私らしい働き方がある。元マルサの人材エージェント深谷恭子の自己紹介
はじめまして!
「自分らしい働き方」を伝えることをモットーに、ITフリーランスのキャリア相談・人生相談をしているきょうこです!
1983年生まれ「日本100名城」達成することを目標にしています!
今まで何をしていた人?
元々マルサの女(国税調査官)として東京で働いていました。5年勤めた後、リラクゼーションサロンのセラピストとして独立。店長までやらせていただき、とても充実した日々を送っていました。その後、子どもの出産を機に、セラピストからは退き、予約管理、スタッフ管理など裏方のマネジメントを行っていました。
旅への欲求が強く、その頃から電話でリモートの仕事をしていました笑
「私らしい働き方」の魅力を伝えたい
そんな私が、その頃からずっと考えている「私らしい働き方」。
ここでは私の働き方に関わるあれこれや、ご縁を感じたITフリーランスの皆さんへのインタビューなどを通じて「私らしい働き方」の魅力を伝えていきます!
やりたいことを諦めてきた幼少期・青春期
幼少期は純粋に自分が好きなこと、やりたいことがストレートに出る時期だと思いますが、私は諦めざるを得ない環境で育ったため、諦める癖、自分の気持ちに蓋をして生きてきました。
諸々あげるとキリはないですが、このような日常の繰り返しで
無意識に「自分に蓋をする性格」が身に付いてしまいました。
やりたいことが見つからず承認欲求が満たされる場所へ
将来何がやりたいかも出てこない(正確には認知もできていない)ので
親の敷いたレールに乗るかのように公務員(国税専門官)の道へ。
初めは優越感もありつつ、意気揚々と仕事をしていましたが、徐々に違和感が。
「私の人生は、この日常が続いて、このまま終わってしまうのか?」
自問自答の日々と、何かもっと違う道があるはず、と模索していました。
そもそも何でマルサを辞めて、キャリア相談に進んだの?
これ、必ずと言って良いほど聞かれます。
私の中では「私は何をやりたいんだろう」という思いがずっと心の中にあったんです!
そんなモヤモヤがある中、今でいうパワハラモラハラも当たり前のようにあり、環境にも限界を感じていたました。
周りからは部署を変えればいいんじゃない?とか考え直したらと諭されました。でも30歳になる直前、今辞めないと永遠に変わらない気がする、と意を決して退職しました。
安定を捨ててフリーランスに転身
その後、自分の好きな道に進もうとフリーランスでリラクゼーションセラピストになりました。
完全歩合の技術の道。初めは収入がとれず大変苦労しました。ただ進み続けるしかなかったので、技術・接客を学び、それなりに1人前には成長できました。別のサロンに移り、店長という立場にもなれたおかげで、管理能力も身につきました。毎日充実していましたが子どもの出産を機に、セラピストは一旦辞めて、予約管理やスタッフ管理など裏方のマネジメントをやっていました。仕事内容が電話で、ほぼ完結できたので、この頃栃木県に移住しました。
本当に居心地の良い場所に住めて、徐々に私らしさが取り戻せてきた感覚になりました。「私ってこんな感覚で生きられるんだ!」子どもの頃のような感受性を取り戻せてきた感覚に浸っていたのです。
キャリア相談をやろうと思ったワケ
正直、弟から誘われたからです笑
自分で選択できる時代だからこそ
でもフリーランスになると全てが自由、その反面、全て自己責任の世界。1人では限界があることも身に染みました。マインドセット、マネジメント、時間管理、金銭管理、それに付随する知識などなど…
ちょうどその時弟から「一緒に仕事しないか?」と人材エージェントの仕事を誘われました。正直昔色々あった弟だから不安しかなかったのですが、シングルマザーでもある私は、家族の支えにとても助けられていたので、これで家族の絆が深まるならいいかもなとも思い、一緒に仕事をすることを決めました。
そして、現代はフリーランスの働き方がこんなに進んでいるんだ!ということを知り、ワクワクしました。私が昔から考えていた「私らしい働き方」が本当に実現する社会になってきてるんだと!1人1人「私らしい働き方」が叶う!この魅力を、現代の進化を少しでも多くの人に知ってほしい。「私らしい働き方」ができる人が増えれば、絶対みんな「幸せを感じる生き方」ができるはず!そう思って、フリーランスの働き方の魅力を伝えています。
そして、今は自分がいる環境、時間を共にするヒト(仲間)を意識的に選択しています。過去、自分の気持ちに蓋をしてきた私は、その都度、意識的に自分の感情にも耳を傾けるようにして、日常の幸せを感じて生きています。
人に決められてきた人生から、自分が決める人生へ、一緒に私らしい働き方を叶えましょう!
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