突っ込んで大やけどか、引きこもって酸欠か

大学生になると周囲の大人(社会人を指します)から「若いうちに挑戦しておけ」とご忠告をいただくことが増えました。高校生までとは違い、自分で自由に行動できる幅がグッと広がったためです。

しかし、自由な行動には必ず責任が伴います。例えば、学生グループがドライブに出かけ、スピード違反で事故を起こし全員死亡した、などというニュースは毎年のように聞かれますが、高校生はそもそも免許を取得できませんから、このような手痛い責任を取ることはありません。

こういった行動に伴う責任というのは、概ねその行動に見合ったものがついてまわります。ただ、若者は失敗をしたときに許されたり挽回できたりする幅が大きいことが多いです。そのため、大人たちはしきりに若者に挑戦をさせようとするのでしょう。


一方で、今日ではその「許されたり挽回できたりする幅」に変化がみられていると私は思います。SNSをはじめとした情報通信網の発展により、人が過去に犯した失敗は永久に残り、誰にも削除しきれない状態となってしまう問題が顕在化したのです。消せなくなった過去は引っ越しをしようとも、転職をしようとも必ずついてまわり、その人の評価の先入観として無視できない効果を及ぼし続けます。

こうして消されることなく電子の海に漂う過去の汚点のことをデジタルタトゥーと呼ぶことがあります。それでは、デジタルタトゥーは果たしてどの程度後の人生に影響するのでしょうか?


デジタルタトゥーの凶悪さは、永続性にある

過去の話にはなりますが、私は一時期あるコミュニティでお尋ね者のような扱いを受けていました。私に大きな非がある行いが発覚した後、私のありとあらゆるSNSアカウントに誹謗中傷やグロテスクなコンテンツ投稿による嫌がらせが殺到したのです。

私は結局そのコミュニティを追われることになり、別名義で別コミュニティへ移行することにしたのですが、そこでも私の心は休まることはありませんでした。新しいコミュニティで今は優しく受け入れてもらっているけれど、過去の行いが発覚したら態度が一変してまた追い出されるのだろうか。そういった心配であまり積極的に関われなかったことを覚えています。

私の例は当事者同士では既に解決済みの事案であり、現在では笑い話にできるまでに風化したのですが、そうでないケースも多々あることでしょう。


以前ヒトツマミでライターをしていたときに、OBの方から過去記事の削除依頼が来たことがあります。OBの方によると、自分の名前で検索した際に実名で書かれた記事がヒットしてしまい、顧客にとってイメージダウンに繋がりかねないからとのことでした。

大学生時代に遊んでいたところを一々取り上げて信用ならないと指摘する顧客がいることも考えものですが、企業としては万が一を考えて削除させることは妥当な判断だと思います。幸い当該記事はとりわけ取り沙汰されたわけでもなかったので、記事削除によって記録はきちんと消滅したと思われます。

もしこの記事が人気になって、あるいは炎上してヒトツマミの与り知らないところに広まっていた場合、まさにデジタルタトゥーとなって彼に一生ついてまわることになったでしょう。業界をまたぐ転職をしようと、顧客を相手にするビジネスをしているうちはずっと悩まされることになったはずです。


これらの例からも分かるように、デジタルタトゥーの恐ろしいところは消さない限り永遠に誰でも参照できる形で残り続けることと、多くの場合消すことが困難であることです。


デジタルタトゥーは挑戦に巨大なリスクをもたらす

デジタルタトゥーが永続性をもって当人を苦しませるのは先述の通りですが、若者の場合はこれがより深刻に作用します。就職活動や転職活動などで若者は評価を下される状況におかれる頻度が高く、その度にデジタルタトゥーが発覚する可能性を恐れなければならなくなります。これには社会経験が浅いことによって過去の実績や信用に乏しいことが原因の一つでしょう。

こうした背景もあり、若者は多かれ少なかれ「挑戦したら、失敗できない」という思考に苛まれることになります。今後も尾を引くような失敗になるくらいならと、そもそも挑戦をためらってしまうことが増えてしまうのも当然の帰着かもしれません。


しかし、本来ならば挑戦こそが最善手であり、何もしないことは次善手なのです。何もしなかった人は、何かに挑戦して成功や失敗した人よりも格段に経験に劣ることになります。大学生活のうちに学業にも課外活動にも励まなかった人の、将来に対する嘆きを飲み会でまれに聞くことがありますが、かける言葉がなかなか見つからないものです。


大やけどか酸欠か

挑戦には、必ず責任が求められますが、成功した暁には大きな実績となります。失敗したときにその過去をなかなか清算できないというリスクもありますが、若者を支援するプログラムも多数あり、よりハイリスクハイリターンになったのかもしれません。

挑戦は歓迎されるべきものですが、いたずらに首を突っ込んでいては自分で処理しきれる限界を超えてしまい、自らをすり減らすのみです。適度な量に注力するのが一番だということが、4年経って思うことです。

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