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なぜ、それを恐れているの?を考えてみる


こんにちわ、Karo.です。

今日は、これまでコワイと感じていたものが、いつのまにかコワくなくなっていた、もしくは私の世界から消えてしまった。という、
最近、気がついた変化のことを。


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ちょうちょ〜、ちょうちょ〜🎶


先日、ちょうちょの動画をインスタにアップした。

そこに書いたコメント

動画編集しながら、ちょうちょのウタを鼻歌で歌っていたのだけど、ちょうちょ、ちょうちょ、何にとまれ?だったか忘れちゃって、ググってしまった(笑)
...と。
よく考えたら、ちょっと前まで蝶々が苦手だったことに気がついた。
確か嫌いだったじゃん!!!
虫の中で、三本の指に入るくらい苦手だった。
粉々した感じとか、ひらりひらりと無尽蔵に飛びまわる感じとか。
ふいに出くわすと、ギャ、コワイ‼️って感じだったのに、
昨日飛んできたこの子を見つけた時、わ、蝶々🦋✨って、すぐにカメラを出したほど、何ひとつ恐れを感じなかった。
スローをかけて、ヒラヒラ飛んでるいる姿をみながら、かわいいね〜。って、思っていた。
すごーい、何これ?!どうした自分(笑)。


そう、私は数年前まで蝶が苦手だった。

でもいつから苦手になったのか、そのきっかけも、その時期もおぼえていなくて、確か子供の頃は、アゲハ蝶の幼虫を葉っぱの上に見つけて、じっくり観察していたり、蛹から蝶になる姿も不思議で好きだった。モンシロ蝶が庭を飛んでいるのを見るのも、けっこう好きだったりしていたような記憶はあるから、大人になってから嫌いになったのだと思う。

蝶が一番苦手。と公言していた時期があったことを、自分でも鮮明に憶えている。それはわりとここ数年前までで、確かに嫌いだった。


嫌いというか、コワかった。


インスタにも書いたけれど、粉を撒き散らして、ひらひらと無尽蔵に飛んでいる感じ。見ているとこっちにやってくる感じが、妙にコワかった。蛾のほうがコワくなかった、というのがまた不思議なくらい、蝶が苦手だった。

でも、これもインスタに書いているけれど、気がついたら全然コワくない。コワイどころかカワイイ!とまで思ってしまっている。

これがまた、いつからそうなったのかもまったく記憶がないという不思議。

ここ数日、それが不思議すぎて、考えていたのだけれど。


蝶が嫌いだった部分、コワイと感じていた部分を掘り下げると、

無尽蔵に飛んでいる=私にはコントロールできないもの

だったのかな?と思った。


蝶がコワイから嫌いと感じていた頃は、外側で起きている三次元での現実がコントロールできないもののように感じていて、もがいていた時期だったのだと思う。


ちなみに、蝶のスピリチュアル的な意味をググってみたら

蝶は神様の使いと言われることがあります。それはひらひらとはかなげな蝶の姿が、天使や魂などのはかなげなイメージと似ているからだそうです。神様の使いとして人々の前に現るとも言われています。占いやスピリチュアルな考えでは、蝶はあの世とこの世をつなぐ乗り物のような役割をしていると考えることもあるそうです。

だそうで、「神様の使い」「天使や魂」、そういうものが、今は大好きでウエルカムだけれど(笑)、当時はコワかったのかもしれない。


そして虫ネタでは、もうひとつ不思議なことがある。



ゴキブリが世界から消えた


ゴキブリはさすがに蝶のように好きだったとかいう時代もなくて、ただただ子供の頃からコワイという存在。

やっぱり無尽蔵に動くし、だからコントロールできないっていうのもあるけれど、主に集団意識の中で植え付けられた恐れみたいなものの代表という気がする。


3〜4年前、部屋に1匹のゴキブリが十数年ぶりに現れた。

超びっくりしてあわてて殺虫剤を取りに行ったらいなくなっていて、行方不明になったことにドキドキした。とりあえず、猫がみつけて、間違って食べてしまうのだけが心配だったけれど、そのあとにホウ酸団子をすぐ買って、設置したので、まぁいいか。という気持ちになって忘れていた。

それ以来、部屋にゴキブリは現れなくなった。


そして、その年の夏。いつも道路やマンションの駐車場、ゴミ置き場で、必ず見かけるゴキブリを、全くみなくなったことに気がついた。これまた、本当に見事なくらい見かけない。いつもおそるおそるゴミ置き場のドアを開けていたのに、その年、部屋に出たゴキブリ以外は1匹も見ることがなくて、

