見出し画像

好き、得意、ニーズの交差点「法律」で。鬼頭がサイトビジットを起業した理由

※NINJA SIGN by freeeは2022年3月8日をもって「freeeサイン」へと名称変更いたしました。
※2022年8月20日付で、社名をfreeeサイン株式会社に変更いたしました。

創業には必ず理由があって、それはとても強い想いから由来する。これはサイトビジットに限らず、すべての企業に言えることだと思います。
では、サイトビジットの創業者である鬼頭は、なぜサイトビジットを起業したのか?弁護士業ではなく、なぜ起業だったのか。そこにはどんな出会いや出来事があったのか。
今回はサイトビジット創業ストーリーをお届けします。


サイトビジット創業者はどんな人?

創業者である代表の鬼頭政人は東京都出身の今年40歳。開成高校を特別優等で卒業、東京大学法学部を経て24歳で司法試験合格に合格しました。都内法律事務所に弁護士として勤務後、産業革新機構(政府系投資ファンド)を経て2013年にサイトビジットを起業します。起業を考えるきっかけはいつ訪れたのでしょうか?

起業への原体験となった2つの出来事

鬼頭を起業に導いたひとつ目の出来事、それは小学6年生の時に起こりました。
「政人、ちょっといい?」と親から呼ばれ告げられたのは父親のリストラでした。その翌日から父親が自宅にいるようになった状況は鬼頭にとって衝撃的で、会社員という働き方の厳しさを感じたそうです。

もうひとつの出来事が政府系投資ファンド在籍中に、メルカリ創業者の山田進太郎氏と出会ったことです。デューデリジェンス(注:投資先評価のための調査)のためのヒアリングでお会いし、純粋に「すごく格好いい」「自分もこうなりたい」と心から感じる出来事でありました。

このふたつの出来事から、鬼頭は「起業」を心に決めます。では実際に起業するにあたり、事業をどう決めたのか、振り返ります。

事業の軸は「折れない心の源泉」、それは「法律」だった

起業するにあたり、最初は「好きなことをやろう」と考えた鬼頭。当時、共同創業予定だったメンバーと共通の趣味から事業を考え、読書や旅行関連のサービスを検討していました。「本の作者に会えるサービス」や、「現地の日本人が海外旅行を案内してくれるサービス」といったものです。
しかし、サービスを考えていると必ずボトルネックにぶつかります。鬼頭は当時をこう振り返ります。

鬼頭
「例えば、村上春樹さんとどう知り合うのか? 海外日本人のネットワークはあるのか?といった課題が生じてきて、挫けてしまう…。所詮、趣味レベルなので、ハードルを超える気力が湧いてこないのです。『自分がやるべきこと』と思えていないところが違うのかな…と感じていました。」

そんな時に、東京大学の各務教授(東京大学教授、産学協創推進本部イノベーション推進部長)から受けた言葉が鬼頭に響きました。
各務教授から「事業なんて上手くいかない。上手く行く事業も上手く行かない場面が多い。それでも心が折れないか。折れない心の源泉がアントレプレナーシップだ」と言われ、自分にとっての「折れない心の源泉」とは何かを考えぬき、鬼頭は“法律”にたどり着きます。

画像2

好き、得意、ニーズが重なる事業は?模索の日々

各務教授の言葉を受け「自分がアントレプレナーシップを持てる事業は何か?」を深く考え始めた鬼頭は、起業には「好き」に加えて、「得意」と「ニーズ」という3つの軸が必要だと思い至りました。
鬼頭にとって、この3つが重なる領域は「法律」と「勉強・学習」の2つだと考え、これを深掘りすることになりました。

鬼頭
「実は最初は『キャリア教育』をしようと考えました。これは、自らのキャリア選びでの模索経験からです。通っていた高校の偏差値が高く、『難関攻略が可能』という意味で医学部に進学する人が多くいました。

