【翻訳】TNO開発日誌27:変わりゆくもの、変わらないもの(前編)

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原文はこちら ( https://www.reddit.com/r/TNOmod/comments/s3toni/development_diary_xxvii_to_things_that_change_and/ )

広東国の開発日誌へようこそ。私はKuzunoha、広東国チームの二人の共同リーダーの一人です。もう一人はOPAsian氏です。これから広東国の背景、国民、ストーリー、そしてゲームプレイについて1963年中盤までお見せしましょう。1963年中盤までのコンテンツは人物、ストーリー、アート、メカニクスまで全て完成していて殆どプレイ可能です。そして我々は広東のコンテンツの残りを一生懸命製作しています。

我々が作ったコンテンツの良さが通じれば幸いです。政治もナショナリズムも棚に上げましょう。ここでは金の話だけすれば良いのです。

背景

第二次世界大戦で日本が最終的に勝利を収め単独でヘゲモニーを築き上げた後も、一つ問題が残されていました。戦後の形はいかなるものになるのでしょうか?

もちろん歴史は勝者が紡ぎだすものですが、東京には当事者たる勝者が数種類存在しました。野心的な政治家、狡猾な官僚、自らの正統性を立証できた軍部、興奮状態の大衆、そして共栄圏の手つかずの市場に舌なめずりをする財閥です。財閥は日本の「聖戦」から約束通り配当を受け取ろうと要求していますが、とはいえこれは停戦後のめまぐるしい時代には全ての利権団体がしたことではありました。

生き馬の目を抜くような交渉と裏取引の繰り返しによって、勝者の振る舞いの現れとして1950年に広東プロトコルが制定されました。日本は企業の利益を叶えるために広東を誕生させ、そして中国はそれを拒めるような立場ではありませんでした。

文字通り気まぐれによって、中国で最も人口が多く、そしてかつて中国国民党の心臓部であった広東省は広東国として分離されました。経済は日本資本に強引に開かれ、富は日本軍によって守られています。広州、香港、マカオの三つの真珠は日本資本の前衛になりさがり、対価は円と人命によって支払われることになりました。

租界であり、資本帝国主義の実験場であり、そして偶然の結果である広東は東亜新秩序の中でも特筆して不安定な土地です。中国という崩壊した死体から分離し、そして日本からの関心は減少し続けるなかで、広東は国民無き国家になり二つの言語の狭間に囚われることになります。

1962年、3つの真珠の工場において現地の中国人は半永久的に労役を課せられていますが、しかし利益は中国人には向かわず、日本人の資本家や駐在員の下へ流れていきます。それに加え、不自由なく暮らす日本人駐在員の内にも好奇心を抑えきれない新しい世代が誕生しています。彼らは路地裏の不潔さからも過去の闘争からも一切の連続性を持たないのです。

珠人とは何でしょうか。中国人と日本人の境界の存在である珠人とは、教育を受けたプロフェッショナルなビジネスマンで、日本語に堪能ですが、広東で生まれた人々です。彼らは増大しつつある中間層を形成し、中国からは対日協力者、あるいは売国奴とさえ蔑まれ、また日本からは使い勝手の良い現地人として見られています。珠人の定義とは極めて曖昧なものですが、血統的というよりは文化的な物であり、広東というキメラ社会の中でそれを受け入れて利用し利用されるかという意識の問題でもあります。広東現地人としてはサラリーマンや警察、小さな商店の店員からビジネスの巨人に至るまで様々な日本の代理人が珠人を形成し、また少ないながらも確実に、異国の地に流れ着いた日本人も珠人を形成しています。このように珠人とは一言では言い表せない存在ですが、疑いようもなく一つの層として存在していて、広東の民族的分断を跨ぐ存在となっています。

メインストリートから一歩裏路地に入ると、不道徳と密輸といった悪を支配している三合会やヤクザが広東中の地下社会で権勢を振るい、人員不足に苦しむ広東警察や無関心な憲兵隊の守備隊の取り締まりを公然と拒んでいます。広東では犯罪や汚職は他のビジネスの手法と比べても何ら遜色のない一般的な行為であり、負債や好意を相互にやりとりするという点では何も逸脱的ではないのです。

