映画「杜人」の矢野智徳さんの言葉を感じて。
ナウシカのような人に、出逢った。
これは、映画「杜人 環境再生医 矢野智徳の挑戦」を撮った映画監督、
前田せつ子さんの言葉です。
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この映画は、造園家/環境再生医 の矢野智徳さんのドキュメント映画です。
私は矢野さんを存じ上げなかったのですが、
友人が先月「Kaloが好きそうな映画をやるよ」と教えてくれて、
先週末にこの映画を観ました。
そして、めちゃ嬉しくなって、ちょっと涙が出ました。
なんと言ったら良いのか、、、。
矢野さんは、監督の前田せつ子さんが「ナウシカのような人」と
言った表現が、まさに、まさしく、ピッタリ、という存在。
木々や草や葉っぱや土、虫たち、動物たち、水、空、光、 風 ….。
自然の神の声を本当に聴きながら、そして確実に会話をしながら、
(比喩ではなく本当に)
地球が、自然が、「自然であること」、「在れること」のために、
その生命のすべてを使われている人。
日本にこんなに穢れのない美しい魂の人がいる!という喜びで溢れました。
こちらで映画の内容が少しだけご覧いただけます。
そして矢野さんの素敵な言葉も少しだけ聴いていただけると思います。
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矢野さんは北九州出身の方で、お父さんは、海を見下ろす山一つ分の敷地に私財を投じて、四季の植物が見られる植物園をされていたそうで、小さい頃からずっと植物の世話をされていたそうです。
大学を1年休学して各地の風土を学ぶために日本一周の旅に出たそうです。
何がすごいって、矢野さんは、本当に大きな大きな山を前に、ひたすら、ひたすら、それを切り崩していくような作業をされているのですよね。
あきらめない。
全然あきらめていないんです。
もうどうにもできなくなっちゃっているように見える今のこの地球環境を前に戦いを挑んでいる。
それがあまりにも尊すぎて、涙が出てきてしまうんですよね。
だいたい、「仕事」って、なんでしょうね。
世の中、9時−5時だとか花キンだとか言い出した頃から「仕事」が魂と乖離してしまったのかもしれないなぁ。と思います。いや、そもそも「仕事」という言葉自体が、魂と乖離しているのかもしれません。
もしかしたら、ひとりひとりが「仕事」を「業」=「魂の仕事」にすることができたら、変わるのでは?と。
…というか、もともと本来の「業」を思い出す。という感じでしょうか?
昨年、うちのマンションの枇杷の木の枝が伸びてきたので、剪定を近所の植木屋さんに頼んだら、なかなか日時を決めてくれない上に、やっと来たと思ったら、幹をばっさりと切って帰っていったという。ありえないことが起きて、マンションのみんなで涙しました。昔からの近所のお付き合いでお願いしていた植木屋さんでしたが、もう二度と頼まないことになりました。
きっと昔は誰もが「魂の仕事」を知っていたし、
本当にその道のプロと言われた人たちは、きっと「仕事」を超えた、
ちゃんとした「業」だったと思うのです。
今は人のいのちをあつかうお医者さんでさえ、「仕事」です。
そして「仕事」が、さらに「お仕事」というレベルまでになっちゃっている人も多い世の中で、そのこと自体に疑いすらなく、不感症になってしまっているような…そんな気がします。
だから街路樹の悲鳴にも気がつかない。
そもそも、なんのために生きているのか、
なんのために、その仕事をしているのか、
なぜ、その仕事をするのか。
日々の時間、生命の時間を削って
いったい何に費やしているのか。
何が大切なのか。
この生命を何に捧げているのか。
日々、自分の心に問うと、次第に自分が誤魔化せなくなる。
不感症からの第一歩は、自分の心との会話、
多分そんなところから変わるのではないか…。
思い出せるのではないか....。
って、思いました。
と、まとまらない思いをつらつらと書きましたが、
自然との共生について、それを超えて生きるということについて、仕事について、多くのことを考えさせられるとてもいい映画だったので、ご興味がある方はぜひ観てください。
そして最後に、
ふと、ドン・ファンのこの言葉を思い出したので載せておきます。
ではでは、おやすみなさい。