げいじゅつってなんですか?
カマキリが芋虫を喰っているこの生々しさ
人目もはばからずむしゃむしゃと皮を肉を喰い破り体液を啜りながら
私は己の内側を見せられているようでなんだか少し不安になる
だがこの惑星の循環を想うとき
この光景は美しいものなのではないのだろうか
私たちは首尾よく綺麗に整えられた美のイメージを与えられすぎて
目がくもってしまっているのではないのだろうか
美とは本来生々しきもののように思われる
このような光景に逢うたびに芸術というものがわからなくなる
人間の営みではないけれど
たとえばこれが芸術そのものなのではないのだろうか
だってこんなにも心が動いてこんなにも力を感じる
そして私は私の内側に向かわせられる
造形や色彩についても自然を見ているだけであり余るほどに事足りてしまう
私がおかしいだけなのか
安あがりで良いではないか
私には芸術の素養も知識も乏しいけれど
日に日に疑問はふくらむばかり
ダ・ヴィンチの時代などには芸術家などという人はなく
たとえば絵描きはただのペインターで職人に過ぎなかったのだから
芸術とは単なる評価に過ぎないのではないのだろうか
ただ描きたい 作りたい 表現したい
そんな衝動があるだけのことのように思われる
そのための技術とは尊いものだと思うけれど
技術がなくたっていいではないか
俗に言う芸術的な活動とは
芸術家と呼ばれる人達のする特別なことというような
よくわからない印象の線引きを感じる
中途半端に線を越えた者は揶揄の対象となるようなこのくだらなさ
うらやましいのならばお前らもお前らの好きなようにすればいいではないか
それはさておき
たとえば会話の中で聞き手の心が動く
これは芸術作品の鑑賞者の内側に起こっていることと
なにがどれだけどれほど違うのだろう
会話も立派な自己表現だろう
あらゆる対象に対して拝み崇める必要はないと思う
それは自分を卑小化することに繋がる
祈るのならば自分の中にある生命
なにかがその心に響いたのならば
敬う気持ちがあれば十分だ
誰もが好きなことを好きなように表現できて
お互いに受け入れ合える豊かな個性
そんな理想的な世界を夢に見る
あの山を見てみれば
あれだけの色彩と造形が密集していながら
見事に調和の取れているように感じられる
なぜ私たち人間だけがこうも愚かしいのだろうか
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