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スランプ

 また来たよ、書くことに対してのスランプが。毎週のように何かしらの文章を書いて投稿していた今までの自分が嘘みたいに思えてくる。まだクロールも背泳ぎも平泳ぎもバタフライも泳げないのに25mのプールレーンを泳ぎ切りなさい、と言われているような気持ちになる。こんな状態では犬かきみたいな文章しか書けない。

 いや、そもそも冷静に考えたら別にプールで泳げなんて誰にも言われてないのだから無理して泳がなくたっていいのだ。むしろこっちが誰の許可も取らずに勝手にプール入ってるだけだ。こういう時は大人しく休んでおくに限る。


 しかし、やっぱりどうしても何かしらの文章は週1で書いておきたいという思いがある。犬かきしか泳げないとしても水を身体に触れさせてはおきたい。
 私はこのnoteを自分の生活におけるベースキャンプのようなものだと勝手に思っていて、文章を書いて自分の感情なり思考なりを多少整理しないと全体的になんだか行き詰まってしまうのだ。
 くだらなくて放埒なことを書きがちなのも普通の生活を送っている中で感じる一律的な世間の圧力への反骨精神からだし、日々の生活におけるガス抜きとしてこのnoteが機能していることは間違いない。

 ただ、最近はもう少しだけ肩の力を抜いてやってもいいんじゃないかと思うようになってきた。

 どこで見たかは忘れたが、noteなどのブログで一番読まれやすい字数は大体1000字前後のものらしい。

 私のnoteの投稿はほぼ1000字超え、しかもそのうちの7割ぐらいが奇文珍文で埋め尽くされている類のものなので、自分にとって負担が大きいのはもちろん、読者諸賢の方々も時に読むのが大変、というか解読が困難なこともあるだろう。

 実際、他のnoteユーザーの方の記事を読んでも私の書いた冗長な文章と比べると簡潔にまとまっていることが多く、素直に感心することが多い。みんな引き算が上手だな~、と思う。何を書くか決める時って何を書かないかを決めることとほぼ同義だから、それが的確に選別出来る人は文章を書くセンスがあるといえる。

 私もそういう引き算が出来るようになればどんなに楽だろう、と思う。単純に長文を書くのは疲れるのだ。
 極力ピンポイントで短く、簡潔に要旨が伝わる文章を書きたい。

 でもそれは生来的な気質により多分無理なのだろうな、と思う。誤解を恐れるあまり補足的な説明を過分にしてしまう。自分の伝えんとすることが読んだ側の拡大解釈、もしくは縮小解釈により間違った受け取られ方をすることに怯え、足し算ばかりしてしまう。いくら足し算をしたところで、その数値が正しいか間違っているかなんてわからないのに。というか私が常套的にやっているのは足し算とかではなくただの落書きだが。


 そろそろ息継ぎが苦しくなってきたので今日はここら辺で書くのをやめようと思う。
 あまりにも豪腕犬かきスタイルで書き殴った所為で後半の方自分でも何書いてるのか正直あんまわかってない。まあスランプだから仕方ない。

 でもやっぱり自分の文章を読み返した時にいつもと比べると物足りなさ、もどかしさを感じるのも確かで、この消化不良感がたまらなくぐやじい~。早く四泳法で泳ぎながら発生させる必要のない水飛沫発生させて遊びだいよヂグジョ〜。


おわり

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