思春期男子が潰瘍性大腸炎になった話①

思春期男子特集の思考回路を元に書いてますので、少々品のない表現をします。

はじめに

のたうち回るぐらいの腹痛に襲われながら排便と共に血を出したことはありますか?

僕はあります。泣きながら用を足しました。

ご挨拶が遅れました。はじめまして、Gari-ガリ-と申します。

18歳のころ潰瘍性大腸炎と診断され、20歳を超えた今でも薬を飲み続けています。

気が付けば発病から2年以上の歳月が経ち、当時の記憶も薄れていきます。そのため、自身が体験した潰瘍性大腸炎の思い出を振り返ろうかと思い、noto制作に手を出してみました。

この記事で伝えたいのは「潰瘍性大腸炎はこんなにも大変だよ!」という苦労話や「この医薬品がおススメ!」「こんな食生活が良いよ!」などの役になる記事でもなんでもなく、ただ私が過去を振り返るだけでございます。

さて、前置きにしては長々と失礼しました。まずは私が症状に気づいたと時の話から始めます。

血便が出た!

夏の暑さが本格的に始まり、蝉の声も活気を帯び始めた7月下旬。当時17歳の私に異変が起きた。

私は毎朝お通じがでる健康体質で、いつもの様に個室で孤独を楽しんでいた。用を足し、トイレットペーパーでふき取る。ちなみに私は拭いた後の紙を見る派だ。今回の場合、それが功を奏した。

「あれ……?なんか赤い???」

拭った紙に付着していた便は赤く見えた。便座を覗くとビー玉サイズの赤っぽい便が浮かんでいた。ここで早速、愚行に走る。我が家のトイレは電球がオレンジで、トイレットペーパーも赤いバラがプリントされており、小洒落た暖色(主に赤)が多い空間になってた。よって、薄茶色ぐらいの便がでると赤く見えなくもない。以上の情報をもとに私が自身に下した決断は『気のせい』

愚かすぎる!!!!!!全然功を奏してない!

さらに、その後も何回か血便のような便は出たものの、出ない日の方が圧倒的に多かったため、私はその症状を1か月ほど放置するという愚行に愚行を重ねていく。救いようがない馬鹿の姿である。

分岐点

自分語りを挟ましてもらうと、私は肉を好まない。幼少期は焼肉と聞けば小躍りする程には肉を好んでいたが、成長するにつれ、血生臭いと感じるようになり自ら食べることは減っていった。そして、そんな肉嫌いに拍車が掛かった出来事がある。

単刀直入に言うと食中毒になった。

8月は私の誕生月であり、母が気を利かせて高い焼き鳥屋さんに招いてくれた。やはり高いだけあって味覚音痴の私にも違いがはっきりと分かった。

使う鶏肉は程よく引き締まり、脂っこくなく旨味が強く、フワッと口でほどけるような柔らかい身だった。やや赤い部分もあったような気がするが、店が出しているんだから平気だろうと高を括っていた。

そして、ついに愚行のツケが回ってくる。

ええ、腹痛です。

地面にのたうち回る……と、いうよりもその場でうずくまって固まっていたと思う。

焼き鳥を食べてから丁度1週間後に18年の人生最大の腹痛に襲われた。

トイレに駆け込み、液状の便が滝の様に流れ出る。血も流れ出る。涙も流れ出る。おまけに熱も出た。

どこかのYouTubeチャンネルで腹痛の時は卑猥な書物を読むと和らぐ的なことを言っていたので、血眼になって同人誌を読み漁る。まあ、和らぐはずもなく、スマホを握りしめた方がまだ効果があった。

このような腹痛に加えて38℃を超える発熱もあり、さすがにこれは只事ではないと意を決し、腹痛の波が一通り落ち着いたところで母に症状を話す。

母「なんで黙ってたの!」

ごもっとも!

ただ、私の言い分としては、血便ということは肛門もしくはそれより奥に異常があるわけで、そこを診察されるのが恥ずかしくてしょうがなかった。

そんな私の羞恥心などお構いなしに母はすぐさま近所の病院を予約し、翌日行く手筈となった訳だが、この時の自分はどうやって自身の貧相なケツをさらけ出さずに診察を終えれるかばかりを考えていた。

この時にして、やっと自分の症状について知りたくなり、スマホで血便について軽く調べてみた。すると出るわ出るわ『大腸がん』。

「あくまでネットの情報だから……!違うかもしれないし!」おびえる自分に言い聞かせ、その日は恐怖と迫りくる羞恥に耐えながら眠りについた。

―――続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?