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心の歪みと、理想の姿勢

こうして日常生活の中で強く思った事や、感じた事を言葉にして書き出してみると、自分は普段、嫌な事を感じている事が多いのに気付く。
別に嫌な事を目くじら立てて探しているつもりもなければ、たのしい事に目を瞑っている訳でもない。ニュートラルな目線から、その日感じた事に理由をつけて書いているだけなのに、出てくるものは偏っている。たのしい事が少ないのか、嫌な事が多いのか、はたまた私の視界が歪んでいるのかはわからないが。

その事に気付いた時のファーストインプレッションは、「それって、なんかヤダな」だった。
理由はともあれ、嫌な事を多く感じるってなんかイヤだ。もっと、たのしい事から多くを学んでいきたいと思った。

たぶん、私が自分に入れている情報の質が低い事と、
その状態が長く続いていた為、それに慣れてしまっていると思われる。
閉じられた世界の中で生活していると、どうしてもそこで得られる情報は質の低いものになってしまいがちだ。特に田舎という世界はその傾向が強い。質の高い情報を求めて外に出ても、その世界から出ない限り情報の質が変わる場所は、なくはないが、少ない。まずは得る情報の質を上げる事、その為には得る情報の量を増やす事が今の私にとっては必要なのかもしれない。
そういえば今日起こったよい事は、質の高い情報を元に動いた結果得られたのを、書いていて気付いた。

偏っているのが今の自分であり、それはそれで今の私の本心。それは否定されるべきものではない。
そんな自分をイヤだと思う、もっとこうなりたいと理想をイメージするその気持ちも私の本心。それもまた正しい。
私の現在地と、私の目標地点。そう考えれば、悪いものではない事がわかる。

今の自分をそのまま捉えて受け入れると、イヤな自分は今の自分の現在地と、素直に受け入れられるようになる。
そうすると、到達すべき地点も、自然と受け入れられるようになる。遠すぎると、諦める事もなく。

嫌な自分を、
初めて悪くない気持ちで受け入れられた一日だった。

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