マスクの着脱自由化に向けて
新型コロナウイルス感染症が巻き起こした未曾有のパンデミックからちょうど2年が経とうとしている。私たちの生活はこの2年で大きく変化することを余儀なくされた。その一つにマスク着用があるだろう。従前はマスクを着用していなかった人も含め、ほとんど全ての日本国民がマスクを着用する期間が2年間続いた。
しかし、来る3月13日より政府の指針としてマスクの着用が個人の判断に委ねられることとなった。この発表を受けた国民の意見はさまざまである。マスメディアもどう扇動するか決めかねている様子であり、現時点では事実のみの報道や編集委員の解説に留めている場合が多い。
本稿では、3月13日以降の日本国民のマスク着用の様態について議論するのではなく、同日以降のマスク着用について我々が何を検討し、判断するのかを考察したい。
政府指針の詳細
本題に入る前に、政府指針を今一度確認したい。厚生労働省HPでは、場合ごとにマスクの着用を「個人の判断に委ねる」「推奨」「着用を求める」と使い分けている。
着用を求める場合
陽性あるいは有症状疑いであれば着用を求められるのは「他者に感染する確率を下げる」というマスク本来の役割が期待される妥当な場合だろう。
着用が推奨される場合
これらは感染リスクが高い場合か、あるいは重症化リスクの高い人間が多い場合である。「着用を求める」場合と「推奨」の場合に共通することは、個人の自由意志を超えて着用を推奨したり求めたりする場合には、平時と比べ新型コロナウイルス感染症が被害をもたらす可能性が高いと思われる状況であるということだ。
着用が個人の判断に委ねられる場合
端的に言ってしまえばこれまでの場合以外ということになる。想定されるのは屋内外、学校・職場、家庭内などであろうか。
これらの場面では「個人の主体的な判断が尊重されるよう、ご配慮をお願いします」と注意書きが添えられ、個人が自由にマスク着脱を選択することを後押ししている。
例外的事項を挙げるならば、学校の卒業式であろう。学校の卒業式では、最終的な判断は個人に委ねられるとしながらも、以下の指針を掲げている:
こうした決定の理由としては、「児童生徒が厳粛で清新な気分を味わい、それまでの学校生活を振り返るとともに、新しい生活の展開への動機付けの機会ともなる有意義な教育活動である」という教育的意義を重視した結果であるようだ(文部科学省)。
確かに、人生の節目たる卒業式(入学式も同様の配慮がなされるだろうが)に全員がマスクを着用することを推奨され、卒業アルバムを開いた際に白い不織布が並ぶ姿はあまり好ましくないだろう。
これからの我々
世論調査から伺う
NHKが2月に行った世論調査の結果は以下の通りだった。
読売新聞や朝日新聞の調査とも概ね整合的で、半数かそれよりやや多い割合が現状維持(着けたまま)し、残りが着けないことも増やす見込みとなるだろう。
読売新聞では男女別の回答割合も報告しており、女性の方がやや引き続き着用することに肯定的だったとしている。これについては、鼻根より下の化粧を手短に済ませられることなど、女性ならではの事情が関係していると度々指摘されている。
私たちは誰に影響されるのか
ところで、私たち人間はそのほとんどが社会的営みの中で生きている。ただし、一人一人の関係は一様に同じ距離というわけではなく、近しい関係にある家族や親友・パートナーから、遠い関係にある職場の上司部下・学校の先生まで開きがある。
そこで、距離に応じて他人を次のように分類しよう。
身内…家族や親戚、パートナーなど
知り合い…友達や上司、先輩後輩など
世間…自分と面識のない人
このように分類したとき、それぞれのグループから受ける影響は当然異なるだろう。例えば、「マスクを着けなさい」という同じ言葉でも、見知らぬ老爺と家族に言われるのとでは聞き入れる可能性が大きく変わる。
以上を鑑みると、マスク着用の判断も自分の周囲を取り巻くコミュニティの構成員(近しい他人たち)の考えによるということになる。あなたは世間全体の雰囲気を読んでいるように見えて、実は知り合いまでの意見を汲んでいることがほとんどなのだ。
総括
本記事では、マスク着用自由化後のマスク着用についての考えをまとめた。知り合いまでの意見を汲むといっても、知り合いはこれまでの自分の価値観に基づいてスクリーニングされているので、似通った考えの人が多いのではないだろうか。
新型コロナウイルス感染症によって人間社会は不可逆の変化を遂げてしまったが、コロナ前にあった日常の多くをようやく取り戻せるとあって、私は心待ちにしている。
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