国際的には国家としての広東は象徴的なものであり、それ以外の何者でもありません。プライドだけを回復しそのほかに何も持たない中国は決して広東の主権を認めようとせず見かけだけでも対等な関係を築こうとはしませんし、日本はもはや長い間この人工的な従属国に関心を払ってきませんでした。そして汎アジア主義の実験場たる満州帝国は大東亜共栄圏の中で王冠を維持し続け、貧しい中国と成り上がり者の広東を見下し続けてきました。

広東は誕生から20年を迎えようとしています。政治や政府機関は富士通、松下、ソニー、安田の4つの企業に寡占されています。広東の人々や実業家は、未だ自分たちのものではない国家と未来をいつか手に入れる日を夢見て待ち望んでいます。

国家精神

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広東の国民精神は絶えず変化しつづけ、恣意的な根源からアイデンティティを見つけ出さねばならない広東を表現するものです。広東は4つの基本となる国民精神を持ちます。それは広東の地位、汚職文化、広東の治安と広東の財政状況です。ゲーム期間を通じこれら4つの国民精神は良い方にも悪い方にも何度も変化します。

一つ目は広東の地位です。ゲーム開始時、地位は「二言語の狭間」の状態です。広東のアイデンティティ欠如は国民と政府中に共有されていて、安定度や戦争協力度、政治力獲得などといった重要な基本となる数値を弱めています。また日本の軍事支援への依存している広東は軍を持つ必要を感じていません。

二つ目は汚職文化です。行政長官の鈴木は広東社会に横行する腐敗を除去する必要を感じていなかったどころか、彼自身利用してすらいました。この結果毎月のように腐敗度は高まっていき、中華民国からの印象を悪化させています。腐敗は経済成長と政治力獲得を減少させるでしょう。

三つ目は広東の治安です。治安部隊は効率性と規模に大きく劣っているため、1962年の広東は憲兵隊に汚れ仕事を依存することとなり、そのため鈴木にとって憲兵大佐の宮崎清隆(Miyazaki KIyotaka)は弱い警察組織を補完するために無くてはならない存在となっています。このことは中国や中国人、珠人を広東政府へ非協力的にさせていて、また治安が悪いことそれ自体が警察組織の弱体化の原因ともなっています。

四つ目、最後の国民精神は広東の財政状況です。対GDP比負債が良好に保たれていれば国家にいくつかの良い効果が現れます。1962年時点では広東の国庫は潤沢に満たされていて、抱える国債は殆どありません。このことは低いインフレ率、高い信用格付、政治力獲得量増加をもたらし経済的、政治的好影響を与えています。しかし状況が悪くなれば、投資家らは広東を今まで通り魅力的には感じなくなるでしょう。

国家精神は変化しますが、広東の指導者や閣僚も同様です。また彼らは自身国家へ影響を与える特性を持っています。鈴木の東京とのコネクションや閣僚のそれぞれ固有の特性など、全ては広東国での生活に影響を与えることとなるでしょう。

キャラクター

皆さんが広東をプレイする時、目標は一見単純です。広東を次の10年も生存させること、そして指導者達のビジョンを叶えることです。広東は二つの言語の狭間から始まり、どのようにして自分の存在を自分自身に、アジアに、そして世界に証明するかを辿り物語は進行します。

指導者とは何者なのでしょうか?

鈴木貞一 - 東京の副王

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兵士から始まり士官に、閣僚に、そして東条の懐刀に、これが鈴木貞一の輝かしい経歴です。日本が1920年代中国で士官を必要とした際に応えた一人が鈴木でした。1931年に軍部の独断で満洲帝国が建国された際も鈴木は協力を惜しみませんでした。そして日本が1930年代後半に国防計画を策定した時には鈴木は既にそれに関われる人間になっていました。

