ブラジル生まれのオランダ、イギリス育ちの日本人。フレジアーノです。
所属しているマクアケが12月11日に上場させていただくこととなりました。
内定者としてジョインしたのが2017年1月だったので、約3年勤めて、区切りもいいので改めて今までの自分をざっと振り返ってみようと思う。
ほぼ自分に向けためちゃくちゃ備忘録となることをご了承ください。
父の仕事の関係でブラジルに生まれ、オランダ、イギリスで累計10年ほどを過ごし、その後日本に帰国し育った。
海外にいると日本人は韓国人や中国人を含めてアジア人として扱われた。学校の同学年には日本人は自分しかいなかったので、勝手に日本代表を背負っていた。サッカーを通して友達を作ったり、日本のアニメや刀や折り紙などの皆が知るまたは一緒に体験できる遊びをしたり、喧嘩をしたりなどしながら、なんとか過ごした。
年に二度ほどか日本に一時帰国すると空港のスーベニアショップで、刀のキーホルダーを見つけてはねだり、夜は向こうでは見れない日本のテレビ番組を夜通し見ていた。
そして、いよいよ日本に帰国することになったのは小学校6年の時だった。
まず最初に、言語が通じる、と感動した。
が、すぐに帰国子女という看板を抱えていたことに気づいた。
大学に入った時に英語は特別学級に入ったが、そこでの周りの帰国子女は自分とかけ離れて、「帰国子女」だった。
ブラジルで生まれたが、ポルトガル語は話せないし、英語も、周りの帰国子女よりは話せない。日本人でもあるが、周りの日本人とも少し違う気がしていた。
アイデンティティクライシスに陥りそうなとき、大学で同じような境遇の人達と仲良くなった。未だにメシにいく親友だ。その中で、在日韓国人の親友と1ヶ月スモールビジネスだが、事業をし、起業をする一歩手前までついていった。
そのとき、2人で決めたビジョンが
「日本と海外の垣根すらもない世界を創る」
だった。
だが、いろいろあり、結局その事業から僕は身を引いた。
就活で、自分で事業をやりたいと言い張り片っ端から落ちていった中で、結果としてサイバーエージェントに内定し、社内の配属希望先をリサーチしているときに当時サイバーエージェントクラウドファンディングを見つけた。
父が大手メーカーだったこと、たまたま大学ゼミの先輩がいたこともあり、アポ取りしてランチに行った。そこから役員に会わせていただき、社長に会わせていただいた。大手企業こそ、こういった仕組みを使うべきだ、とかなり生意気にランチの際に社長に言ったときに、「もうやってるよ」と当時マクアケエンタープライズの取り組みをお聞きして鳥肌がたった。
そして、なによりも「世界をつなぎ、アタラシイを創る」というフレーズには最も感動した。
無駄がなく、全てが詰まったフレーズだった。
そして、頼み込んで、働かせていただき、ほどなくして岐阜県関市のペーパーナイフのプロジェクトをみて、昔の刀のキーホルダーの記憶が蘇り、興奮した。また、同時に日本の製造業、技術が危機的な状況にあることと改めて知った。
言語の通じない「僕」と「外国人」の仲を取り持ってくれたのは、スポーツであり、日本の「カタナ」だった。
そして日本には多くの世界を魅了するアイコンや魂がある。でも知られていない、または、知ってもらうための動きができるほど余裕がなかったりする。
僕の多くのモノづくりの担い手の皆様と出会い、多くのことを学んだ。
商品の良さを伝えていくことの難しさや熱い想い。
奥にある深い課題や魅力。でもハマると買った人の熱量もすごい。
そしてモノづくりは製造業に限った話でもないことも体感した。
輸入代理店もエンタメも。
その中で、創りたい想いと、共感や応援購入によってビジネスとしても成り立っていくスキームは、自分の努力次第で、もっと魅力的なものや魂と出会えると強く想っている。
また、将来的にはそういった想いの強い商品が、日本と世界の垣根すらもなく、全世界津々浦々に拡がっていく。拡げていく中で、自分のようなある種の無国籍状態な人こそ、これをやっていく必然性があるのでと思ったりする。
すぐさま解決することの難しい課題に日々、多くぶつかるが、
携わらせていただいたプロジェクトの実行者さんとともに成長させていただきながら、「論語と算盤」の両方がそろえられるハブとなれるように精進していきたいと思う。
20代の折り返しに立つ自分にこういった景色を見せていただいている。会社サービスや会社メンバー、多くのパートナー様や実行者、商品を応援購入してくださるサポーターの皆様に感謝の気持ちを忘れず、さらなる高みを目指していきたい。
引き続き皆様ご指導いただけますと幸いです。
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