世界半周記⑩ケニア~生物の楽園・旅の終わり~
入国審査を前に、私は警戒していた。
エジプトで出会った旅人から、嫌な話を聞いていたからだ。
入国審査の際、あまりにもダラダラと手続きする審査官に苛立った彼は、少し文句を言ったらしい。すると、警備員を呼ばれ、高額の罰金を払わせるぞとすごい剣幕で脅されたという。
平謝りしてなんとか切り抜けたらしいが、なんとも嫌な感じだ。
アフリカでは賄賂の要求も多いと聞く。
その旅人は、ケニアでは他にもろくな事がなかったと言って、今いるエジプトは楽しいと満足そうだった。
エジプトで散々だった私は、ケニアはよっぽど恐ろしいところに違いないと思い込んだ。
ケニア行きの目的はサバンナで野生動物を見ることだったので、ケニアである必要はなかった。
しかし、ケニアより平和そうなタンザニアやナミビアへの航空券は高い。
旅の資金が尽きかけていた私に選択肢はなかった。
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昼頃、首都ナイロビの空港に到着した。
治安に不安があったため、ゲストハウスに空港までの迎えの車を依頼していた。
案の定というか、迎えの車はすぐには見つからなかったが、なんとか落ち合うことができた。
運転手の陽気なおっちゃんとゲストハウス従業員の愛想のいい姉ちゃんに安心した。
今回の旅をするにあたって決めていたルールに、「外務省の危険情報レベル2以上の場所には行かない」というものがある。
ちなみに、レベル1が「十分注意してください」、レベル2が「不要不急の渡航はやめてください」、レベル3「渡航はやめてください」、レベル4「退避してください。渡航はやめてください」だ。
私なりの大まかなイメージで言うと、レベル1は犯罪多発地域、2は犯罪に加えてテロも起きうる地域、3はテロ多発地域、4は紛争地域といったところだろうか。
今回、最後の国ケニアを訪れるにあたって、私はこのルールを破ろうとしていた。
というのも、ナイロビは基本的にレベル1なのだが、安宿があるダウンタウンがレベル2にあたっていたのだ。
かの有名なガイドブック「地球の歩き方」には、ナイロビのダウンタウンには「絶対に」行くなと書かれている。
ダウンタウンは非常に治安が悪く、窃盗・強盗は日常茶飯事だし、宿全体が強盗に襲われることもあるという。
エジプトの安宿の本棚にあった地球の歩き方でこの文章を読んだ私は、戦慄した。
バックパッカー向けのガイドブックが「絶対に」行くなとは、どれほど危ないところなんだ・・・
ダウンタウンを避け、郊外のホテルに泊まることも検討したのだが、いかんせん高い。安全をお金で買うことも時には必要とはいえ、高い。
結局、私はバックパッカーの個人ブログの「意外と大丈夫やでー」という不確かな情報をよすがに、ダウンタウンに向かうことを決めたのだった。
空港からしばらく走った車は、街に入った。
車窓からの景色ははじめ整然とした都会の街並みだったが、徐々に街並みが雑然としてきた。
そのとき、陽気に喋っていた運転手のおっちゃんが急に真剣な声色で言った。
「スマホをしまえ」
車の中ということで油断していたが、どうもそんな常識が通用する場所ではないようだ。
私は即座にiPhoneをマネーベルトにしまった。
とは言うものの、ダウンタウンは想像していたような剣呑な雰囲気ではなさそうで、少しホッとした。
宿に到着すると、カイロの宿で一緒だった韓国人男性のアンチュクと再会。長身・長髪・メガネの変わらぬ風貌に安心した。
宿には日本人も多く、夜は屋上で今後の旅のことなど語り合った。
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早起きして、マサイマラ国立保護区への2泊3日のツアーに向かう。
同行することになったのは、スペイン人女子大生3人のグループと、中国人のおじさん1人おばさん2人のグループだった。
ケニア人の運転手兼ガイドとコックの2人を加えた一行は、首都ナイロビを離れ、大自然のサバンナへと向かう。
マサイマラ国立保護区に到着したのは、日が暮れる頃だった。
宿に荷物を置いた後、ジープに乗り換え、夕暮れ時のサバンナに繰り出す。
マサイマラはすごかった。
今回の旅で、明らかに最も心を動かされた景色だった。
サバンナがあんなに美しい場所だとは知らなかった。
想像していたような乾いた大地ではなく、草木が程よく繁った緑のなだらかな丘があり、そこに当たり前のように、シマウマ、キリン、ゾウ、ライオンといった、図鑑や動物園でしか見たことのない動物たちがいる。
