新しい視座への移行 〜1 観えている世界が変化していく
こんにちわ、Kaloです。
昨夜、インスタライブに来ていただいた皆様。
本当にどうもありがとうございました。
今日の東京は朝から雨でした。
明け方、月食だったのですが、観られた方はいらっしゃいますか?
私はクリスタルボウルの波動を自分も充分浴びたせいか?
おかげさまで爆睡していました…。
さて、今日の記事は、
ここ数ヶ月、書きたいと思いながらも、なかなか書けないまま
だったことが、少しずつ糸を撚るように重なりながら、繋がりながら
意識の中で形になってきた、というか
意識上でうっすらと認識できるようになってきたみたいで。
やっと今日、なんだか「書けるかも」と感じたものです。
ちょっと長くなりそうなので
何回かにわけて書く予定で番号をふりました。
まだ、バラバラとした欠片な部分も多いのですが
できる限り書いておこうと思います。
自分の発する言葉はすべて自分宛て
2020年の7月にnoteをはじめてから、かれこれ3年になります。
当時、書きはじめた理由は、
その頃、私が観ている世界の見え方は、それまでの私とは大きく変化していて。30代に中村天風さんやバシャールと出会ってから長らく、スピリチュアルはもちろん、ヨガ哲学、アニミズム、唯識、神智学などなど、多くの本を読んで、さらには自然療法の栄養学の学校へ通って量子力学、分子栄養学、宇宙物理学などとも出会って。
ある意味、猪子さんの言う「認知」の急激な広がりで、もうそれまでの価値観とはまったく違う自分が私の中に溢れていて。
あまりに溢れすぎて、もうマックス状態になっていたのです。
自分の変化を抱えきれないし、抑えきれない。
そんな感じで、とにかく自分の周囲の人に、これ以上合わせることもできないし、それまでの「知」の積み重ねは、小出しにしていても全部は伝えられないもどかしさがずっとあって。
だから周囲の人に自分の中に抱えている「知」や「世界観」などを伝えて
とにかく自分をさらけだして、わかってほしい。という気持ちからでした。
そして「私が観ている世界」を知ってほしい。と。
なので、とにかく読んでほしい。と
当時の周囲の人、友人たちや仕事仲間やなんなら当時の仕事のクライアントにまでnoteを書いていることを伝えました。
結果、読んでくれた人も、まったく読んでくれない人もいて、
さらに読んでくれた人は「面白かった」から「難しくて、
よくわからなかった」など様々な反応でした。
でも実際は、反応はほとんど気にならなくて、
とにかく、まずは自分が抱えていたものを解放することができて、
とても楽になったのですよね。
そして、それまでずっと抱えていたことを1年以上かけて、記事に書いていた気がしますが、記事を書いていくたびに観えている景色が変わるのです。
noteをはじめた2020年と今では、「まったく違う世界」になりました。
特に人間関係。というか、私の世界の登場人物でしょうか。
noteで書いた記事を読んでくださったのがきっかけで知り合った方々も増えて、コメント欄でやりとりしているうちにリアルで会って仲良くなって。
そうしたnoteで繋がる人が増えていって、それと反比例するように、周囲にこれまで一緒にいた人たちの中で、意識の世界、スピリチュアル、精神世界にまったく興味のない人たちが消えていって(去っていった)。
かと思えば、昔からの友人や、ちょっと遠くの位置にいた仕事関係の人や、
そういう人たちが「私の観ている世界」に感応してくれて、それまでとは
別人のように変化したり。
また昨年はこうした世界観をわかりあえる仲間とも多く出会いました。
つまりは、周囲にいる人が
「私が観ている世界」を理解してくれる人ばかりになったのです。
そうして、ある時点で、ふと。思いました。
「最近、書くことがないかも。」と。
そして気がついたのは、
私は周囲に自分をわかってほしいと思って書きはじめたけれど。
実は全ての記事は自分宛てだったのだということ。
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わたしは小さい頃から自分の感じていること、考えていることは周囲には「どうせわかってもらえない」って思っている子供でした。
だから「本心は言わない。言っちゃダメ。」ってなぜかすごく思ってた。
そして、それは大人になってもずっと感じていたことでした。
結局、周囲の変化は、自分の内面の変化の現れです。
「どうせ誰もわかってくれない」と思っていたから
周囲にはわかってくれない人が多かった。
でも本当は、自分が自分をわかってあげていなかったのですよね。
もう一人の自分が自分に「どうせわかってくれない」って
思っていたんです。
これはある意味、
自分の中にいたもう一人の自分との戦いだったのでしょうね。
いわゆるもののケのしおりちゃんの言うアマナとカムナ。ふたりの自分。
この3次元世界でうまく生きていけるように、順応できるように、
もう一人の自分を黙らせている私(自我ともいうかな)と、
自分を消すことが愛だと思っていた私。
でも消えてしまっていたもう一人の自分の存在に、ある日気がついて。
その私がだんだん目を覚ましてきて、言葉を覚え、発するようになった。
そして、こっちの世界(見えない世界/意識の世界)が在ることを
話してくれるようになった。
だからある時、強烈に自分に正直で誠実でいたい。と感じて、
自分の感じていること、思っていること、観ている世界をできる限り正直に、ブレることなく書きたいと思って。
そうして書きはじめたのです。
でも記事を書くことは
もう一人の自分がひとつひとつ、自分に言い聞かせる行為で。
記事を書くこと、言葉にすることで私が私を認知しはじめて、
そうして、自分の中のふたりの自分の戦いが消えて、私がひとつになった。
それは昨年、統合についての記事を書いた頃だったかもしれません。
そして、先日の記事の冒頭でも書いたのですけれど、
本当に、自分の言葉は、やまびこだなぁ。とつくづく思ったのです。
たとえば、ずいぶん昔に書いた記事を誰かが読んでくれて、スキしてくれたりすることが、けっこうあるのですが、自分の書いた記事の内容をほとんど忘れてしまっているので、あれ?どんな記事だったかな?と思って見にいったりするのです。
そうして何度も何度も、時差を伴ってやまびこが鳴り響いて、すっかり忘れていたけれど、その時に必要な言葉が、忘れていた視点が、また思い出せるのですよね。
そう、自分が発する言葉、声、音、すべては自分宛てなんだと思います。
そして、「最近、書くことがないかも。」と感じたのは
自分の中での戦いがほとんどなくなってしまったからだと思います。
(つづく)
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