様々な地位を利用して鈴木は権力の階段を駆け上っていき、また東条英機の側に立場を確保することで戦前の暴力的な派閥主義の嵐も乗り切りました。地位が上がるにつれて軍務からは離れ経済計画のビジネスにめり込むようになっていきました。まずは興亜院の総務長官を務め、その後企画院総裁に就任し、近衛政権、東条政権では入閣することとなります。運命を決した開戦を決断する御前会議にも参加した鈴木は、このまま日本が打つ手なしの状況に追い込まれる前に対米開戦へ踏み切るべきだと主張しました。

しかしそこが鈴木の頂点でありました。鈴木が望んでいたアジア全体を自由に支配する存在である大東亜省大臣への就任は東条が許さなかったのです。彼は内閣から弾き出され、代わりに貴族院に議席を与えられ産業界で顧問や他の地位を得ました。名誉も尊敬も集めましたが、しかし権力は奪い取られました。もはや彼は権力には手出しできず、彼の同僚や若い世代が日本の未来を形作っていくのを眺めていることしかできませんでした。

1960年、東条内閣で農林大臣を務めた鈴木の後輩であり、現在は首相ともなっている井野碩哉が鈴木の邸宅を訪ねてきました。井野は広東国が日本への貢献を怠るようになっていることに触れ、中国をよく知り、経済政策に通じ、四大企業に買収されないような人物が広東を元に戻すために必要だと伝えます。鈴木こそがこの条件を満たす唯一の人物だと強引に伝えたのです。

鈴木は最初はお世辞に過ぎないと感じていました。特にそれが後輩である井野の口から出たものであるならなおさらです。しかしその権力は夢中になるほど魅力的で、広州へすぐに出発するに十分でした。彼は井野のために働くことになることは気にせず、それどころか井野が東京へ戻る足がかりとして仕えるのならば好都合だと考えていました。

松澤卓二 - 金融界の黒幕

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では誰が鈴木行政長官の野望を支えているのでしょうか?

共栄圏中で操業している財界の巨人たる安田財閥は広東での代表取締役の松澤卓二の手で広東における鈴木の野望を操作する存在です。典型的な安田行員である松澤は全人生をかけて行内のエリート街道を歩んでいき、クライアントの大企業と政府へ上品なプロフェッショナリズムで以て仕えてきました。1959年から松澤は広東での安田の事業を仕切るようになり、彼が取締役会に入る前の時代から進んできた安田の急激な海外進出をさらに推し進めています。

疑問に思う方もいるでしょう。それは確かに重要な疑問です。松澤ほどの経歴と能力を持つ人物が、なぜ経歴の大事な時に広東へ送られてしまったのでしょうか。海外進出が安田の金融戦略では何十年も重要な扱いを受けて来たのは確かです。しかし全ての権力は東京から生じているのです。記者会見では松澤の赴任は銀行にとっての広東の重要性を示していると説明され、政治性を嗅ぎつけられたものは少ないでしょう。

誰よりも疑問を深く抱えていたのは松澤自身です。彼は伝統的で日本中心的なキャリアを歩み成功してきましたが、結局は膨らみつつあるアジアに注力した一派閥へ送られてしまいました。ビジネスを成長させるためでしょうか、彼の能力を示すためでしょうか、あるいは彼を中心から遠ざけるためであったのでしょうか。取締役会の政治は全ての政治の中でも最も危険で緊張したものです。会議の合間の静かな数分の間には、松澤は心に二つの疑問を抱えていました。なぜ彼は広東へ送られたのでしょうか。そしてどうすれば東京へ戻れるのでしょうか。

行政長官の鈴木の出現は松澤にとっては完璧な機会に見えました。鈴木は広東で最も東京との結びつきの強い人物です。また松澤は東京から鈴木のイニシアチブを支援するよう指示を受けていて、それもまた好都合なことです。慎重さは良い銀行家の証明です。そして現状、疑問を尋ねないことは何よりも重要なことです。

松下正治 - 法廷相続人

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私はBeigeです。これから私の名前よりは驚きを与えられるような筋道をお見せしましょう。

国家の問題を一見すれば松下電器のCEOなど無関係な人間に思えるかもしれません。しかし彼は20年以上に渡って広東の中心部や沿岸都市を支配し続けた圧倒的なチャンピオンです。荒波の中、水しぶきと暴風の雨を受けて立ち続けている人間がいたとしたら、彼は愚か者か、もしくは海と海岸を知り尽くしたものかのどちらかでしょう。松下は確かに後者の人間です。

