性別で分けられない世界にいきたい
と、こんなことを言ってもどうしようもないのだが。
私は女だ。
生まれた性も、心の性も女だ。
ただ、外見は10人初対面の人がいたとしたら、8人は男性と間違えるもしくは男女どちらかわからないだろう。
それくらいボーイッシュだ。
前述した通り、私はトランスジェンダーではないし、男性になりたいとも思わない。
けど、髪はベリーショートでいたいし、服はメンズライクなものを着たい。
どちらかといえば、かっこいいと言われたい。
1番言われて嬉しいのは、お洒落、だが。
メイクは最低限しかせず、口調も男っぽいし、声も低め、間近で話しても男女の区別がつかない人もいるだろう。
でも、それが自分。
なら、それを貫けばいい。
そう思ってずっと生きている。
けど、日常の視線が、区別が、積み重なってしまう。
ショッピングモールや駅のトイレ。
更衣室。
温泉、銭湯。
健康診断。
毎年の職場の健康診断では、レントゲンの際、「男性は…あっ、すみません」
恋人と温泉に行けば、私だけ男湯の鍵を渡されそうになる。
トイレは、人とすれ違うたびに二度見、過去には直接、「ここ、女子トイレですよ」と言われたこともある。
私はその度、普段より少し高めの声を出して「あ、女です、すみませんわかりづらくて笑」と返す。
間違えられるのが嫌なら、髪を伸ばせばいい、もっと女性らしい服装をすればいい、ガッツリメイクをすればいい、そう言われたこともある。
嫌だ。間違えられるのは嫌だ。
けど、それをしたら、自分が自分でなくなってしまう。唯一の個性が消えてしまう気がする。
周りの人がジロジロ見るのもわかる。本当に男性だったら、変質者だ。
以前家族に冗談混じりでトイレの話をした時、
「女ですって書いたボードでもぶら下げとけば笑」と言われた。
それも冗談だとわかっているのに、なぜ私の心は少し傷つくのだろう。
トイレや銭湯で間違えられた時も、なぜ少し苦しくなるのだろう。
もうずっとそうやって生きてきて、慣れたはずなのに。
最近、新しくできたショッピングモールに行った。
そこには、だれでもトイレ、というトイレがあった。多分、車椅子や赤ちゃん連れの人だけじゃない。男女どちらのトイレに入るべきか迷う人のためでもあるのだろう。
けれど私はそのトイレには入らなかった。
意地、だろうか。
性別じゃなくて、1人の人間として見られたい。
けどトイレとかお風呂はどうしようもないから、やっぱり性別のない世界にいきたい。笑