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学級委員になったときの話《トラウマ④》

多分小学5年生の時だったと思う。
正直、昔の時系列は曖昧だ。
進級後1~2日後。挙手制の学級委員決め。
そんなめんどくさい役職に誰も挙手するわけもなく。

担任は静まり返る教室で
「こんな消極的な雰囲気はやめないか」
「他力本願だ」
と繰り返した。手が震えるほど凍りついた空気だった。
そこから、男子が一人手を挙げた。
男子の空気が解けるのと同時に、
女子の空気がより一層固くなるのを感じた。

僕は耐えられなかった。
そんな空気も、
僕と僕のクラスメートをやる気のないように言う担任の言葉も、
そして長時間緊張感がある場所に置かれると(もちろん状況によりけりではあるものの)露骨に悪くなっていく体調にも、
耐えることが出来なかった。

そこで僕がどんな行動を起こしたか。もうわかるだろう。
僕が震えた手で学級委員に挙手をした。
そこからの記憶はまばらだ。

順を追うとするならば
まず生活習慣や精神的なもののアンケートに
学級委員になって不安だ。
という旨の文章を書いた。
しばらくして面談を担任とした。
担任は皆が自分に着いてきてくれるかが不安なのか、
自分がやっていけるかが不安なのか、
のようなことを聞かれた気がする。
僕は二つの選択肢の違いがわからなかった。
どっちと答えたかは覚えていない。
僕が答えた後、担任は「あなたなら大丈夫だ」という意味を孕んだ励ましを言った。
無責任だな。と、感じた。

学級委員なんて楽しいものではなかった。
自意識過剰で被害妄想やいらない想像しがちな僕の前では少しも楽しい部分を見せなかったのだと思う。

先ほどのアンケートの件からとんで、季節も、なんの発表だったかも記憶が定かではないが、とにかく僕たちの学年は体育館でなにかの練習をしていた。
そして全体が怒られていた。
理由は思い出せないが、僕、これ関係ないなぁと思っていたことは朧げに覚えているからきっと、数人の行動を全体に絡めて怒っていたのだと思う。
険悪な状態で僕を号令をかけることになった。
僕の声は掠れて、ピリピリした空気で泣きそうで、震えた小さい声しか出なかった。
僕たち生徒はステージの下にいたわけなのだがステージの上から
「そういうとこだよ、学級委員」
と大きめの声で言われた。
数十分生徒側を滾々と黙らせておいて掠れた声しか出ないのはおかしいとでもいうのか?
と妙に苛つき担任の言葉の語尾に被せる様に号令をかけた。
その日の放課後、今後どうするかみたいなことをもう一人の学級委員で居残りで考えることになった。
すごく長い時間をかけたけれど、結局担任の求めていた正解はよくある定型文であり、全責任を僕たちがもつようなものだった。

僕ら学級委員がどんなに努力しても結局クラスメートのやる気とか心の持ちようがなければ意味がないのに、
なぜクラスの悪いことは学級委員のせい、いいことはクラス全員のおがげなのかと、決して綺麗ではない気持ちが渦巻いていた。

ずっと、そこまで辛いなら辞めてもいいよ といって貰えることを辛そうにしてる様子を隠しなにも伝えずに待っていた。
今考えれば滑稽だなと思う。
伝えず伝われだなんて傲慢だなと感じる。

他にも、僕が号令を忘れていたら社会の先生が号令を始めて、言葉に被せるのもよくないかと思い黙っていたら、「やりなよ」と担任に机をたたかれたりした。
なにかクラスが怒られるようなことがあれば責任をとわれるのは学級委員だった。

ある日、学級委員とは別の生徒会に関与する委員会の子が泣いていることがあった。
その頃には僕は半年間学級委員を務めあげ、後期の子に引き継いだあとだった。(悪い意味ではなく事実として後期の子の助っ人に入ったり、取りこぼしを拾い集めたりちまちま仕事はしていたが。)

ここからは懺悔だ。
僕は泣いてるその子に何もしなかった。
どんな言葉を掛けようと薄っぺらい気がしてしまった。
僕の言葉ごときで助けられる気がしなかった。
手助けしたって仕事を増やすだけな気がした。
もちろんそんなこと言い訳に過ぎないのだけれど。
色んな事をぐるぐる考えてたら、後期の子が声をかけにいった。
僕の性格悪いところを突き付けられた気がして罪悪感に苛まれた。


未だに現役で学級委員をしていた頃のことを突発的に思い出すと、
呼吸が詰まるし、行動しなかったことを思い出すと、お風呂のなかだったりお布団のなかだったりでもう届かないごめんなさいを繰り返している。

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