彼の広東のエリートとしての道は極めて平坦な道でした。一般的に他のエリートは東京帝国大学を卒業することで街道を歩み始めますが、松下の現在の富と地位は全て養父である松下幸之助から受けたものです。もしも成功した松下家の娘と結婚していなければ、彼は才能こそあれど特筆することは特にない人間として生涯を終えていたかもしれません。このような考えは松下が目立つようになってからずっと意識にちらついています。

波のように押し寄せる不安感を解消するため彼は休みなく働きました。まずは松下電器の中国市場進出を成功させ、次に激しく割れる立法議会を超越して掌握する政治的地位に昇りました。父の強力な地盤の上に大東亜共栄圏最大の家電製品メーカーを築き上げたのは彼の能力によるものです。また広東の日本人エリートの利権をかいくぐり関係を創り上げる巧妙さを持ちつつ、井深と森田の対決が鮮明になっていく中で繁栄のために見通しの効く未来を欲していた行政府へ安定と秩序、利益を訴えかける平凡さが後者を実現させました。

嵐が近づきつつある中、未だ野望の留まることを知らない松下は広東の脈打つ心臓部における地位を確保し、父の遺産がその死と共に失われないようにするため手を打たねばならない。

残りの二人について

こんにちは。私はThArPi、井深のルートの主任設計者です。今日は過去を捨て夢を復活させる物語をお話ししましょう。

帝国海軍技術研究委員会の横須賀にある航空機格納庫にて日本最大の頭脳を持つ二人、盛田昭夫と井深大が出会いました。両者とも電子工学を専門としており、イノベーションへの極めて強い傾向を持っていたため、第二次日中戦争が終わる頃には二人は着実に親しくなっていき、戦後好景気の中で彼らは共同で東京通信工業を立ち上げました。卓越した創造性と成長を示した二人の会社は成功と発展のレールを進み、そして突然に座礁しました。

座礁の犯人は誰でしょう?それはIBMやHPと並ぶ世界最古参のIT企業、富士通でした。富士通は日本にて最も勢力の大きい財閥の一つである福沢財閥に命運を預けていました。しかしながら、富士通のパトロンである福沢財閥にも年老いた富士通にも戦後の電子産業を停滞と凡庸から救い出すことはできなかったのは明らかでした。そこに森田と井深の鮮烈なベンチャー企業が現れたのです。福沢の人々が見る限り、東京通信工業はその設備、資産、人員全てにおいて富士通の問題を解決する銀の弾丸に見えました。

全ては反応できないほどに素早く終わってしまいました。呼びかけ、買収、脅迫が行われ、わなに嵌まったことに気付いたときには全てが済んでいました。東京通信工業は富士通に吸収されました。それは確かなことです。しかし確かでなかったのは、創設者の二人が東京通信工業と最後まで共にいようとするかどうか、そして福沢財閥の支配下に置かれた東京通信工業の亡骸が戦えるほどの実力を持ち続けられるかどうかです。

このときから森田と井深の亀裂は深まっていきました。亀裂はあまりに長い間固定され続け、もはや修復は不可能でしょう。

井深大 - シリコンの予言者

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全てが終わると、盛田昭夫は追放されブラックリストに名前を載せられてしまい、日本本土でのビジネスはできなくなっていました。しかし一方で井深大は友情と一時的な自律性を犠牲にすることで、スーツの名札を少し変えた程度で荒波を乗り切れました。単なる中間管理職として小さいチームを率い、卓越性を証明するため働きました。

そして井深は自己の有能さを証明します。井深は富士通の中で昇進していき経歴に傷はつきませんでした。1955年には会社の販路を日本列島から共栄圏の新たな電子の首都である広東へ再転換するに十分な権力を集中させ、1959年には富士通の代表となり疑いようのないリーダーになりました。彼のもとで富士電信機は富士通株式会社へと進化しました。彼なくしては今日の広東の四大企業としての富士通への大変革はありえなかったでしょう。

