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人生、そもそも論。〜感情はホールフード

こんにちわ、karo.です。


久しぶりの記事アップになってしまいました。

しばらく、脳内がちょっと言語疲れのような状況になっていたので、本を読むのも控えて、文字を取り込むことも出すことも、ちょっと距離を置いていました。なので、地面の写真などをアップしたりしてました...(苦笑)

が、おかげさまで、ゆっくりできて、すっかり回復しました〜。


今日は雑記的な感じで、この間、自分の中で改めて気づいたことなどを、パラパラ、つらつらと描こうかなと思います。


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実は1月末くらいから、
何か、自分がたくさんのピースになってバラバラしている感じ。エネルギーが粒になって広がっていて、まとまらない....。そんな感覚でした。

あ、これは波動が下がっているのかな〜、とも思って、とりあえずたくさん寝ることにして、あとはプールに行って泳いだり、映画配信を観たり(「TENET」を2回も観たりして、あまり脳を休めた感じではないですが(笑))、海外ドラマを観て泣いたり、ぼーーっとする時間を作ったり瞑想したりしていました。

でも、回復したような、そうでもないような...。という感じが続いて、

そのうち、自分でも気がつかないうちに感情がフラットになっていました。一見、フラットって、穏やかで良さそうですが、そうでもないのですよね。


波がないのです。


自分が何を感じているのかがよくわからない。感情が出てこない。あ、だからエネルギーが粒々でバラバラしている感じだったのかも...。と。

そうしたら、些細だけれどもイラッとするような現象が、いくつか起きはじめたりして、あ、そうか!私は感情に波を起こしたくなっていたのだと、気がつきました。


「感情」はエネルギーなんですよね。

そしてエネルギーは波なので、自分のちょうどいいリズムで、心地よい波の状態でいられると気分が良いのです。が、その波が乱れたり激しくなってくるとうまく自分の体と合わなくて疲れてきちゃって、少し波形を抑えて緩やかにしたくなる。でも緩やかすぎて波形がどんどん単調になってくると、粒々、バラバラになってしまって、またなんとか波を起こしたくなって...というような。

そんな感じがしました。


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そうこうしていて、ある日、自転車で近所を走っていたら、住宅街の道で社用車の軽自動車に乗った若者男子とピザ屋さんのバイクに乗った男子が、ちょっとしたクラクションをきっかけに大声で喧嘩になりました。「なんなんだよー!」「てめぇ、ウインカー出してなかっただろ」「ちゃんと出してただろー!ふざけんな」という感じで...(笑)。

通りすがった時に、びっくりしたものの、めちゃ真っ赤な顔をして怒っている若者男子の顔を観ながら、何故かニヤッとしてしまい、妙にあったかい気分になってしまいました(笑)。

喧嘩って、エネルギーが爆発しているような瞬間で、めちゃ熱いんですよね。当人たちはもちろん怒り心頭なのですが、私にはエネルギーを交換しているっていうように見えたのです。エネルギーには良いも悪いもないので、側から見たら、喧嘩している現場ってなんか湧いているわぁ〜!という感じになるのですよね。そんな情熱的なエネルギーを初対面の人と交換できるって、なんかすごいな、もしかして、あなた達、すごく仲良しなんじゃない?(笑)と、思ってしまいました。


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そもそも、人生で体験した「こと」は、どんどん忘れてしまっていくから、自分の中に最後に残るものは何なのか?と考えると、体験したことそのものではなくて、その時々に、どれだけ感情を味わったか。それだけかもしれない。って20年くらい前に思ったことを、改めて思い返しました。

その時に感じた感情が強いほど、その体験も記憶に残っている。私たちはこの地球に、体験というツールを使って感情の波を味わいに来ているのかも...。と。

まさに人生は、喜怒哀楽。

そうしたら、どんな感情も味わい尽くしてしまえばいい訳で、不安も恐れも悲しみも怒りも、決して避ける必要などなくて、どれもただのエネルギーなんだと思ったら、愛おしいような気持ちにさえなりました。


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私たちはつい自分の怒りや悲しみの感情などをネガティブと捉えてしまいがちで、こんな感情を持ってはいけない。怒ってはいけない。と思うことが多いのではないかな?と思うのです。

その場をおさめるために、ちょっとした怒りを抑えてしまったり、不安や恐れの感情を持つこと自体に罪悪感を感じたり。

私は自分の中から湧いてきた、あきらかにわかりやすい「怒り」や「悲しみ」などは感じることができるし、比較的外に出して表現もできるのですが、「恐れ」や「不安」などは、実は自分自身でも、それを奥深いところで感じていること自体がうまくつかめなていない時があるなぁ。と気がつきました。もしかしたら、何か、もやもやっとした感じが続いている時は、そういう時なのかも...と。

そして、この、もやもやを放って置いたから、感情の波が止まってしまっていたのかも。と。感情の波がフラットになってくると、負の感情どころか、「喜び」や「楽しみ」の感情までが、うまく感じられず、弱くなっていたことにも気がつきました。


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昨今、負といわれる感情を手放すワークというのも多くて、私も以前試したことがありますが、タイミングによっては逆効果な気がしました。特に、自分が何かに囚われているようなタイミングだと、手放すことばかり考えてしまうので、負の感情=良くない。排除すべきもの。という図式を強めてしまう気がします。

それよりも、どんな感情も自由に出せるように、味わえるように意識することや、もやもやしたよくわからない感じの時は、自分に「どした?」とか「今どんな気持ちなの?」とか聞いてあげて、そのもやもやに気がついてあげることができれば、その感情を感じることが出来て味わえる。味わってしまったら、それはただのエネルギーだったとわかって、なんだか「生きている」実感とともにエネルギーチャージがされて元気になってくるような...。

まずは、自分の全ての感情を味わう、感じるというのを楽しむことにしようと思いました。


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だから、先に書いた若者たちみたいに、たとえば誰かにイラッとして怒ってしまうとかって、別に全然悪くなくて、その瞬間のココロの動き、感情の発露だったりする訳で、自然な反応。そしてそれを、まずはそのまま素直に感じてあげることは、エネルギーの流れとしてとても自然なことで、さらに外に出して表現までしてしまえば、それは昇華してしまうよね〜。と。

せっかく湧いてくれた感情はどんな小さなものもスルーせずに、そのエネルギーを味わって、表現方法はともあれ、ちゃんと外に出して表現してあげることでエネルギーは循環していく。結局人生って、その繰り返しで、それくらいシンプルだったりして...。


そんなことを感じていました。


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感情もホールフードのように、余すことなくすべて味わっていこう。

感情はこの3次元の身体と4次元5次元意識を繋いでくれる媒介者だから、感情を自由にしてあげて、ココロのスペースを広げて、味わっていけたら、心も身体も人生もどんどん自由になっていくのだと思います。








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