生と死
今日、近しい身内との別れの日でした。
とてもとても辛く、悲しみの中
雨がその心を表すかのようにザーザーと
降り続けていました
少し整理したくて、文章を書いてみようと
念います。
Mさんとは実は4年前に1度しか会っておらず
めちゃくちゃ会える距離にもいたのに、
遠慮をして会うことをせず。
『来年子供が大きくなったら
一緒に公園に行きたいね♪』
と6月に話をしていた、4ヶ月後
悲しい最後となった、、、
その日電話がかかってきて、
10月20日息子の運動会の朝だった
周りの人たちはたくさんいたが
そんなこと関係なく、
涙が溢れて止まらなかった
周りの子供たちが
「〇〇のお母さん泣いてるよー」
と言われてたぶん感動して
泣いてるのかと間違えられたかもしれない
息子にも
「なんで泣いてるの?」
話そうとすると余計涙が止まらなくなって
言葉に詰まった
その一日、色々な想いが頭の中を巡り
泣き続けた
お通夜で久しぶりに親戚が集まる
まさか親戚の集まりが4年ぶりほど
まさかのお通夜で久しぶりに顔を合わすことに
なるなんてと、、、、
本当に繋がりが途絶えてしまっていた
悲しすぎるが、
Mさんのおかげで、こうやって集まれた
お通夜では友人たちがたくさん
集まり、受付から泣いている方もいた
悲しみに泣き声が響き、
こんなにMさんの周りには
たくさん愛してくれる方がいたんだよな
それに本人が氣づくのは
いなくなってから。
1度しか会ってないのに
なぜ私はこんなに泣くのか?
ただの感情で泣くのか?
どうしても、
『なんで??』
という疑問。
そこが拭えないから残された人たちは
後悔が残っていくのだろうか?
お葬式は棺の中身に花を添える
中身を見てまた辛くて泣いた
火葬場で残された骨を見て
また辛すぎて言葉を失った
亡くなってから、
Mさんの話を他の人たちから色々聴いた
聴けば聴くほど私にできることがあった
でも、
またいつでも会える
まだ大丈夫
そんな考えの中で日常生活を過ごしていた
でもいなくなってから
またなんてない
まだ大丈夫はもう、、、遅い
後悔してももうMさんに
してあげれないのだから
生と死は本当に紙一重。
一瞬で生と死は入れ替わる
自分に明日がくるなんて誰もわからない
まだ平和ボケの中で動いてたことを
Mさんが氣づかせてくれた
なくなったものはめちゃくちゃ
大きすぎた
けれど家族の絆を深めてもくれた
私が残された家族にできることがある
それが今私にできること。
今でも日本で〇〇が毎日あるらしい
Mさんのせいでもない
家族のせいでもない
友人たちのせいでもない
誰のせいでもないのだ
日本の構造のせい
根本をどうにかしないと、
きっとこれは続いていく
なぜ日本では〇〇が多いのか?
その理由を以前は知らなかった
けれどMさんのは
まさに、、、構造だった
日本は平和?
日本は幸せ?
日本は安全?
日本は生きやすい?
全て真逆だった
今回、腑に落ちるきっかけをくれた
日本人、賢くならないといけない
忙しい日常で視野が狭くなって
他のことなんて考えられないくらい
いっぱいいっぱいなって、、、
余裕がない
でもそれは自分がしたくて
やっている
ぐるぐる同じルートを走り続けているだけ
悪い循環の中で
ぐるぐるぐるぐる
私はそれと違うルートがあるかもよ?と
入り口のきっかけを渡すのが志事
生きにくいのであれば、
一度、ちょっと待てよ?
と立ち止まって考えてみて欲しいなと念う
「Mさん、あなたの話を
もっと早く聴けたらよかったなぁ
けれどあなたのおかげで、
たくさん氣づかせてもらいました
あなたにできなかったことは
あなたの家族に
私ができることをやっていくね
ありがとう」
3回目の身内の死。
1度目は14歳の時
2度目は33歳の時
そして今回。
人はいずれ死ぬ
肉体はなくなってしまっても
念いはずっと先の世代に繋げていけるよう
どんな生き方をするか?
どんな死に方だと後悔しないのか?
自分との対話をし続け、
使命を持って行動していこう!