しかし彼は権力にも名誉にも満足しませんでした。井深は常に冷静で博識で、そして何より早稲田大学にいた頃から突出して大胆な男でしたが、10年以上もの間駆け足で企業の権力闘争を勝ち抜いて来た彼は夢と壮大なビジョンのために猛進しています。井深の精神に刻み込まれた常軌を逸した献身や品質への鋭い集中、厳しい規範への偏執はそのままですが、今や彼はそれを広東社会の全ての人々に抱かせたいと考えるようになっています。彼はかつての理想通り素晴らしい技術者でありますが、しかし日本人の駐在員、中間層の珠人、そして中国人労働者にも彼と同様の精神を刻み込むことを強く願っています。

1962年、井深は富士通であり、富士通は井深なのです。富士通と井深は松下正治と不安定な同盟関係を結んで、広州、香港、マカオの三つの真珠のネオンビルボードの下敵となってしまったかつての盟友へ罵倒の言葉を浴びせています。いつか、いつの日か彼の理想とする世界は広東に叶うかもしれません。科学と理性の城がシリコンと銅の基板の上に立ち上がるのです。技術者の楽園では全ての人が持てる全力を出し尽くすでしょう。

意志薄弱な人間にとってはそのような世界は忙しない実力主義の地獄なのかもしれませんが、井深にとっては世界とはそもそもそういうものだったのです。

盛田昭夫と李嘉誠 - 亡命技術者と広東のスーパーマン

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ここからは再びKuzunohaがお話します。

鈴木、松澤、松下、井深、彼らは皆自身の運命を信じ自ら選んでシリコンデルタの広東に来ました。彼らにとって失敗によって失われるのは名誉と金銭程度のものでしょう。しかし盛田昭夫にとって成否は生命の問題であるのです。

1952年にブラックリストに載せられ職を見つけられなくってしまい、さらに広東語に堪能でない森田はすぐにボロを着て香港の市街を彷徨うようになってしまいました。広東は誇り高くも手に職のない人間を受け入れるほど親切ではなく、森田は衰弱していき死も時間の問題でした。彼に残されていたものは東京通信工業にいたころにかき集めたジャンクパーツと急造のトランジスタラジオだけでした。

ここから先の話は広東でよく話される都市伝説の一つであり、無数のバージョンがあります。しかしそれら全てに共通している要素は、最も重要な部分の、事業が苦境に陥ったプラスチック造花工場経営者の李嘉誠と森田が偶然にも出会った、という所です。森田はアイデアの他に何も持っておらず、李も空の工場以外に何も持っていませんでした。そして二人はその後長く関係を結び広東を代表する珠人となっていきました。

1954年にソニーの前身となるソナス・リー電機会社が設立され、李がそこから長江実業を独立させたのは4年後の1958年です。森田と李は日本人の陰で商業王国を建設し、ソニーのオーディオ機器の他に織物や雑貨、医薬品、エンターテインメントなどを次々と中国人や珠人市場へ売り込んでいきました。競合企業、そしてヤクザのごろつきとの競争も経験しましたが、二人は広東社会に根強い消費者層と連携企業を獲得しました。1960年、最終的に、ソニーは主要企業と認められるに十分なだけの支持を説得あるいは買収によって立法議会にて勝ち取りました

富士通、松下、安田は無数の選択肢の中から利益のために競争していますが、盛田昭夫と李嘉誠の二人は彼らの生存のために戦っています。彼らは成長しつつある珠人コミュニティの利権を擁護しますが、それは珠人だけが彼らの頼れるコミュニティだからです。そしてもしその道の途中で汚い金を稼げるのだとしたらそれは好都合なことでしょう。

これらの企業の代表者らの他にも、皆さんがゲームを通じて関わることになる人物が大勢います。彼らの中には皆さんの選択に直接反応する人もいますし、皆さんが広東をどのような社会にするか見守る人もいます。スタンリー・ホー横井英樹永野茂門高島益郎宋之光、彼らはゲームを通して何度も現れることでしょう。

開発日誌の後編はこちら( https://note.com/fred409/n/n16c8f2d685e1  )

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