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2024-12-15


離人感のあるままじゃ文字もなんだか気持ち悪く感じて読めなくて小説を読んで気分転換することは出来ない。
私の好きなロックも頭の中がいつもとは違った意味で音で満たされてしまうのが気分が悪い。
邦ロックとかすごく好きなのに。辛い今、好きなものが聴けないのは悔しい。
しかたないので聴いていられそうな好きなバラードを聴き、離人感のあるままこれを書き始めている。

まず、離人感を感じている理由。
お風呂場で嫌なことを思い出したからだ。
それは日常茶飯事だ。
ほぼ毎日お風呂場では嫌なことを思い出す。
でも、今日はとても鮮明に、まるで心に張り付くかのように思い出してしまった。

思い出したのは約6・7年前に虐められた時のこと。
いじめてきた子をO君とする。
O君は、O君の机を私の机から離した。決してくっつけなかった。
給食の時も授業の時も。
私への態度が露骨に冷たかった。
よく強い口調で私に命令した。
O君がくん付けをしてくるなと私に言ってきた時、同じ班だった他の2人もO君の意見に賛成したから誰も私の味方はいなかった。
音楽の授業開始前、座ろうとした椅子を隣の席だったO君に引かれて尻もちをついた。
ずっとそんな感じだったのに、進学してからは普通に仲良くしてくれた。まるでこれまでのことが何も無かったみたいに。



部活の顧問が酷いことを沢山言ったりする人だったこと。
すぐ感情的に怒る人だった。
頑張ってみんな作ったものを顧問が作り直した。
みんなでやった展示の準備が次の日行ったら全部顧問に配置からなにからなにまで変えられていた。
部員たちに向かって「これなら特別支援学級のほうがマシ」と言った。
部員にむかって「何様のつもり?私の言うこと聞いてたら良いの」と言った。
報連相は大事だと繰り返し言うから、遅れたけれど来ました。という連絡しにいったら、「いいから」とあしらわれた。
作品の出来には色々いうのになにも教えてはくれなくて、というよりも部活に参加すらしていなかった。
顧問はずっと部室で動画を見ていた。


このことを思い出す日なんてしょっちゅうあるのに、今日はダメだったみたいだ。
いつもより、ドンっと大きい怖さが心いっぱいに広がって苦しい。

なんど死んでやろうと思ったことか。
なんど教室を飛び出してやろうと思ったことか。
この階段の上から飛び降りれば。
探しようがないほど遠いところに行けたら。

今も思う。あの時飛び降りていたら、逃げていたら、私は今こんなに苦しくなかっただろうか。

たすけてほしい。



2024-12-16  追記

ロックが聴けるようになった。
とはいえまだ半分くらい離人感が出ている感じ。

O君が私をいじめた理由については何も分からない、心当たりが何一つもない。
進学後仲良くしてくれるようになって尚更。

顧問が上記のような言葉を言ったり行動を行った理由についても、わからないというよりか理解ができない。
ただ気に入らないからそう言った、そうした。というふうにしか捉えられないから。
昨日書きそびれたけれど、簡単に言ってしまえば顧問が嫌っていたのは私の学年だった。
私たちの先輩方とは仲が良くて、
後輩たちも特段嫌われてはいなかったと思う。
私たちが卒業してからの後輩たちについては分からないけれど。

そんな顧問の元で私は副部長をしていた。

私が副部長になった時の顧問は、ここまで書いてきた顧問ではない。
仮に顧問Bと呼称する。
顧問Bは部の私の学年を集めて、部員全員が揃っていない状態ではあるけれど今日部の役職決めをしたいと言った。
私は納得できなかったけど、周りが了承したからその状態で決めることになった。
そして副部長に選ばれてしまった。

その次の年度、顧問が顧問Bではなく前の顧問に戻った。
顧問Bは若干部長に当たりが強いくらいで、前の顧問より幾分かましだった。
春休みの部室の掃除中、部長と、顧問が帰ってくるけどどうしようね。と話した。
僕としてはもう部活が無くなっちゃってもいいくらいの気持ちで、もし我慢ならなくなったら皆でボイコットしようね。と言った。

その少し後で私は具合を悪くして、別室登校を始めた。
当然部活にもいけない。
それでも同学年の部長たちは私のことを責めたりしなかった。
来なよとも言ってこなかった。
そんな優しさが嬉しいとともに、あの顧問がいるところに皆を置いてきてひとりで逃げてしまったことが、悔しくて申し訳なかった。

報連相を大切にする顧問には手紙を書いた。
なんて書いたかは忘れたけれど、現状報告と部活に行くのが難しいという趣旨だったと思う。

その少しあと、顧問と意図せず会って「手紙ありがとうね」ということを言われた。
優しい風に声をかける顧問は嘘で、部活での顧問が本当なんだ。と怖さからそう思っていた私は、
なんだか気持ち悪く感じた。

文化部だったので、文化祭前は少し部活に出た。
でもやっぱり昨日書いたようなことの7割くらいが起きて、無力感に泣きたくなった。

引退後も後輩から活動の一環として卒業祝いのダルマのかわいいミニぬいぐるみキーホルダーを貰った。
たしかに嬉しかったけど、これが出来上がるまでに後輩たちはどんな言葉を受けただろう。
もし、私たちより酷い言葉を受けたとしたら。
そんなことがあったら、副部長として、先輩として情けない。
私はまだ、貰ったキーホルダーを付けられた事がない。

きっとあと少し勇気があれば顧問のことを言えたし、なんなら養護教諭の先生には言っていた。
あと少し私が強くければもっと顧問をてくれる人に言えたかもしれない。
 
あの時の僕みたいにいつ死んでやろうかと後輩が悩んでいたらどうしよう。

弱くてごめん。
何も出来なくて、ごめんなさい。



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