ヌーの群れの大移動と、ゾウの哀愁漂う目に特に心を動かされた。
夕焼けのサバンナを見ていると、「楽園」という言葉が頭に浮かんだ。
楽園というものがあるのなら、それはきっとこういう場所なのだろう。
夜には過酷な生存競争が繰り広げられるが、夕暮れ時のサバンナは本当に生物の楽園のように見えた。
夕飯のときスペインの女の子が話しかけてくれて、いろいろと喋った。英語が話せてよかったなと思った。中国人のおじさんおばさんグループはほとんど英語が話せないようで残念だったが、少しでも意思疎通できると嬉しく感じた。
英語ももっとブラッシュアップしたいし、スペイン語や中国語や韓国語も勉強したい。
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早朝から一日、ジープでサバンナをまわった。
朝焼けのサバンナも素晴らしかった。
昨日見た動物以外にも、チーター、ヒョウ、ハイエナ、ジャッカル、ガゼル、インパラ、ハゲワシ、カバ、クロコダイル、イボイノシシ、スイギュウなどなど、本当に遭遇率が高い。
特に珍しいと言われるサイ以外は、一通り見ることができた。
紅潮したダチョウのオスがメスを追い回す光景はなんだかとても滑稽で、みんなでゲラゲラ笑った。
今日の夕陽も綺麗だった。
歳を取るにつれ、子供の頃の感受性が失われて、同じ景色を見ても感動しにくくなってしまっているのではないかと思っていた。
そんなことはなかった。
地球上には、年齢とか関係なく、まだまだ心震わせる景色がある。
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マサイマラ国立保護区を去る日の朝、マサイ族の村を訪問した。
商業的なんだろうなと思ってあまり期待していなかったのだが、行ってみてよかった。
伝統の踊りを見たり、家の中を見せてもらったりした。
なぜか木を使った火起こしも見せてくれたのだが、結構手こずっていて笑った。
今は都市に住むマサイ族も多いらしい。
一度ナイロビに出ていって戻ってきたという男性は、街は慌ただしすぎる、やっぱりこっちのほうがいいよと言っていた。
スマホを持っていたって、ほとんど自給自足の、大自然と隣り合わせの暮らしだ。
マサイ族の男たちは、なんだかかっこよかった。
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昨夜ナイロビに戻ってきた。
後は、帰国の日まで特にやることはない。
アンチュクと飯を食ったり、街を散策したりしていた。
宿には、母親と二人で世界一周中の4歳の男の子がいて、その子と遊んだりしていた。
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アンチュクと、日本人大学生で世界一周中のこうだいくんと、飯を食ったり市場を散策して過ごした。
ダウンタウンを歩いていたらネックレスを引きちぎられた旅人がいたらしい。物騒にも程がある。
街中で一人がスマホを使うときは、壁に背を向け、あとの二人が護衛に付くというフォーメーションを組んでいた。
その日の夜、夜行バスで沿岸の街モンバサに向かうアンチュクと、ハグして別れた。
気をつけてな。またいつかどこかで会おう。
みんなが去っていった後のがらんとした宿の屋上で、最後の夜を惜しみながら、一人黄昏ていた。
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翌朝は早く目が覚めた。
宿の姉ちゃんたちに別れを告げ、空港に向かう。
明日の今頃は成田だ。
終わってみればたった3カ月の旅だったが、毎日違う場所に行き、違うものを見て、違う人に出会う、そんな非日常の日々は、その何倍にも長く感じられた。
正直、楽しいのは一割くらいで、寂しいのが二割、七割はしんどかったかもしれない。
でも、そのすべてが冥土の土産だ。
世界一周の旅に出る前は、世界一周せずに死ぬくらいなら、世界一周の途中で死にたいと思っていた。
今はそうは思わない。
夢を叶えた後も人生は続く。
何より私には、まだ半分残っている。
とりあえず今は、温かい湯船に浸かり、おいしいご飯とみそ汁を食べて、柔らかい布団で眠りたい。
そんな平凡で得がたい日常を紡いでいこう。
再び旅の虫が騒ぎ出すその日まで。
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