Vol157. クラウドファンディングの隆盛
https://kawaraban.kibidango.com/?p=5888
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65524
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1907/10/news061.html
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1907/10/news079.html
最近いつもにまして、クラウドファンディングとはなんなのか、予約受注販売、EC、プロモーション媒体とはなにがどう違うのか、どうすべきだ、どのプラットフォームはどうだ、論みたいなのが、記事として噴出してきている。
いろいろな意味で岐路にたっているということだろうか。
現状は評論家しかいないので、自分も含めてまだ誰も答えを知らないという前提で、自分なりの考えをかいてみたいと思う。
現場ラインで、ものづくりの実行者さんと対面すると多くのwillやwantが浮かびつつも、but how?というところで一歩踏み出せないまたは、優先順位が下がってしまうという話を多く聞く。
そんな作ることはできるが、市場性を評価できずアクセルが踏めない、そんな要因は社内やチームメンバーにあったりする場合もあったりするし、1番悔しがっているのが現場の担当者だったりもする。
そんなときに、お金を払ってでも世の中に出して欲しいと言ってくれる1人、しかもそれが見知らぬ誰か、という事実が担当者のモチベーションを最大化させ、社内を動かすということも多くあるように感じている。
今の時代、世界中に情報発信が可能で、世界中からお金やスキルなどのリソースを掻き集められる手段があるとは、思う。ただ、新しいものが生まれなかったりする。他に何が必要なんだろうと考えたときに、1つの着地として思うことは、
世の中に新しいものを生み出すため必要なことは、資金調達でもなく、最大多数でもなく、1人の熱量とそれを支える見知らぬ人(支援者)なのではないかなと思っていたりする。
とはいえ、見知らぬ支援者ができた、としてもそれでもやっぱり周りを説得できないということも多々あると思う。
1人の熱量とそれを支える見知らぬ人がいる、ということのポテンシャルを言語化、数値化することができないからそれっぽいけど、わからぬ。という状況が起きてしまうこらなのではとも思ったりする。
同じ話は、コミュニティにも言えたりする。
ブランドをつくるためにコミュニティ運営に着手する企業もかなり増えてきた。同時にコミュニティってなんだという議論も噴出する。
コミュニティの理想モデルは大元を辿ると江戸時代の村制度まで遡ることになると僕は思う。
社会包摂的な要素を持ちながら、同じ場所住んだ人が有機的に結合しながら、特に目的はなくとも集合体をなしていった。その状態をコミュニティと呼ぶと思うが、時に大義名分が定まるとお祭りなどを営み一気に社会へのインパクトとして露出したりする。
実は、以前さとなおさんとお話しした際に、この状態はコミュニティではなく、プロジェクト、と定義すべきなのではという話になったりして、たしかに!となった。
そうすると、コミュニティ形成と、プロジェクト形成はつながってはいるものの別軸で考える必要がある。
往々にして収益分岐のタイミング(コミュニティからプロジェクトが発芽するタイミング)を握らせようとROIについて議論が出たタイミングで持続可能性のあるコミュニティ醸成は、大義名分にむけて動きだすプロジェクトの醸成に目的がすり替わり、ユーザーがついてこなくなり、立ち行かなくなる、というのが現状なのではないかと思う。
ここらへんは、クラファンと一緒な気がする。
とはいえ、コミュニティ形成がうまくいっているのかどうかを測る明確な指標がないのもまた事実だったりする。
現状は
UGC(ユーザーの二次創作)の数
NPSの数値
などが特にこの領域で多く用いられる指標だったりするわけだが、これらは売り上げへの接続が明確にできているわけではないと僕は思ったりします。
ここらへんもクラファンの現状と似ていると思ったりする。ここまではコミュニティ論の変遷をお借りし、ここからクラファン独自の成長生態系をつくれる飛び立っていけたらと思う。
実は、リターンの設計によっては潜在顧客まで可視化できるクラファンであれば明確な売り上げ実績をもって絵を描くことができる可能性は高いと思う。
クラファンには、商品の機能的価値、体験的価値、実行者の人柄、この商品によって解決したい課題、そのどれかに響く人がいれば、原理的にはリターンの設計でみんな商品という共通項のもと、集うことができる。
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