私も当初医学部志望でしたが、医学部=医者という職業にほぼ決まることを疑問に感じ、外交官志望に変更しました。しかし、これも当時の外務大臣の揉め事をきっかけにやめてしまいました。そして、『とりあえず法律勉強しておくか』といった感じで弁護士になったのです。

法律は結果として肌に合ったと思いますが、それを知る機会はありませんでした。『自分に向いていることを知り、選ぶのは難しい』という経験から、キャリア教育をやりたいと思いました。」

起業に向かって動いていた2013年頃、女子校の先生にヒアリングしたり、伝統芸能のお店に行ったりして職業体験コンテンツを集めようと行動に移しましたが、最終的に「この分野ではない」と感じ他のビジネスを検討することに。
ちなみに社名の「サイトビジット」は、「sight(視点)」と「sitevisit(工場見学)」という意味を込めたものです。キャリア教育に取り組んでいた名残なんですよね。

その後、弁護士と企業のマッチングビジネスを検討するも、弁護士法72条(注:非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)に抵触する可能性があり、断念。次に考え付いたのが創業事業となるオンライン学習サービスの「資格スクエア」です。


資格スクエア誕生

鬼頭の学生時代の経験から資格スクエアは生まれました。

鬼頭
「私が司法試験を受けようとしていた頃、多くの人は塾に通っていました。しかし、僕は奨学金生活で100万円もの塾費用は払えない…と悩んでいたことを思い出しました。
また、資格を取得しやすくすることは、優秀層が医者ばかり目指す歪みの解決に繋がるのではないか、という思いもありました。」

では、弁護士であった鬼頭がどのようにオンライン学習サービスを作っていったのか?
Web業界の出身でもない、塾に行った経験もない、相談できる知り合いも全くいない…そんな中、産業革新機構に付き合いのあった弁理士の先生が偶然、資格試験学校の人気講師だということがわかりました。

鬼頭
「私が『資格スクエア』のアイデアの話をすると、二つ返事で『やろう』と言われ、背中を押していただくこととなりました。
もともとは3人で始める予定だったのですが、1人は家族の反対があり、もう1人は仕事が辞められず、僕1人になってしまいました。しかし、産業革新機構にはすでに辞意を伝えていたので、1人で起業することとなりました。
そうして立ち上げた当初のサイトにはロゴもなく、論文の過去問などを見放題にするというモデルでした。弁理士事務所にファックスを送って営業すると、問い合わせもありましたが、クレームの電話やメール、内容証明まで届いて大変な思いもしました。
それでも、申込みもあり、最初の有料ユーザーの方が弁理士試験に合格し、『これはいける!』と手応えを感じました。本当にうれしかったです。売上は大きなものではありませんでしたが、順調に増えていきました。」

画像1

起業から8年、大きな転換期を迎える

起業のきっかけとなったふたつの原体験、各務教授の言葉、「好き、得意、ニーズ」の3つが重なる領域を突き詰め、サイトビジットは走り始めました。
「折れない心の源泉」である法律領域で2019年には電子契約サービス「NINJA SIGN」を立ち上げ、コロナ禍の社会情勢も後押しとなり、NINJA SIGNは大きく成長しました。そして2021年4月、バックオフィス向けERPサービスを展開するfreeeグループへ参画。6月22日には「NINJA SIGN」は「NINJA SIGN by freee」へ名称変更し、新プロダクトビジョンを策定しました。
大きな転換点を迎えたサイトビジットは今年、創業から8年が経ちます。これからどのようなスピードでどこへ向かい歩んでいくのか…またnoteでお伝えします。

編集後記

なぜサイトビジットという社名なのか?なぜ創業ビジネスが資格スクエアだったのか?新入社員が次々と増え続けているサイトビジットの従業員にとっても伝えておきたいエッセンスをお届けした今回。会社の沿革として淡々と伝えるのではなく、泥臭いエピソードと想いを乗せて残しておく大切さを感じています。来年の今頃読んだ時に、また新鮮な気持ちで記事を読めるのではないかなと今から楽しみです!