Vol.120 垣根のなくなる世界
大坂なおみ選手が全米オープンを優勝して、巻き起こる日本人とはなにか論争。
https://newspicks.com/news/3265096
わりとどのスポーツでも両親のどちらかが外国人のハーフの方々の活躍が目立つ。
ラグビーの日本代表のラインアップをみるとなおさらそれは思う。
とはいえ、それは世界では全く珍しいことでない。そもそも大陸国は過去の数々の侵略歴史を経て、人種は混ざりに混ざっている。
アフリカ系アメリカ人、日系ブラジル人など○○系○○人という呼び方は一般呼称だと思う。
それなのに、アフリカ系日本人になぜか少なからず見馴れなさがある。
性別でさえも多様化している中で、もはや国籍自体が意味をなさなくなってくる時代も近いのではないかとも思う。Facebookでは50あまりの性別から選ぶことができるそう。
自分も何人なのかと言われるとわからなくなる。
ブラジル生まれのオランダイギリス育ちの日本人でしかないと思う。日本人ではないが、日本人でもある。
そういった国籍や性別などさまざまな垣根がなくなってきている、または越えるハードルが低くなっている現状があると思う。
同様に消費者と生産者の垣根もなくなってきている。消費者は今までサービスやモノに対して使用感など性能についての意見を言い、生産者はそれに応えつつサービスやモノを改善してきた。
ところが、今の消費者は性能を飛び越えて生産者の体制などにも意見を言うようになってきた。いままで通り、それに応えて体制など生産者が替えていく形ではもう立ち行かない。
生産者は消費者が消費するきっかけを与えてくれ、消費者は生産者が生産するきっかけを与えてくれる。
ただそれだけのことで、もはや確固とした垣根をつくる必要もなく、消費者が生産者になったり、生産者が消費者になる流動性を高めていっても良いのではないかと思う。
多くの呼称や立場はスタートをした時点の状態を定義するものであって、持続性を保証するものではない。
クラウドファンディングでも、プロジェクトを実行する人はスタートした時点では実行者であり、運営者であるが、プロジェクトが進んでいくなかで、実行者である必要はあっても運営者である必要はないのかもしれない。
支援者も支援した時点では支援者であるが、プロジェクトが進んでいくなかでは支援者であり、運営者であっても良いかもしれない。
そんなことを思いながら歩いていたら、
駅構内のフロアですべりそうになったので、フロアの摩擦係数だけは一律であって欲しいと思った。
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