あれ?ゴキブリが消えた?と思った。

よくゴキブリがいなくなると地震などの災害が起きるとかっていう都市伝説的なものもあるから、地震でもくるのかなー?と思っていた。

そうしたら、マンションの住人が、「朝、ゴミを捨てに行ったらゴミ置き場に大量のゴキブリが壁にいて、びっくりした。」と言った。


えええーーーーっ?!うっそーーー。


びっくりした。街からゴキブリが姿を消したと思っていたのに、そうじゃなかった。そのうえ、この人は大量のゴキブリを見ている。

つまり、これ、私の世界からは消えたけれど、普通にいるし、見える人には見えるんだな。と思った。

そう思ったら、部屋にいたゴキブリは、なんだか別れの挨拶をしに来たような気がして、ちょっとしんみりした(笑)。


でも、それから翌年もまた翌年も、ゴキブリに、本当に出会わなくなった。夜の道端などでも普通に見かけていたのに。


そして昨年、このコロナ騒動がはじまってからの最初の方は、ほとんど外出自粛をしていたのもあって、自宅以外にアトリエとして借りている部屋に夏の間の2ヶ月ほど、まったく行かずにいた。9月に入って少し落ち着いた頃に行ってみて、ふとテーブルをみると、ゴキブリの糞らしき、黒いものを見かけた。

あれ?

よくみたら、和紙で作られた小物入れの紙の部分をかじったような痕跡も残っていて、おおおおお〜〜!と、久々に寒くなった。

すぐに部屋を徹底的に掃除したけれど、姿はない。痕跡だけ。とりあえず、またもホウ酸団子を設置した(笑)。


それにしても、この姿はなくて痕跡だけ。っていうの。

意味があるような気がした。


コワイものが消えていく


今回の蝶のことを考えていて、もしコワイと思うものがある時、それが何故コワイのか、を探ってみると自分が何を恐れているのかがわかるかもしれない。と思った。

私の場合の蝶は、自分を、人生を、コントロールできないと感じていた恐れだったし、ゴキブリは社会全体が漠然とコワイと感じているものとの同調意識だったのではないかな?と思う。


でも、宇宙の仕組みみたいなものを知っていくにつれ、恐れや不安という感情も減って来た頃から、コワイものが消えてきた。

人生がコントロールできないものだという思い込みがなくなったら蝶がコワくなくなって、社会全体の集合意識と同調しなくなってきたら、ゴキブリが私の世界から姿を消した。と思っている。

昨年、コロナ騒動が始まった頃は、集団意識に飲み込まれて体調も崩したので、昨年、ゴキブリが痕跡だけを残していたのは、その名残だったのでは?と。そう思ったら逆に、もしまたゴキブリの姿をみたら、その時はまた、きっと何らかの恐れの気持ちが集団意識と同調を起こしているんだと、わかるなぁ。と思う。


たとえば、ユウレイがコワい、とか、そういうものを恐れる人は「見えないもの」がコワいのかもしれない。昨今のコロナウイルスも然り。見えない世界への恐れとか、未来への恐れ、死への恐れなのかもしれないし、もちろんゴキブリ同様に社会全体が漠然とコワイと感じているものとの同調意識という側面もあると思う。きっと人によって理由は違うと思う。

私も20代〜30代のころは、ユウレイもそれなりに信じていたし、やっぱりこわかったけれど、ずいぶん前から、それはなくなった。

そしてコロナも愛すべき存在に変わった。


こうしたことに気がつくようになると、世界は常に変化している。と感じるようになる。

目の前で起きている事実やモノに反応する自分の感情の奥を観察していくことで、些細な変化に気がつく。

それは確実に、自分の意識の変化とともに常に変化している。とわかるようになった。


いつでも常に意識が先、現象はあと。意識が変化したら世界は変化する。という実感が重なって増している今日この頃。


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最後におまけ。

ちょうちょ、と言えば、で思い出した、日産コンパクトカーNOTEの販促用に作られた「低燃費少女ハイジ」のアニメ(笑)。

クララが「ちょうちょちょうウンザリよ、ちょちょちょちょちょーウンザリ...」っていうところ、可愛くて大好き。

このアニメシリーズ大好きで、たまーに、笑いたくなった時?見ちゃいます。 

ちょうオススメです(笑)。



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