「自分に依存させない」という言葉。
先日、とある場所で、この「自分に依存させない」生き方といった言葉を目にして、ハッとさせられたので、ちょっと自分メモ的な意味も含めて書いてみようかなと思いました。
私がここ数年感じてきているのは、相手を助けているつもりが、自分でも気づいていない自分の寂しさを埋めるためにそれをやっている、ということがあるのでは……ということでした。
これをすることで、相手は自分に頼ってくるようになり、そして自分は相手に必要とされることで自分の居場所を無意識の間に相手との関係の中に作っていく……そこで自分は「自分の寂しさや自信の無さ」を埋めていく。
相手が頼ってくる=相手を自分に依存させてしまっている。
これを無意識の間にやってしまうのが、マズイのかなと思ったり。
分かってやっていれば、相手が自分に依存し始めた時に、お互いの間に風通しの良い距離感のようなもの、または相手と自分の間に良い意味での線引きを出来るのではと。
無意識のままにやって、これが進んでしまうと、多分、「共依存」になってしまうのかなと。
お互いが相手が居ないと生きていけないと無意識のところで感じ、束縛し合ってみたり、時に傷つけ合ってみたり。とにかく逃げ場の無い人間関係が出来てしまう的な。
依存している人の方が心に寂しさのようなものを持っているように感じたりしたこともあったけれど、こういう風に見ていくと、依存させてしまう方にも心の寂しさってあるのかもとも思ったりしています。
かくいう自分も過去にやってしまっていたことがあって、それによって気づいたというのがありました。
私はついつい心配して色々やってしまう人だったのですが、結果的にそれが依存という形を招いてしまっていて。依存の形ができてしまうと、人間関係ってとにかく壊れやすくなる気がしていて……。
どうしたら良いのだろう?と思っていた時に、アドラー心理学を読んで、人と自分の切り分けを学び、だいぶ楽になっていましたが、そこに、この「依存させない」という言葉は、もう1つの答えのような気が、私にはして、それでハッとしたというのがあります。
きっと、相手が困って助けを求めてきた時に助けてあげられれば良いんですよね。それで十分なんですよね。
心配だからと、求められていないことをあれやこれやとやる必要は無いという……。
言葉って、時に力を持っていたり、
人によってすごく響いたり、
生き方さえ変えてくれたり、すごいですね。
ということで、ちょっと重い内容でしたが、書いてみました!
9月も半ば……早いですね〜。