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鏡に映しだされた「悪魔」
こんにちわ、Karo.です。
今日「悪魔」について書こうと思ったら、「悪魔が来たりて笛を吹く」ってタイトルがすぐに浮かんできたのですが、やめました。(が、見出しタイトルには入れてみました(笑)。)
高校生の頃、横溝正史さん、流行りました。
今でもたまに佐清の仮面の中の顔を思い出したりしますし、このタイトルがするっと出てきちゃうくらい、横溝正史さん、けっこうDNAに刻まれちゃっていますね(笑)。
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鏡の中の自分
子供の頃、母の古い鏡台を覗くのが少し怖かった。
三面鏡を直角にして覗いてみると、鏡に私が映り込むと同時に、自分の顔がずっと奥まで、永遠に連なっていく。
それを眺めながら、きっとこのうちの何処かひとつは、違う顔が映っていて、向こう側から、私を見返しているに違いない。と思っていた。
ーー
気がついたら、私は鏡の中の世界に住んでいた。
世界中のすべての人が、手に鏡を持って、私を360度くるっと囲んで立っている。
すべての鏡が私に向けられている。
すべての鏡に私が映っている。
遠くにある鏡、近くにある鏡、
何処をみても、どの鏡にも、私が映っていて
そこに目を向けた瞬間に、映り込んだ私と目と目が合う。
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悪魔が来たりて笛を吹く
先日、私の近くの斜め45度付近に立っている人が持っている鏡に
「悪魔」が映り込んでいるのが見えた。
「あ、悪魔がいる。」
それは、はっきりと認識できた。
最初はその鏡を手に持った女性が「悪魔」だったのか!と思った。
でも違う。
信じたくないけれど、それはあきらかに鏡に映った私だった。
その鏡は、随分前から、たびたび「悪魔」を映し出していたと思う。
けれど、それに気がつかず、あまり気にもとめず、その姿が「悪魔」だという認識すらなかった。
ーー
「悪魔」は、人懐っこくて面白くて、話し上手で、
人を惹きつける魅力がある。
リベラルな考えも持ち、権威主義にも反対する。
でも実は自分が一番それを気にしているということに気がついていない。
本当は権威や人からの評価を一番気にしている。
それは自分の「存在、そのもの」に自信がないから。
だから、誰かからの評価に一喜一憂し、それを糧にがんばろうと思う。
でも、どんどん疲弊していく。
なぜなら自分の価値を誰かに明け渡してしまっているから。そしてその疲弊は、やがて外にむかっていく。
誰かに支配された自分は、誰かを支配しようとする。
支配する方もされる方も表裏一体で、ひとりの中に存在している。
大抵は、近くにいる人に対して、それはおこなわれる。
飴と鞭を使いながら「あなたのために」と言い、親切なふりをして、仲良くなるが、常に相手の存在を否定し続け、支配しようとする。
なぜなら、自分が自分をずっと「否定しつづけて」いるから。
相手を自分の下に置き、相手が自分よりも上にくるのが許せない。
相手が水の上に浮上してこようものなら、頭を押さえつけて水中に戻す。そうして相手が苦しんでいるのをみたら、今度は優しい声で呪いをかける。
「大変だね。私が傍いるから、いつでも助けてあげられるからね。」
自分が水中に沈めているのにもかかわらず...。
この一連の様子を映し出した鏡を見て、びっくりした。この鏡、斜め45度なので、その様子は直接ではなく間接的な様子として、映し出されていた。
そうして客観的な視点で観ていたので、これが自分の中にいた「悪魔」だということが、まったくもって信じられなかった。
でも、こうして書いていくうちに、「これはかつての私だった。」と思った。
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悪魔祓い
実は、昨年まで、私の正面あたりに鏡を持って立っていた人がいた。私はずいぶん長い間、その鏡を真正面からみつづけてきた。
私は、その鏡を見続けることが「修行」のような気がしていた。だから、目を逸らさないようにしていたと思う。一時期は随分と格闘していた。
でもある日突然、その修行は終わった。終わったことがわかった。
そうして、その人が少し離れたところで鏡を持って立った時、ちらっと「悪魔」の姿が見えて気がついた。
あ、こんな「悪魔」が映っていたんだ。と。
それから2〜3年は、その人と繋がってはいた。それが昨年9月にクリスタルボウルをはじめたら、10月にふとしたきっかけがあって、その人は完全に立ち去っていった。
そういえば、先に書いた斜め45度に立っている女性の鏡に映っている「悪魔」の存在に、なんとなく気がつきはじめたのも、昨年の秋頃だった。
そしてまさに今、その「悪魔」がはっきりと姿として見えてきたとたん、その鏡を持っていた女性は、私の傍から、立ち去った。
もう一度書くと、鏡を持って立っている人自身が「悪魔」なのではない。
私の中の「悪魔」を映し出すための鏡を持って立ってくれていた人であって、「悪魔」は自分の中にいる。
そして、この「悪魔」というのは、低い波動のこと。エイブラハムの22段階でいうところの10〜22あたりの感情なのだと思う。
それが私を映し出す鏡の中に浮かび上がってきて、はじめてはっきりと気がつき、気がつくことで昇華される。
今回私が観た「悪魔」は、ずっと居たし、実はそれもわかっていた。
「なんとなく」という形で感じてはいたのだけれど、はっきりとした姿で見ることができなかった。
「悪魔」は巧妙だ。
その手口の巧妙さに気がついた時、同じくらい巧妙に自分の中に隠れている。なかなか姿を表さないので、
本当になかなか「気がつけない」。
クリスタルボウルは、それを浮かび上がらせてくれ、その気づきを加速してくれている。と、最近、感じる。
鏡を見なさい。
すべてが、鏡の中に映っている。
ひとつの例外なく、そのすべてが自分なんだよ。と。
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