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生活の練習
「ヘルシンキ 生活の練習」を読んだ。
とても面白かった。
フィンランドには空港の乗り継ぎでだけ降り立ったことがある。
素敵な空港だったけれど、その時の印象としては、人はそれほど優しいという印象はなかった。
空港のムーミンショップに寄った際に、前に同じツアーに参加した日本人のおばさまが辿々しい英語を話していたが、ショップ店員は明らかに「英語も喋れないやつが来るな」という態度であった。また、その後に来た別の外国人にその事を明らかに愚痴っていた。
外国に行くと良くも悪くも日本と違い、日本の良いところもわかったりする。初めに言うと、完璧な国なんてない。だから、この本もフィンランド礼賛でもなく、日本礼賛でもない。
苦労はどこだってする。どの国でするどの苦労がましか選んでね?って言うのがほんとのとこだろう。
下記に日本とフィンランドのなんとなくの違いをまとめた。
私の感じる日本の息苦しさは、監視し合う感じとか、制度の不完全を個人の努力でどうにかさせようとしてくる感じだと思う。日本にいると同調圧力がすごく強いと感じる。確かにそこに関してはフィンランド限定せず欧米系は同調圧力は感じない。日本では、「みんな頑張ってるの、だからお前も頑張れ」と言われ続けて死ぬのかなってたまに思う。
日本
みんなで豊かにみんなで貧しく。
だから、互いに監視し合う。
なんとなくだけど、みんな同じだよね?。
困ってるなら察してあげよう。
すべての仕事は現場の努力でどうにか回ってます。現場も頑張ってるからあなたもがんばってね。
やるなら徹底的に、できないものは世に出さないで。
幼児教育は何事もまんべんなく効率的に行います。
フィンランド
貧富の差は基本的にはある。
親ガチャ当然あり。
自分は自分、他人は他人。
困ってるなら困ってると口に出して。
そうじゃないと何もないと判断します。
現場の努力は限度があります。
だから、細かな現場の努力はあなたも求めないでください。
大まかでも先に提供、後に変えていく。
幼児教育はまずは生活のスキルを学ぶ事が大切。
共通項
移民とはある程度の格差があって当たり前と思っている。
私個人としては、日本はこのまま何もしなければ、じわじわとみんなが貧しくなり、みんながゆっくり沈んでいくだろう。かなり思い切ったことをする人が出てきてその人の足を引っ張るようなことがなく、潰されなければそうなる。まさにイーロンマスクがこないだ言ったように。
そういう絶望のなかで、それでも、私個人だけなら日本に死ぬまで住むと思う。
でも、確かに子どもを産み、子育てするとなった時には、死ぬまで日本に居たいと思うかわからない。海外を子どもに体験させることは個人的には有用だと感じる。だからこの本を書いた人の感覚は私はわからなくはない。特に最後に書いておられた「困った時に叫べる人になって欲しい」というところは大事だと思う。
溺れる子どものように静かに沈む人は実はとても多い。
気力を無くしセルフネグレクト状態になる前に行動する力を与えること、自分はそんな粗末に扱われる人間ではないと思える自己肯定感を持って欲しい。私ならそう思う。
そして、実はそういう風に考えられることって、生きるためのスキルであり、常に学び、育てていく練習が必要なもので、もともとの性格とか変えられない不変なものじゃないっていうことを学べるのと学べないのとでは違うと思うから。