自分に何をくっつけているか?
先日書いた気づきのはじまり#1〜私の目覚めのプロセスの記事に
私は、29歳で結婚しましたが、結婚してまもなく「(二人なのに)寂しい。」と感じるようになりました。
と書きましたが、本来の自分に目覚めていない時、人はその欠けた部分を何かで埋めようとする。と気づいたので、そのことについて書いていきたいと思います。
自分の欠けた部分ばかりを観てしまう。
前回の投稿で書きましたが、「本来の自分」の存在に気づいていない時は、自分の中に自分が不在になっているのです。
今思うと、20代の頃の自分はまるで自分の中に自分がいなかったように感じるのです。表面的には普通にそれこそバブル世代で青春を謳歌していましたが、本当は自分で自分がわからない。それも自分がわからないことにすら気づいていなかったと思うのです。
自分が不在だと、自分に自信が持てないのです。特に3次元の世界では常に相対的な視座を持ってしまうので、常に自分を誰かや何かと比べてしまう。友人やみんながやれていることが自分にはうまく出来ない。周囲や社会についていけない、みんなと違う自分はダメな人間だ。と、自分の欠けた部分に焦点をあててしまい思い悩んでしまいます。なので、その解決策として、自分の欠けた部分に何かをくっつけることで安心を得ようとするのです。
昔の私が、自分の抱えている孤独感や寂しさはパートナーさえいればなくなる。と思っていたように。
あなたは何をくっつけていますか?
そうして、自分では気づいていない状態で、人はその「欠け」に様々なものをくっつけて自信を取り戻そうとします。くっつけるモノは人によって様々です。お金や名誉、知性や学歴、資格、会社、ブランド品、結婚、自分を褒めてくれる誰か、信仰、考えなどなど...。成功して自信満々そうに見える人でさえも、実は内面の欠けを埋めるために、自分に自信を持たせてくれてるモノをたくさん持とうとした結果であったりもします。何かをくっつけて一体化することで、欠けがなくなるはずだと思っている。でも、外から何かで埋めても欠けはなくならないのです。それどころかますます欠けが気になりはじめます。なぜならそれは自分ではないモノをくっつけた。と自分で無意識に知っているのです。なので、くっつけたモノといくら一体化しようとしても出来ない。それどころか、くっつけたモノが何処かに行ってしまったらまた欠けてしまう...と不安になり、足りないからもっとくっつけなきゃ!となってしまう。自分を悩ます「欠け」という呪縛にはまって身動きができなくなっていくのです。
気づくことからはじまる。
そもそも本来の自分には「欠け」はありません。「欠け」自体は幻想です。
結局、自分が不在だと「外から何かをくっつける」ことで自分を大きく見せたり、自分以外の何かになろうとしてしまうのです。この「外から何かをくっつける」問題は結構根深いと思っています。
自分不在であることに気がつかないまま、何かを自分にくっつけたままで自分以外の誰かや何かという社会の「役割」を演じて生きてきて、ある日気がついたら、こんなはずじゃなかった。ということになります。
目覚めのプロセスは、自分がくっつけていた何かとは何なのか?気づき、それをひとつひとつ剥がしていく作業だと思います。
ないはずの「欠け」を作っているのは自分だということに気が付くこと
はとても大切です。なぜなら自分で「欠け」を作ってそこに何かをくっつけたいと思っている時、大抵はそのことに自分は気がついていないからです。