Vol162. 生産者と消費者が同化した世界での0次流通

ぼんやりとおもっていることをつらつら
生産者がマーケティングして、商品を企画して製造し一次流通にのせていく。上市した商品を消費者は購買し、再販したりブラッシュアップしたりする。

図1

ここでいうところのマーケティングやそれにもとづいた商品企画の内、多くは上市せずにお蔵入りする。それは、「作れないから」「お金がないから」「人がたりないから」「売れる確証がないから」「売れなかったときの責任をとれないから」など多くの理由をもとに世の中に生まれていかない。単一商品または商品ラインアップなどの「ブランド」を主語にそれぞれの次元での集合体はこんな風に定義できるのかなと思ったりした。

図2

商品企画の集合体は、何かしらマーケティングや自社技術やなにかの共通項をもっていて、それらを俯瞰してみると生産者が、自社をどうとらえているか、やどうマーケティングしているかが透けて見える。一次流通はそういったところと消費者の折衷点となりつつ、二次流通がどのチャネルでどういった表現で再販または、UGCなどの2次創作をされているかをみていくとその商品を消費者はどのようにとらえているのかというところを透けてみることができる。
そして、生産者はブランドを構築、継続的な収益を獲得するためにどんどんUGCや2次流通を含めてマーケティングをするように、また消費者はどんどん意見を言えるようになり、2次創作自体がどんどん売れるようになり、次第に生産者に近づいている。
そしていわゆる生産消費者(プロシューマー)または消費生産者(?)となり、生産者と消費者が同化する世界をむかえているように思う。

図3

そうした世界観では、それぞれはどのように考えられるのだろう。

図4

僕は、まだ解をもっていない。
ただ、生産者と消費者が同化していくと
売上 = PV数(PR戦略、広告戦略)×CVR(販促戦略、商品企画)× 商品単価

図5

従来のPR、広報、広告、販促、商品企画については、能動的に自分から生み出し続けないといけなかった構造に大きな揺れ動きがあると思う。
また、商品単価についても、売上を最大化したという中で、0次流通での実績があるという盾に作り手と売り手がフラット化する世界が待ち構えている。

図6

就活のときにだいぶお世話になった方からうちのタクシー広告をみて、久々のお電話をいただいた。見たときに、ふと思い浮かんでいただいたそうで、めちゃ嬉しかった。

改めてどんどん追加される自分へ向けた信条を

『量が質に転化するまでやりきる』
『与えられた仕事におつりをつけて返す』
『時泥棒は弁済不能の10両の罪』
『自ら機会を創りだし、機会によって自らを変えよ』
『ヒト*モノ*カネ*ワザ*チエを有機的に結合させる』
『はい』という“素直な心”
『すみません』という“反省の心”
『おかげさま』という“謙虚な心”
『私がします』という“奉仕の心”
『ありがとう』という“感謝の心”
『過信慢心傲慢に陥った人は、人の話を聞かなくなる。
中でも特に耳の痛い話を嫌う。
その結果、ある日気がつくと自分の周りにはイエスマンしかいなくなる。』
『楽をした分はしわよせが来る。でも苦労した分はしあわせが来る。』


ぼんやり、もやもや。
今日はここまで。

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