情報戦争の中、よく分からないことは、やっぱり「よく分からない」。
去年から、よく分からないことが起きていて、正直、本当によく分からない……というのが本音です。
まさか自分が生きている人生の中で、パンデミックなんてものが起きるなんて思ったこともなく……でも、自分が想像していることなんて、自分の頭の中にある数少ない知識と妄想だけで出来上がっている狭い世界でしか無かったりするんですよね。
そして、技術が進化し、たくさんの情報に触れられるようになった今日ですが、そこで得た情報をそのまま知識にしてしまうのは、ちょっとキケンなのかも知れない……と時々思ったりしています。特にネットから取れる情報は、数限りなくて、しかもどんどん時間と共に流れ込んで来るんですよね。
「情報戦争」とは良く言った言葉だなぁと思ったりしています。世界中で流れている情報に全て目を通すことは不可能だし、時に、人は自分の見たい情報にしか目を向けなかったする気がしています。また、誰かの意思が入り込み、時に情報が少し変えられていても気づく術がない場合もあるのかもとも。
なので、人が実際に体験したことを直接聞くことって大事だなぁと思うことが増えてきたりもしています。
不安があると、ついつい答えが欲しい、本当のことが知りたい、となるのが人の心理なのかも知れないですが、今の状態で、答えを見つけることはとても難しいように感じています。「真実は1割。それくらいで考えておいた方が良い。」とある知人から聞き、それくらい謙虚な気持ちで情報に向き合う姿勢も持っていて良いのかも知れないと思ったりしています。
そんな中で最近感じているのは、分からないことを分からないままにしておく、という勇気というか、曖昧なことは気持ち悪いし不安だけど、それでも、それをひとまず「分からない」と定義しておくのもあっていいかなと思ったりしています。
そして、それの方がいろいろな情報に目を向けられるのかなとも。
あと……自分の肌感覚って、情報よりも確実なことも多いですよね。そういったものが大切になっていく時代になる気もちょっとしたりしています。人間もなんだかんだ言って動物なんですよね。