進国でした。しかし、今ではロンドンの地下鉄や地方の駅舎などを見ると、良く言えば趣があり、悪く言えば古びています。また、産業革命の頃は後進国だった日本から超高速列車を導入するなど、かつての最先端の面影は消えています。それでもイギリスを衰退国と断定することはできません。

同様に、中国の多くの空港に行けば、その近代的な設備と輝くような未来感に圧倒されますが、先進国と呼ばれることはありません。

面白いことに中国の歴史を振り返ると、「開発された」と「開発中」を繰り返してきた国だと分かります。歴史をリセットできる国はこの二つの状態を反復できるのです。

産業革命の頃のようにイギリスは先端技術では一流ではなくなっています。しかし、「イギリスで一番美しい村」というコンテストがあるように、「生活の質を向上させること」に重点を置くようになっています。これは衰退でも後退でもありません。

では、日本は「イギリス型」になるのでしょうか、「中国型」になるのでしょうか。価値観を変えて「発展する」のか、価値観を守って「成熟させる」のか、日本は選択を迫られています。

1.2 そもそもアルゼンチンは先進国だったのか

今は昔

アルゼンチンはかつて世界に類まれなる富裕国でした。しかしながら、その富はほとんどが畜産物の輸出によるものでした。工業国への転換を目指しましたが、輸出する工業製品の製造装置のほとんどはアメリカなど他の先進国からの輸入に頼っていました。

そのため、第二次世界大戦後、ヨーロッパ諸国が復興し、自国内で新技術で工業製品を生産できるようになると、戦禍を受けなかったアルゼンチンの優位性は失われました。基礎的な科学技術が育たず、政治的混乱が続く中で国際的地位を急速に失い、それに伴い畜産物から得ていた膨大な国富も漸減し、農業大国からも陥落してしまいました。

つまり、アルゼンチンは富裕国ではありましたが、政治的にも科学技術的にも世界をリードできる先進国ではなく、発展の可能性がなかったのです。
一方、日本はどうでしょうか。科学分野のノーベル賞を毎年のように日本人や元日本人が受賞したのは記憶に新しいところです。また、ペラペラと曲げられる紙のように薄いペロブスカイト太陽電池の基礎・応用技術や、日本人が開発してノーベル賞を受賞したリチウムイオン二次電池に関しても、これに置き換わることが期待されている全固体電池の開発競争で日本は世界をリードしています。

今の日本は基礎や応用科学で世界でも頭抜けているのです。また、政治的にも安定していて国際的な会合で主要メンバーになっています。これが、かつて世界有数の富裕国であっても科学・産業技術を育てられず、国際政治でも主要プレーヤーでなかったアルゼンチンとの大きな違いです。

しかし、現在、科学分野のノーベル賞の受賞は足踏み状態になっています。また、産業界をリードしている全固体電池やペロブスカイト太陽電池の開発競争に関してもアメリカや中国が急速に追い上げていて、いつ追い抜かれても不思議ではない状態になりつつあります。

また、国際的機関での職員数や影響力も中国などの新興国の後塵を拝しています。

1.1 日本は袋小路にはまり込んでいる

どこへ行けばいいんだろう

生成AIの中でも特に注目されているChatGPTはアメリカで開発されましたが、IT産業で世界をリードする中国もそれに追随しています。日本はこの分野で目立った動きを見せていません。というよりも、リードする技術を持っていないと言ったほうが正しいのかもしれません。

かつて世界を席巻した先端半導体生産技術力も、今では韓国やアメリカに大きく遅れをとり、台湾の投資によってようやく一世代前の半導体の生産が始まろうとしています。

IT産業だけでなく、世界のトップを走っていた日本の産業の多くはアメリカはもちろん、新興国にも追い抜かれています。

さらに、少子高齢化は止まる気配がなく若年・青年層が急速に減少しています。このままでは西暦2070年の総人口は8700万人になり、現在の7割近くに減ると予想されています。

これらの指標を見ると、「日本は衰退国家だ。アルゼンチンのように先進国から途上国に転落する」というSNSなどのインターネット上での言説が真実味を帯びてきます。しかし、本当にそうでしょうか。確かに今の日本の状態が続けばその予想は当たるかもしれません。

最盛期のアルゼンチンの一人当たりGDPは、その当時の日本の約4倍で世界第10位という富裕国でした。それは、「母を訪ねて3000里」という小説にも描かれているように、イタリアからアルゼンチンへ出稼ぎに行くほどヨーロッパの多くの国々よりも豊かだったことからも想像がつきます。しかし、現在は日本の一人当たりGDPがアルゼンチンの約3倍となっています。

アルゼンチンの国富が途上国水準まで落ち込んでしまったのには、さまざまな原因があります。しかし、一言で言えば、国の政策が混乱し続けて国民に希望を与えられなくなってしまったからです。

東京都の面積でアメリカ全土が買えると豪語するほど日本の国富が増えた時期がありました。しかし、今では一人当たりGDPは世界第24位です。名目GDPもドイツに抜かれることが確実で、かつての世界第2位から4位に転落しそうです。このような状況が続けば、SNS上の言説の通り日本をアルゼンチンの現状と重ね合わせることができそうです。

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