見出し画像

2024年、理想の生き方




もう2月になりますがな、というところですが、今年の目標、というものを書いてみようと思います。

ただ、目標、というよりは、こうできたらいいな、くらいのもの。
そうしないと、できなかった時が辛いので。笑


①「適度に働く」
自分で言うのもなんですが、私は真面目すぎます。責任感も強すぎる。
それによって、働きすぎる。
教員というただでさえブラックな職に就こうとしているので、手を抜くところは抜かないと、自分のためにも生徒のためにも良くない、と思っています。

私には教員の友達が多いですが、
たしかに新卒1年目、2年目の頃はみんな子どものことばかり話して、全力投球って感じでした。
でも、30手前になった今はみんな口を揃えて、仕事で100%力を使うわけにはいかない、と言います。
帰ってからやる事がある。帰りを待っている人がいる。プライベート優先で何が悪い。

私が中学校の講師をしていた時、他の部活の先生と生徒のある会話を聞きました。
2.3人の生徒が、
「先生、もう少しだけ練習してもいいですか…!」と顧問の先生にお願いをしていました。でもその先生は、
「ダメよ。うちの晩御飯、誰が作ると思ってるの?」と返していました。

もちろん、部活の時間は過ぎた後の話です。

学校の先生も1人の人間。
4月からは、これを肝に据えて、適度に働いていきたいと思います。


②「思ったことはその時伝える」
2024年元旦。石川県能登半島を震源地とした大地震。

私の親友は能登半島在住。
(私は東海地方在住)

そして私たちは、地震が起こる15分前までLINEをしていました。
突然の揺れ、落ち着いたと思ったらどのテレビ番組も地震速報に。

すぐにLINEを送るが、もちろん返信は来ない。

親友の住む町は、ニュースにも大々的に出ていました。

どうか、どうか無事であってくれ。生きていてくれ。

返信があったのは夜の20時頃。

「なんとか」

たったその一言で、立っていたはずの私はその場に崩れ落ちました。
腰が抜けるとはこういうことかと思いました。

その約4時間は、大袈裟ではなく人生でいちばん長く感じました。
それくらい、私にとって親友の彼女は本当に大切な人なんだと再確認させられました。

私と親友は、いつもふざけあって、けなしあっているような関係性です。真面目な話はそうそうしません。
でも、
私はあなたの事がとても大切だ、と。
人生のうちであなたに出会えて本当に良かった、と。

言える時に伝えないといけない、
今回の地震で身をもって感じました。



③「家族を大切にする」
2023年の9月に、私は初めて実家を出ました。

いつも健康的な母が、私が家を出る前日に高熱を出しました。
それくらい、心配なのだろうと思います。

これまで、実家で過ごしていて、
当たり前のようにやってくれていた
掃除、洗濯、買い物、料理。
私の帰りが夜遅くなるとわかっている時は、何かあった時運転ができるように、絶対にお酒を飲まずにいてくれました。

社会人になってからは、実家にいるのだから、最低限のことはしようと私も色々とやっていたつもりでした。(掃除、洗濯物たたみ、たまに料理)

でもいざ家を出ると、トイレットペーパーを買ったことなんてなかった、とか、家のいろんなタオルを変えてなんていなかった、とか。
そういう細々としたところに、気がついていなかったことに気づきました。

「お母さん今までありがとう」
そう言えたら1番いいですが、そんなのは恥ずかしくてとても言えないので、これから行動で返していこうと思っています。

母も父ももう60を過ぎているので、先はせいぜい20年くらいでしょうか。
今はまだ20年もある、と思っても、きっとすぐなんだろうな、と思います。


そして、母も父も姉も、共通して感謝していること。
それは、私の恋人を受け入れてくれたことです。


11月。祖母の米寿のお祝いを親戚で集まってすることになりました。
そこに、私の彼女も、母が呼んでくれました。
彼女もとても迷ったと思いますが、行く、と言ってくれ、当日を迎えました。

年代も年代だし、認知症もあるので祖母にはルームシェアをしている友達だと、前から言ってありましたが、それ以外の親戚には付き合っている人だと伝えてありました。

1番緊張したのはもちろん彼女だと思いますが、私も緊張しすぎてご飯の味がよくわかりませんでした。せっかくのご馳走だったのに。笑

でも、姉も、姉の旦那さんも、姪っ子も、
おじさんおばさん、いとこ、
そして母も、父も。

みんなが私たちと話しにきてくれました。(お店の都合で、同じ空間だけど4人ずつくらいで分かれて座っていました)

正直、父が1番怖かったです。おっさんずラブを見て冗談混じりの口調ではあったものの、「気持ち悪い」と言っていた人だったし、もう70に近いので、年齢的にも受け入れられないんじゃないかと思っていました。

でも、気を遣ったのか、母に何か言われていたのか、正直わかりません。わかりませんし、お酒も入っていましたが、父は彼女に、
「よろしくね。」
と確かに言ってくれました。


みんなと別れた後、帰りの車で2人、安心もあり、いろんな感情があり、泣いたのをよく覚えています。

親戚で集まって、そこに私の彼女もいる。
そんなこと、願ってはいたけど、同性カップルである私たちには到底叶わないことだと思っていたから。
すごく、すごく嬉しかった。


その後も、彼女は仕事の都合で参加できませんでしたが、またお正月の集まりにも招待されたり、私と彼女と私の姉と姪っ子4人で遊んだりもしました。
姪っ子はまだ5歳なので、私と彼女の関係性をしっかり理解してはいないと思います。

いつか話す時が来るのか、姪っ子は賢いので、察してくれるのかもな、とも思っています。

とにかく、姪っ子も含めた家族が、私と、私の恋人を受け入れてくれて、本当に本当に嬉しかった。

世間には、カミングアウトをしたら、親でも拒絶されてしまう人がたくさんいるようです。
そうした中でもこうして受け入れもらえるのは、ラッキー、と言うべきなのか、さすが私の家族、と言うべきなのか。
とにかく、私は家族にとても感謝していて、その気持ちを返していけたら、と思っています。


この2024年は、この3つを頭において、心において、過ごしたいなあと思います。

何か見失いそうになったら、このnoteを読み返しにこよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?